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【小説】30-2(10)



前回:【小説】30-2(9)|これ|note




「ただい小鹿宙市には凄惨なる死をー」

 語感がまるでよくない定型句を呟きながら、私はドアを開けた。

 だけれど、靴を脱いで部屋に入ろうとした瞬間、私は固まってしまう。照明はつきっぱなし。生ゴミの匂いも普段と変わりない。

 しかし、ベッドの側に二人の人物がいた。一人は本を避けて座っていて、もう一人は立ったままそいつと談笑している。

 二人は返ってきた私に気づくやいなや、声をかけてきた。

「監督、部屋きったないですね。もう少し普段から掃除しといてくださいよ」

「いや、お前ら不破(ふわ)に菊田(きくた)だろ。なんでいんだよ。俺部屋の場所教えてねぇよな」

 私の前にいたのは、確かに高校時代のクラスメイト、不破に菊田だった。一〇年ぶりに会っても、雰囲気はまるで変わっていない。

 でも、高校を卒業してからというもの、ずっと連絡を取っていないから、私の住所は知らないはずだ。そもそも鍵をかけて出てきたのに、こいつらはどうやって、私の部屋に入ってきたのだろうか。ここは三階だから、窓から入るのは現実的ではない。

 二人は困ったように、顔を見合わせている。

「いや、誰ですか? 不破って。僕は大庭康太ですよ」

「僕も菊田じゃなく、原川恭志です。監督、もしかして忘れたんですか?」

 忘れるはずがない。その名前は私が初めて作った映像、『ラスト・ペンギン』の、キャラクター二人の名前だ。

 でも、とぼけた顔をしている二人を見ると、疑問を抱かずにはいられない。敬語や「監督」呼びも引っかかる。学生の頃は、お互いタメ口だったのに。

 私は首を傾げながら、缶ビールとつまみのチー鱈を、テーブルの上に置いた。

 改めて向き直る。当然状況は呑みこめない。

「お前ら、ここが俺の部屋だって分かってるよな。はっきり言うけど、もう帰ってくれないか。今の俺は誰とも話したくない気分なんだ」

「そんなこと言わないでくださいよ、監督。せっかくこうして会えたんですから」

「大体、何なんだよ! 『監督』って! お前ら、俺をからかってるのか? わざわざここまで俺をバカにしに来たのか?」

「そんな滅相もないですよ。俺たちはただ、監督にお礼を言いに来たんです」

「お礼?」

「そうですよ、監督。私たちをこの世界に生み出してくれて、ありがとうございます。ずっとお礼を言いたいと思ってました」

 言っていることが一文字たりとも分からない。もしかして、こいつらは高校時代のように、大庭と原川を演じている?

