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4/27 日本一哀しい鬼(鬼滅の刃)

2週間ぶりの週刊少年ジャンプ。どれだけの人がこの日を待ちわびたのだろうか。私もそのうちの一人だ。

結論から言ってしまおう。

そうきたか。

王道的な展開だ。前回以下のような記事を書いたが、家族(禰豆子)、仲間(善逸、伊之助、柱たち)との絆が炭治郎を窮地から救い出すための奇跡を起こすトリガーとなったように思う。炭治郎良かった良かった。

しかしながら、第201話を読んでからというもの、私の興味は「鬼舞辻無惨」の方に向いていくことになった。個人的には、炭治郎が「日本一慈しい鬼退治」の主人公であるなら、無惨は「日本一哀しい鬼」である。

無惨はようやく?201話において「後悔(まだ生きたい)」や「期待・感動」といった感情を手にした。「死」というものが自分とは無関係であり、自分の想いは自分で成し遂げるものと信じて疑わなかった彼にとって、自分以外の誰かに自らが抱き続けた想いを託すというのは天地がひっくり返ったような心持ちだったろう。

しかし、結果としてはその想いは炭治郎によって”拒絶され”叶えられない。何百年にも渡ってずっと独りだった無惨にとって、漸く他人を信じ託したその想いが叶わないと知り、その哀しみたるや如何程だったろうと推察する。「お前だけ生き残るのか?」「お前だけが何も失わずのうのうと生き残るのか?」と問いかける無惨からは置いていかれる哀しみしか感じられない。

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それまでに闘った他のどんな鬼に対しても、元の人間だった頃に思いを馳せて理解しようと努めた炭治郎であったが、鬼舞辻無惨に対してだけはそのような慈しみの気持ちを抱くことがなかった(残り数話であるだろうか?)

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最後、無惨が追いすがるように炭治郎に発した言葉がとても哀しくて、どうにもやるせない気持ちになった。鬼の始祖として悪行の限りを尽くしたとはいえ、彼が退治されて「あー、スッキリした」と簡単に片付けることはできないんじゃなかろうか。彼はとうとう救われなかったのだ。

作者の意図がどのようなものかは預かり知らないが、鬼舞辻無惨すらも炭治郎によって救われるという一縷の望みがあったのだが、どうもそうは成らないらしい。

悪は正義の味方に成敗されて然るべきであるが、現代においてそんな単純明快な勧善懲悪のドラマを描くことはできないだろう。鬼滅の刃も、”鬼には鬼のストーリーがある”という風に描かれており、そこを炭治郎も感じ取っていたし、読者としても鬼の気持ちが理解できるということがあったろうでは、鬼舞辻無惨への気持ちはどうだろうか?鬼を討ち取れば万事OKという風に割り切れないドラマがあるのが、鬼滅の刃の良さだと思う。

201話以降、より人間らしい感情を爆発させ始めた鬼舞辻無惨に対して「完全悪」としての感情を持ち続けることは難しい。しかしながら、鬼の始祖、諸悪の根源として存在していた彼を誰も赦すことはできないのだろうか。現実世界とリンクさせてしまうのは早計の極みであるが、厚い読者層であったろう中高生に対して作者・編集部がどう魅せていきたいのか、やはりその点に非常に興味がある。

私自身は、鬼舞辻無惨ですらも救われて欲しいと思う。皆さんは、どうでしょうか?

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