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大人の歴史講座 「天才 浮世絵師」 河鍋暁斎【前編】

 こんにちは!たーぼうです!
 さて、大人向け歴史講座の記事です!今回はちょっとコアな浮世絵シリーズをお届けします。

 紹介するのは、幕末から明治時代に活躍した「画鬼」と呼ばれた天才 浮世絵師の河鍋暁斎(かわなべきょうさい:1831-1889年)という人物です。埼玉県蕨市に河鍋暁斎美術館があります。

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 ちょっとコアな人物なので、知らない人の方が多いと思います。私もあまり詳しくありませんでしたが、調べてみたらめちゃめちゃ面白いので紹介させていただきます。

■河鍋暁斎とは?(世界大百科事典より抜粋)

 1831‐89(天保2‐明治22)。幕末・明治前期の画家。下総国古河(現,茨城県古河市)の藩士の家に生まれる。幼時より画才を発揮し,7歳にして歌川国芳の門に入り,浮世絵を修業。10歳で狩野派に学ぶ。
 しかし,流派に縛られることを嫌い,狩野派から早々に独立する。最初は貧窮していたが,葛飾北斎の画風に影響されて,戯画の世界にテーマを見いだし,狂斎と号して人気を得た。酒を好んでつねに離さず,また奇行をもって知られる。

 有名な狩野派で学んだのち、独立し様々な絵を残しています。かなりクセの強い人物です。そのクセの強さは、絵を見ればわかります。

 ではどしどし紹介していきますね!

【1:河鍋暁斎が描く「不動明王」】


 まず紹介するのは①「 不動明王開化」(大判錦絵収蔵 山口県立萩美術館蔵、1874年)という風刺画です。


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『応需 暁斎楽画 第五号 不動明王開化』
 文明開化の波は不動のはずの明王にまで飛び火し、制吒迦童子(右下:せいたかどうじ)は牛肉を調理師、矜羯羅童子(左上:こんがらどうじ)は熱燗を不動明王の後ろ火で温めている。
 肉食を禁止する仏教の守護者・不動明王が牛鍋を待ち、新聞雑誌を読んでいる姿を、文明開化に絡めながら、当時の世相を表現している作品である。
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 明治時代になると、神道を非常に重視した政府は、神道と結びついた仏教を切り離そうとします。各地でお寺を破壊する運動が起こり、それに対する反乱が起こることもありました。そんな混乱する仏教界を風刺した絵画です。

 不動明王は仏教界では、「守護神的な存在」です。その不動明王が仏教界のルールである肉食禁止を守らずに、肉を食べ酒を飲み、さらに新聞雑誌を読んでいるという、文明開化が仏教にも影響したことを絵画にしています。

 当時混乱していた仏教界に、とてつもなくケンカを売っているような風刺画です。しかし、守護神なのにこっそりと肉を肴にお酒を飲み、新聞雑誌を読んでいる姿はどこか可愛らしさがある楽しい絵画です。

 ちなみに通常の不動明王はこんな感じです。(奈良国立博物館所蔵の慶派の作成です。)上の浮世絵とのギャップが面白いですね。

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 せっかくなのでもう1枚、②仏教界の混乱を描いた暁斎の作品「極楽と地獄の開化」(1874年)と合わせて、ご覧ください!

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 明治時代に起こった大混乱をこれだけ、遊び心満載で書いてしまう河鍋暁斎は本当にすごいですね。


【2:河鍋暁斎が描く「ドクロ」


 続いては「ドクロ」です。河鍋暁斎は、9歳の時には神田川で拾った生首を、16歳の時には大火事で燃える鳥や、火事場の様子を写生し続けていたというエピソードが残っています。
 狩野派では、死体がどう朽ちて果てていくのかという絵画を描く課題などがあります。人間の死をどう描くのかというのは、暁斎にとっても大きなテーマだったのでしょう。
 特に①「髑髏(どくろ)と蜥蜴(とかげ)」(個人蔵、1869年)という作品が有名です。

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 「髑髏と蜥蜴」
 この絵は、髑髏の目から這い出す蜥蜴を描いている。これによって暁斎が何を意図したのか、よくはわからない。蜥蜴は異常に長いので、足のはえた蛇のようにも見える。その蜥蜴の目つきに愛嬌がある。背景に荒涼たる風景と寒々とした感じの月を配して、前景のモチーフを盛り立てている。維新前後の殺伐とした時代の雰囲気を表わしたつもりなのだろうか。
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 満月の下で、背景に神社を描きながらドクロの中をトカゲがくぐり抜けていく姿を描いています。ドクロも立体的にデフォルメされています。死が普遍的なものであり、風化していくことを物語っているような作品です。
 
 その他、いくつか「ドクロ系」の作品を紹介します!

 ②室町時代に賊に拾われた美しすぎる遊女「地獄太夫」が夢を見ながらドクロが遊んでいる様子を描いた絵画。「地獄太夫がいこつの遊戯のゆめをみる図」(河鍋暁斎記念美術館、1874年)

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 ③ドクロを持って街を歩いていたと言われる一休さんと地獄太夫を描いた作品。「地獄太夫」(個人蔵、1871年)


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 ④死体が朽ちていく姿を描いた絵画。「九相図」(河鍋暁斎記念美術館、1870年)画像6


 これだけの振り幅を出すことができる河鍋暁斎の創造性はすごいですね!