 でも、そこまで手の込んだことをする意味がまったく見当たらない。二人がひどく悪趣味に思える。

 私は一刻も早く、このカオスな状況を終わらせたくなった。

「そっか。じゃあもう用事は済んだよな。なら、とっとと帰れ。これ以上私を混乱させるのはやめろ。ただでさえ疲れて、吞みたい気分なんだ」

「そんな。監督、もっと話していきましょうよ。僕たちはようやく現実世界に来れたんですから」

「現実世界?」

「そうですよ。僕たちは監督に作られた、虚構の中の存在なんです。信じられないかもしれないけど、監督は今、自分が作ったキャラクターと話してるんですよ」

 何を言ってるんだ、こいつらは。そんな映画みたいな展開が、現実にあるはずない。

 しかし、優しく微笑む二人に、私をからかおうなんて意図は微塵も見られなかった。

「そんなの信じられるわけないだろ。もし本当だっていうなら、何か虚構のキャラクターらしいことしてくれよ」

「そうですね……。僕たちは何も持たないまま、この世界に来てしまったので……。あっ、でも誕生日ならすぐにお答えできますよ。僕、大庭康太の誕生日が一〇月二日で」

「僕、原川恭志の誕生日が一月二七日。合ってますよね、監督?」

 合っていた。誰にも言っていない、私一人で考えた設定なのに。三六五分の一の確率が二回連続。当てずっぽうでできる芸当ではない。

 やはり信じるしかないのか。いや、でもそんな非現実的なこと……。

 二人は「これで信じてくれました?」とでも言わんばかりの表情を見せている。

 まだ疑っている私を、穏やかに目線で説得しようとしていた。

「で、どうですか。監督。僕たち以降にも、何か映像は撮ってたりするんですか?」

「……ああ、撮ってるよ。誰にも見られてないけどな」

「凄いじゃないですか。それだけ僕たちと同じようなキャラクターを生み出してるってことですよね」

「別に。今はスマホもあるしな。このくらい誰だってできるよ」

「でも、それを実行に移す人はなかなかいないじゃないですか。みんなやりたいやりたいって言うばかりで。監督はそんな口だけの人とは違うんですよ」

 私がどれだけ不貞腐れようとしても、この二人、もう大庭や原川と呼んだ方がいいのだろう、は温かい言葉で私を肯定する。

 だけれど、私は真正面から二人の顔を見ることができなかった。言わせてしまって申し訳なかった。

「いや、そんなことない。俺はお前らに謝んなきゃいけないだ。せっかく生み出したのに、誰からも顧みられてない。認識されてないのなんて、いないのと一緒だ。お前らがそんな肩を持つほど、私は大した人間じゃないんだよ」

「そんな、僕たち全然気にしてないですよ。たとえ再生回数が一〇〇回でも二〇〇回でも、監督が僕たちを生み出してくれたっていう事実は、変わりませんから」

「ごめん。謙遜するつもりで言ったんだろうけど、実際はそんなに再生されてない。公開して一〇年経つのに、まだ五〇回しか再生されてないんだ。私は本当にダメなんだよ。こうやってお前らに顔向けできるような人間じゃないんだ」

「監督、そんなこと言わないでください。僕たちは誰か一人にでも見てもらえれば、十分この世界に存在できるんですから。多い少ないなんて関係ありません。そして、その一人は監督、あなたなんですよ」

 どうしてこいつらはこんなにも的確に、私の心を刺激するようなことを言うのだろう。

 目の奥に熱いものが込み上げてくる。気を抜いたら、だらだらと垂れてしまいそうだ。

「……どうして」

「何ですか?」

「どうして、そんな優しいことばっか言うんだよ! 私なんて何もしないまま、もうすぐ三〇になる真正のダメ人間だっていうのに! 見られてない! 知られてない! 必要とされてない! 私の作ったものには、私のやってきたことには、私の人生には何の価値もないんだよ! どうして、皆それが分からず『生きろ』『生きろ』言うんだよ!こっちはもう死んでるのと、何も変わらないっていうのに!」

 終盤はもう泣きじゃくりながら、私は心の声を二人にぶちまけていた。これだけ私が叫んでも、隣人は何も言ってこず、電車は規則的に線路を通過していく。

 私が今いるのは、紛れもない現実だった。夢やフィクションなんかじゃない。どうしようもない現実だった。

「監督、僕たちの前でそんなこと言わないでくださいよ。正直言って悲しいです」

「ああ、そうだよ! 私はこういう人間なんだよ! 人を平気で傷つけられる残酷で、非情な人間なんだよ! どうだよ!? 自分たちを作った奴が、こんなクズで失望したかよ!?」

 絶対に言い返されないという確信があるから、こんなにも酷いことが言える。私は本当に最低の人間だ。

 いや、もはや人間ですらないのかもしれない。粗大ゴミに命が宿った存在、それが私だ。

 このまま燃やされ、埋め立てられるのがお似合いだ。

「いいえ、失望なんてするわけありません。むしろ、こんな凄いことをしてるのに、決して驕らない謙虚な人間なんだって安心しました」

「監督は、今辛いんですね。苦しいんですね。でも、大丈夫です。僕たちはいつでも、映像の中にいますから。いや、僕たちだけじゃない監督が作ったキャラクターは全員、監督の味方です。辛くなったらいつでも僕たちに会いに来てください。僕たちは決まったセリフを話すことしかできませんけど、それでも映像の中で確かに生きてますから」

