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その手で書かれゆく文字

 手書きでメモなりノートなり日記なり、あとネタ出しだとかね、紙にペンという形でやっていると、何がいいということもないのかもしれないが、ペン先は自由度が高いってことはひとまずいえる。漢字が思い出せないとか手が疲れるとか、そのようなこともあろうが、それでもパソコン以下電子機器を使うよりも気ままに書けることは利点。自分以外読まないならば字など汚くてよい。読まれるものだけ電子機器でやれば済む。

 自由に気ままに書ける、そのことでは、こないだの締切までの期間に大いに助けられた。雑記用のノートを広げて、その日の作業工程の見通しなどを書いてた。今日どのへんまでこなすか、とか。もうまったくやる気が出てこないときには、何をするのかをすげえ細分化して書いてた。1 座る 2 パソコンを起動する 3 ワープロソフトを開く 4 赤を入れた原稿を手元に置く 5 音楽をかける みたいな具合である。鬱寸前のレベルでやる気がない場合、今後この方法をまたやろうと思う。

 他、アマゾンのベーシックノートにじりじりと書いている。形式的にはアランのプロポ、ペソアの断章、洪自誠やラ・ロシュフコーの箴言、そのようなものに倣っているつもりの、何かぼそぼそと語るような執筆であって、現状三十ページくらいは書けたか、何のためでもないこのコメント集、いずれネタとなればせいぜいのものですね。というよりも目的としてこのベーシックノートを埋めてみたくなった。残り二百ページ程度の空白があると思うが、これ埋めたらたいしたもんだろうよ。

 また、他、京大式カードを書いている。こちらはいましも百枚入りを二パック使い切るところで、また追加でカードなりカードボックスなりを買わねばならず、置き場所の問題も出てくるし、部屋は狭いしでいろいろやり方を考えたいが、とにかくカード、ペラペラめくれば何か発見してしまうこの効果、素晴らしいものですよ。かつて自分が考えていたことがそこに貯蔵されているのである。その精神活動をパッと即座に参照できる点、セレンディピティの発生、なんだかすこぶる機能的なんじゃないの。

 あとペンなどにも話を広げたかったけれども、収拾つかないことになるんでここらで。

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