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断片 命の完結または完成

 五月も三分の一まで来ている。早い。時間のスピードが早い。これではあっという間に人生が終わっちまうので、さっさとやってないことをやろう。やり残して死んではならない。が、やり残しということは人生にあるのだろうかとも思う。生きてるうちにやっといたことがその命の全部の結果なんじゃないのかしら。要するに完結するタイミングが死、ということにはならないか。なんだって続きがありえたといえばそうなるし、たらればの話としてね、あるんですけど。だが、ここで終わりですよのサインといいますかピリオド、終止符があれば、命という作品はそこで完結または完成ではないか。妙な話だしよくわからんことだが、ぼんやりと思う。

 承前。人生は作品である、といったのは我が恩師のひとりであった。その先生の授業は常に学級崩壊していたんだったが、しかしいいことをいう人でしたこと。あのザコな学校の中にぽつんとひとりいた哲学者、いまはもう世にいないと思うが、我が師の恩〜、みたいなこととして、いい思い出として思い返すのはまずはその先生であったな。授業をサボって廊下のベンチで寝てる私に声をかけたのはこの人だけだった。変なやつが好きなんだ、といわれて、変なやつ認定されてなんだか嬉しかったことなどありますが。人間どう生きたっていいようだとその先生に教わったんじゃないのかしらね。

 芍薬をかわいがっている。「たっぷりかわいがってやる! 泣いたり笑ったりできなくしてやる!」というくらい愛でている。蕾の状態で買った二本の芍薬、いま七分咲きといったところか、白い花弁が開きつつあってめんこい。枯れたら泣くね。やがては枯れるけれども、それは知っているけれども、本当に泣くんじゃないのってくらいの愛着。いいすぎか。花はいいものですなあ。一輪挿しのユートピアということがある。どうやらある。そこには悪いものなど何もないのだ。

 辻井伸行のドキュメンタリーを観た。この人は作曲もするのね、それは知らなかったけれども、そのピアノのうまいことうまいこと。リハーサルの風景を見ているとわかるがめちゃめちゃ耳がいい。音感という力のありえないくらいの強さ。これはプロだからってだけでもないだろう。そしていうまでもないが暗譜してるわけだから、これはちょっとすごいことですぞ。サブスクで彼のアルバムをいくつか落として聴いている。我を通さないというか、曲に対して真摯に丁寧に弾いているように思う。ドキュメンタリーのほうでは彼のためのコンチェルトを献呈されて弾いていたが、あれはちょっと弾ける人が限られるだろうと思う難曲だった。すげえやつがいるものだ。

 今夜は夜ふかしして読書としよう。読まねばならぬものはあるし、その上で時間はないし。仕込みをね、やっておいたらあとは実戦としての執筆だし、実戦の前には仕込みないし準備をするものでしょう。「やるだけやってみるわよ」と攻殻機動隊の草薙素子さんもいっていたではないか。やるだけやる、その心構えでここまで来ましたよ。結局は行動してなんぼの何もかものことかもしれず、仕込みも実戦も、私の場合は読書も執筆も、まあ、やってなんぼだと。行動せよと。そうして何を望むって、変な話、百年後に誰かの本棚に私の本があればいいね、などと思うことがある。通常は百年残らない。ゆえに残ったとしたらものすごい偉業なんですけど、え、それ目指すのか俺。調子乗ってんじゃないのそれ。ともあれやるだけやろう。行動だ行動。



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