 映像を撮り始めた頃は、自分の作品がインターネットを通じて、世界中の人に届くと心躍らせていた。

 だけれど、現実は誰にも見てもらえず、再生回数は数十回でとどまっている。

 しかし、そんな映像でも一人には、確かに届いていたのだ。

 それは私だ。私の映像は、私にだけは届いていたのだ。

 とめどなく涙があふれてくる。自分のやってきたことに意味があると思えた。

「なあ、私また映像撮っていいのかな。誰にも見られない不幸なキャラクターを生み出すことになっても、映像を撮り続けていいのかな」

「もちろんです。生み出されたからには不幸なキャラクターなんて、一人もいませんから。たとえどれだけ辛い設定だろうと、生まれてきたこと自体にはちゃんと価値がありますから」

「そうですよ。僕たちも仲間が増えること、楽しみにしてます。たとえ一人だとしても、監督の血が通ったキャラクターが生まれることは、僕たちにとってもこれ以上ないほどの喜びですから」

「監督、新作楽しみにしてますよ。僕たちは見れませんけど、監督に描いてもらうことを待ってるキャラクターは、この世にたくさんいるはずですから」

 大庭と原川の瞳は力強かった。生まれてきた喜びを謳歌しているかのようだった。

 そんな目を向けられたら、いつまでもめそめそと泣いてはいられない。

 私は涙をぬぐい、一つ息を吸いこんだ。部屋の空気は相変わらず澱んでいたけれど、それでも息をできることが幸せだと思った。

 顔を上げて二人に向き直る。そして、二人の瞳に負けないくらい、力強く頷いた。

「ああ」

     

*  *  *



「俺は、お前がもっと貪欲な人間だと思ってたよ。こんな田舎に骨を埋めるような生き方、俺はしたくねぇ」

 二人の他には誰もいない川べり。ゆっくりと沈む太陽。

 しばしの沈黙の後、大庭はおもむろに口を開いた。

「でも、たとえ東京に行かなくても、こっちでもできることはあんじゃんか」

「例えば?」

 返す刀で聞き返されて、大庭は答えに窮してしまう。見切り発車の発言は、具体性を伴ってはいなかった。河原の石が今になって、ごつごつと痛い。

「じゃあ、そういうことだから」

 立ち上がった原川の顔が、かすかに翳る。心配するなという方が、無理な話に大庭には思えた。

 だけれど、原川は振り返ることで、すぐその顔を隠した。歩き出すと、ざらざらと石が革靴を擦る音がする。

「待てよ」

 いてもたってもいられず、大庭も立ち上がっていた。振り向いた原川は、何の表情もしていない。ただ、大庭の言葉を受け止めようとしていた。

「分かったよ。東京に行きてぇなら、行けばいい。お前の人生を俺が縛る権利なんてねぇからな」

 「でも」。原川のもとに歩み寄る大庭。向き合うと同じぐらいの背丈なのに、原川の方がずいぶんと大人びて見える。

 川の流れは止まらない。ただ、二人を包み込むかのように、たゆたうだけだ。

「せめて卒業するまでは、俺と友達のままでいてほしい。高校最後の半年を、明るく笑って過ごしたいんだ」

 思いの丈の全てを、大庭は伝えたつもりだった。これ以上の言葉はない。

 だけれど、だからこそ原川が小さく笑ったのが、大庭には気になってしまう。馬鹿な奴だと思われたのだろうか。

「卒業するまでは? 卒業してからも、の間違いだろ」

「原川、お前……」

 予想していなかった返しに、大庭は自分の声が少し震えていることに気づいた。

 飄々とした表情を見せる原川。まるで大庭のリアクションを、意にも介していないようだ。

「こんなこと改めて言うのも恥ずかしいけどよ。卒業して大学に入って、就職して社会人になってからも、お互い仲良くやってこうぜ。今はSNSでいつでも話せるんだしよ」

 そう言って、原川は右手を差し出した。それは、このまま友情を続けたいと願っていることの何よりの証だった。

 深く息を吸う大庭。秋の空気は、どこかからりとしていて胸がすく。

「ああ、そうだな」

 右手を伸ばして、原川の手を握る。厚くて大きい手に、これからも友達でいることができると大庭は思う。

 二人の間に、もう特別な言葉は必要なかった。ただ、お互いの目を見つめる。

 原川の瞳はどこまでも澄んでいて、この先どんなことがあっても濁ることはない。大庭はそう、何の根拠もないままに信じていた。


(完)

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