【3:河鍋暁斎が描く「妖怪」】


 続いては「妖怪」がテーマの風刺画です。江戸時代の幕末から明治時代初期、社会がとてつもなく変化していくにもかかわらず、楽しそうにしている妖怪たちが描かれています。
 まずは明治時代当初、新たに設立された学校に対して反対する人々も多く、①学制反対一揆が起こっているにも関わらず、学校でふざけている妖怪たちの作品です。「応需暁斎楽画 第三号 化々学校」(東京都立中央図書館蔵、1874年)

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「化々学校」解説より抜粋。
 明治5年(1872)の学制の制定により全国に小学校が設置された。教育が盛んになり、西洋式の教育法が形態化していく第一歩であった。化物の世界でも同じように生徒たちが熱心に授業を受けているが、よくよく見てみると物騒な言葉ばかり学んでいるようである。登場人物のキャラクター性と細かな部分まで描きこむ力は暁斎の持ち味である。
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 学校はこのような状況だったようです。

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 学校のシステムですが、開始当初はかなり民衆に混乱をもたらします。上記の「学制反対一揆」はこのように表記されています。

■学制反対一揆について(日本大百科全書より抜粋)

 学制と徴兵令は、農民に過重な負担を強いるものであった。学校費の負担は過重であったし、児童の強制的登校は労働徴発的な意味をもった。また、3か年間の兵役義務も労働賦役的性格の負担となった。こうした負担に反対して、学制反対一揆は、学校費の引下げ、小学校廃止などを要求し、徴兵令反対一揆(血税一揆)などとも重なり合いつつ、小学校のうちこわしなどとなって展開した。徴兵令反対一揆は他の諸要求とも結び付いて、徹底的な打毀、焼打ちといった激烈な形態をとった。

 こんな混乱を妖怪たちが遊んでいる姿を用いて風刺画にしています。これを書いた河鍋暁斎の着眼点と遊び心がすごいですね。


 さらに次の作品は、②江戸幕府への不満から徳川将軍への反発が高まる中、将軍が京都へ向かう大事な道の近くで、そんなこと関係なしに宴会をする天狗たちを描いたものです。「東海道名所之内 秋葉山」(河鍋暁斎美術館蔵、1863年)

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 こういった幕末・明治維新の激動期を面白おかしく、悪ふざけをしながらも、大胆な構図で素晴らしいクオリティの作品を暁斎は描いています。

 ちなみに歌川秀貞が描いた同様の絵画はこのような感じです。「東海道箱根山中図 」(ボストン美術館蔵、1863年)


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 同じ将軍の行列を描いていますが、やはり着眼点が全然違うのがよくわかると思います。さすが河鍋暁斎ですね。


【4:河鍋暁斎が描く「猫」】

 
 さて引き続き、もはや奇想天外すぎる作品を紹介していきます!
 続いては「猫」特集です。動物を描く浮世絵師は結構いますが、河鍋暁斎も独特な、にゃんこちゃんを描いています。
 
 狩野派は、絵画の訓練として古い絵画の模写をすることで技術の向上を図ります。そこで鳥羽僧正覚猷(とばそうじょうかくゆう)が平安時代に描いた「鳥獣戯画」を模写します。「鳥獣戯画」の原本はこちらです!

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 そんな絵画を、勝手にアレンジして楽しんでしまうのが、河鍋暁斎の創造性です。①本来はカエルなどが踊っているのを、猫などが踊る鳥獣戯画にアレンジしたものをご紹介します。躍動感がすごいです。「猫又とタヌキ」(河鍋暁斎美術館、年代不明)

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「猫又とタヌキ」
 河鍋暁斎は、動物を描くための下絵として数多くの作品を残している。これはその一枚。動物たちの踊る姿を描いている。
 モチーフの中心は踊る猫であろう。何故か紙を貼り合わせた上に描いている。どのような意図があったのかはわからない。いずれにせよこの猫は、尻尾が二つあるところからも、普通の猫ではなく、妖怪だとわかる。目つきも鋭く、妖怪の雰囲気を漂わせている。
 猫の(向かって)左手にいる狸は、頭の上に葉っぱやら草のようなものをのせているが、これから化ける合図であろう。その狸の前には、草で編んだ団扇を持って狐が踊っている。この狐と狸は互いに化かし合うのではなく、協力して化け猫のために音頭をとっているように見える。
 右手前の二匹のもぐらは、踊り方が半端ではなく、狂乱しているようにも見える。下絵であるから、背景には大した工夫はない。また署名もない。
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 さらに、②化け猫にびっくりする人の絵画です。特大にゃんこです。驚く人の驚き方もハンパないです。「化猫」(個人蔵、1870年)

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 続いては、③ナマズに乗って空を飛ぶ猫です。(鯰は黒服にヒゲで当時の官僚を示していると言われています。)おそらく風刺画でしょう。「富士越しのネコとナマズ」(河鍋暁斎美術館蔵、1881年)

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  さて、ここまで河鍋暁斎の魅力をお伝えしてきました!いかがだったでしょうか?

【後編へ続きます!】


 まだまだ面白い絵画があるので後編記事へと続きます!後編はこちらです。

■参考文献
・狩野博幸『もっと知りたい河鍋暁斎』(東京美術、2013年)
・『河鍋暁斎 戯画と笑いの天才絵画』(河出書房出版、2014年)
・末木文美士『日本宗教史』(岩波書店、2006年)
・河鍋暁斎美術館ホームページ
http://kyosai-museum.jp/hp/top.html
・山口県立萩美術ホームページ
https://www.hum.pref.yamaguchi.lg.jp/index.html

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