見出し画像

作業日誌 セルフハンディキャップの逆

 セルフハンディキャップ(セルフハンディキャッピング?)というものがある。読んで字の如くで、自分にはハンデがあったと主張することだ。これをやっておくと勝負に負けたときにいいわけができる。「本気を出してなかった」とか「どうせ遊びだから」とか「ちょっとやってみただけ」とか。こういうのがあまりよろしくない。いかがなものかと。勝負しに来ておいて「本気じゃない」「遊びだ」「やってみただけ」、その態度は勝負師からは程遠い。負けを認めるのが嫌なのはわかる。私だって嫌だ。でも勝負をしたら負けることもある。負けてもいいんだからいいわけをするなって話。見苦しいわ。

 で、こうして無差別的にディスっているのはなぜかというと、私これね、たぶんかなり焦っているのだ。もうヤバいところに来ている。死が近い。だから他人を(特定の誰かというわけじゃなく)ディスって自信を得ようとしているのでしょうな。まあ菜根譚の教えにそういうのがあるんだけど。ダメなときは下を見て落ち着け、というような一節。

 それはセルフハンデの逆だとは考えられないか。つまり自分は有利だと決めてしまうようなこと。根拠なしで決めちゃえばいいのでは。いや、根拠があってもいいか。「長年やってきた」「どこどこで好評だった」「ほめられた」。そういうすてきな根拠、実績にプラスして、何はともあれ自分を上に立てるというのはどう。自信ないのつらいもんな。あんまり自信満々だとそれはそれで困るんだけどね。

 昨日は神社へ行ってきて、境内にいたら神社猫さんが来たのでちょっと見てた。その猫さんはいつも静かなのだが、昨日に限ってニャアニャア鳴いてたな。吉兆かしら。神々しいお姿。風格が違うね。

 日曜日。締切まであと四十日。

サポートありがとうございます!助かります。