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ドアとゴーギャン 村上春樹「どこであれそれが見つかりそうな場所で」 【読書感想文】

 「どこであれそれが見つかりそうな場所で」は『東京奇譚集』に収められた短編小説です。
 村上さんの小説には、スーパーナチュラルな設定がよく出てきますが、短編集数冊と長編三冊しか読んでいないので、その設定がその物語限定なのか、他の物語に続くのかわかりません。
 そこのところが手探りで…ほぼ全作読んだ上で感想を書いている森鷗外や夏目漱石の小説とは勝手が違いますね。
 なので、村上さんのファンには常識であることがわからずに、とんだ誤読をしているかもしれないのですが、初心者が読む村上春樹ということで大目に見ていただければ。(誤読だとわかれば、都度直すつもりです)

 「どこであれそれが見つかりそうな場所で」にも、「これって村上ワールドでは、当たり前の話なの?」と感じる設定が登場しました。ある男が行方不明になり、彼の妻が語り手の男性に夫の捜査を依頼するところから物語が始まるのですが、その語り手が相当謎めいているんですね。私立探偵かと思っていたら、料金はいらないと言うし、探偵らしいことをするわけでもない。男が姿を消した場所(タワマンの24階と26階の間)をうろうろして、出会った人に話を聞くだけ。そして、女の子に何を探しているのか訊かれると、わからないけど、多分ドアみたいなものを探していると答えるのです。

 ドアみたいなものって…これが、村上ワールドでは普通の設定なのかなと思った部分です。異世界に通じるドア? または、過去か未来へ?
 異世界なら、アメドラの《フリンジ》を思い出してしまいます。好きなドラマだったなぁ。

 実は我が家にも、異世界に通じるドアがあります。ただし、ドアを通り抜けられるのはウサギのぬいぐるみだけなのですが(他にもぬいぐるみはいるのに、なぜかウサギだけ)。向こうの世界では、ぬいぐるみが人に混じって歩いているので、うちのビーバー君にそっくりな子と仲良くなったのだとか。残念ながら、ウサギ君の精神年齢が小1程度なので詳しい話は聞き出せませんが、ビーバー君の好きな映画は《楢山節考》だそうです(渋すぎる…)。ーーなどという具合に、日々の暮らしのどこかにドアをお持ちの方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。我が家のドアは相当どうでもいいドアですが、村上さんの世界にあるドアは、暗喩に満ちた奥深いドアなんでしょうね。

 語り手が謎めいている以外は、ごく普通の失踪譚です。
 それなのに、「夫の父は三年前に、都電に轢かれて亡くなりました」という冒頭の文章から、「おおっ」と思わせるのだから、すごい作品です。どうやら、義父は酔って都電の線路に寝転んでしまったんですね。
 酔って線路で寝た人を三人知っていますが、三人とも無事で、それに懲りて酒を控えるなんてこともありませんでした。それなのに、依頼人の義父は、あののんびりと走る荒川線に轢かれるなんて。すごく運の悪い事故だから、そのことをきっかけに、依頼人の人生が悪い方に向かっていったんじゃないかと心配してしまいます。

 実際その通りで、夫の死のトラウマで義母は不安神経症になってしまったので、時には依頼人や夫が二階下の部屋まで行って面倒を見なければならない。
 そして、ある朝、母親の部屋に向かう途中で依頼人の夫が失踪したのです。何の痕跡も残さずに。

 ところで、失踪した男性はメリルリンチでトレーダーをやっているのですが、語り手は「そういえばポール・ゴーギャンも株式仲買人をしていた」と思い出します。でも、「真剣に絵が描きたくなって、ある日妻子を残してタヒチに行ってしまった」と。
 この文章を読んだ時、長年の疑問が解けました。株式仲買人って、トレーダーのことだったのね。

 海外文学好きの人にとって、株式仲買人というのは気になる職業ではないでしょうか。
 私が知るだけでも、文学史上有名な株式仲買人が三人います。
 一人は、シャーロック・ホームズの依頼人。「株式仲買人」という短編に登場します。
 一人は、『失われた時を求めて』の重要人物、スワンの父親。作者であるプルーストの祖父も同じ職なのですが、スワンは桁外れのお金持ちで地位もありそうなので、父親はどんな仕事でここまで金を稼いだのだろう? と不思議でした。
 もう一人が、語り手が思い出すポール・ゴーギャン。というか、文学史的には、ゴーギャンをモデルにしたサマセット・モームの『月と六ペンス』の主人公、チャールズ・ストリックランドです(実際のゴーギャンは急にタヒチに行ってしまうわけではないので、語り手は、モームが作り出したイメージでゴーギャンを語っているのかな)。スワン家とは違い、ストリックランドはあまり裕福そうではないので、謎が深まるばかりでした。
 多分、株式仲買人という名称自体、プルーストやゴーギャンの時代にしか使われていないのかもしれません。
 村上さんも海外文学がお好きですから、株式仲買人という言葉を使ってみたかったのかもしれません。

 失踪人は、結局、語り手の調査とは関係なく、仙台駅で発見されます。失踪していた間の記憶はなく、服装も失踪当時のまま。妻は事を荒立てたくないようなので、めでたし、めでたし。
 実は、失踪人はゴーギャンになりたくてなれなかった人なのかもしれないと感じました。



 テリー・ギリアム監督が念願だったドン・キホーテの映画を撮り終えた時、知り合いの映画好き男性に「ギリアムはドン・キホーテになりたかったのかな」と話すと、「いやー、ギリアムじゃなくても、なりたいでしょ」と言われて驚きました。ドン・キホーテといえば、夢見るさすらい人。知人は、真面目で逸脱が苦手なタイプだから、ドン・キホーテ的なことは苦手だと思っていました。
 そういえば、うちの夫も、寅さんシリーズが好きだし…(以前書いた、寅さんシリーズをみんなに押し貸ししていた人は別人。夫はAmazonビデオで観る程度)。
 ドン・キホーテや寅さんは身軽な身ですから、気ままに放浪できますが、知人や夫が同じことをすれば、ゴーギャンのように家庭も仕事も捨てることになってしまいます。
 だから、人生をリセットしたいという願望があっても、大抵の人は心の片隅で願うだけ。できるのは、寅さん映画を観て、違う人生に思いを馳せることぐらい。
 でも、ごく稀にそれを実行に移す人もいて。中でも、ゴーギャンはリセット後の人生で有名になった人です。

 依頼人の夫も、このまま消えて新しい人生を始めたいと思ったのかもしれません。その時に、自分と同じ仕事をしていたゴーギャンを思い出したことでしょう。
 でも、ゴーギャンにはなれずに、警察に保護された。前の生活に戻るなら、その間のことは、忘れたふりをするしかないですよね。妻の方も、それを受け入れるしか。
 そうやって、また明日から同じ日常を続けていくのでしょうか。お互い、以前とは異なる気持ちを抱きながら。
 

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