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村上春樹の短編を読む 海外文学と音楽 その2 『パン屋再襲撃』

 間があいてしまいましたが、村上春樹さんの短編小説を作中に登場する海外文学や音楽から読み解くシリーズの二回目です。今回は短編集『パン屋再襲撃』収録の作品について。

「パン屋再襲撃」

『オズの魔法使い』 
 主人公に襲いかかる空腹感の激しさが「オズの魔法使い』に出てくる竜巻のように」と表現されています。
 『オズの魔法使い』は、1900年に出版された児童文学書です。アメリカの小説には、オズに言及したものが本当に多いです。ドロシー、砂漠と竜巻、エメラルドシティに向かうレンガの道、犬のトト、目を閉じてかかとを三回鳴らすetc何の説明もなく、形容詞のように出てくるので、最初のうちは、オズのネタだと気付かずに読み飛ばしていました。なので、ここは村上さんがアメリカ文学に影響を受けているのがよくわかる部分です。
 有名なジュディ・ガーランド版以外にも何度も映像化されていますが、個人的には、中学の英語の授業で観たミュージカル映画《ウィズ》が思い出深いです。英語はあまり聴き取れませんでしたが、カカシ役のマイケル・ジャクソンが可愛いかった(ドロシーはダイアナ・ロス)。
*『オズの魔法使い』の比喩は「ファミリー・アフェア」にも出てきます。こちらは「ブリキ男のように体がきしんだ」。

アマプラでも視聴可。

ワーグナーの序曲集
 主人公が以前パン屋を襲撃した時に、店でかかっていたレコード(このエピソードは「パン屋襲撃」という短編小説になっているようですが、未読)。店主はクラシック音楽のマニアと書かれていますが、個人的に、ワーグナーファンはクラシック好きの中でも特異な立ち位置だという気がします(ワーグナー好きの方がいらしたら、ごめんなさい。また、私も含めてマーラーファンも特異な立ち位置だと思われているかもしれません)。クラシック音楽やオペラ全般が好きというよりは、ひたすらワーグナーの楽劇にのめり込んでいる感じで。途轍もない音楽なので、否応なしにのめり込んでしまうのかもしれませんが。いずれにしても、ワーグナーマニアの店主なら、「序曲集を最後まで聴いたら、店中のパンを持って行っていいよ」などと言いそうです。一見癖ありだけど、実は理想家肌のおじさんだったりして。ありがたい申し出ですが、空腹の時に聴くには辛いレコードですね。長めの序曲が多いので。


「象の消失」

シャーロック・ホームズ
 象が消失した記事について、ホームズなら「なかなか興味深い記事が載っている」と言いそうだと書かれています。シャーロック・ホームズの語録も、英米の作品によく登場します。こちらは、オズとは違い、日本人にもわかりやすいのではないでしょうか。

「ファミリー・アフェア」

ブルース・スプリングスティーン『ボーン・イン・ザ・U・S・A』
 主人公が朝、歯を磨きながら聴いている曲。アメリカの作品では、白人男性が気分を上げたい時に聴く曲としてよく使われています。大統領選の時にテーマ曲として使用されることもあるので、アメリカ人のアイデンティティーにかかわる曲なんでしょうね。この小説の英訳版でも、主人公は同じ曲を聴いているのでしょうか。ちょっと気になります。

フリオ・イグレシアス ウィリー・ネルソン
 婚約者が遊びに来た時に語り手の妹がかける曲。「こんな曲を聴くなんて」と妹の婚約者への違和感が強まります。語り手が聴くのはスプリングスティーン以外では、ジェフ・ベックやドアーズ。何を聴いているかでその人を判断するって、若い頃にやりがちなことですよね。フリオ・イグレシアスはスペインの歌手で、日本でもすごく人気があったみたいです。私が新人の頃には、カラオケで彼の曲を歌う上司がいました。一周回って「案外いい曲だな」と思ったものです。ウィリー・ネルソンは米カントリー界の大物。いくら何でも、彼の曲を好む若いカップルなんていないと思うのですが…。読みながら、ニヤニヤ笑ってしまいました。


「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」

 これは不思議な読後感の作品です。ディストピアな風景が、頭の中に次々に流れ込んでくるような。語り手はショスタコーヴィチ(作中の表記はショスタコヴィッチ)のチェロ・コンチェルトを聴いているのですが、ショスタコには、聴いているうちに自分のダークサイドが溢れ出してきそうな曲がいくつかあるんですね。なので、この選曲はぴったりだなぁと感動しました。

『ソフィーの選択』
 語り手は前日にこの映画を観たために、ヒットラーのポーランド侵入が昨日起きたと日記に書きそうになります。個人的には、鑑賞後、沈み込んでしまった映画の一つです。最初から戦争の話だとわかっていれば腹をくくれるのですが、この映画は、青年の自分探し系の恋愛映画のように始まるので。小説の中で、語り手はメリル・ストリープが主演した三つの映画ーー『ソフィーの選択』『クレイマー、クレイマー』『恋に落ちて』を混ぜて語っています。


「ねじまき鳥と火曜日の女たち」

 この短編は『ねじまき鳥クロニクル』につながる作品のようですが、ここでは短編の範囲内での感想を書きます。

ロッシーニ『泥棒かささぎ』序曲
 ロッシーニといえば『赤と黒』の作者・スタンダールの言葉が有名です。「ナポレオンは死んだが、また別の男が出現した」。スタンダールはナポレオンを崇拝していましたが、その人と比べたくなるほど、ロッシーニは人気があったのです。ただし、七十六歳の生涯のうち、ロッシーニがオペラを作ったのは前半だけ。短期間に三十九のオペラを作り、没後は急速に忘れ去られて、一時は『セビリアの理髪師』以外はオペラのレパートリーにのらなくなっていたようです(『セビリアの理髪師』はモーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』の前日譚なので、人気があったのでしょう)。
 半ば忘れ去られていたロッシーニを復活させた指揮者が、この小説に名前が出てくるクラウディオ・アバドです(作中ではアバド指揮ロンドン交響楽団の『泥棒かささぎ』が流れています)。私の世代だと、アバドは晩年の渋いおじさんのイメージしかないのですが、若い頃のDVDを観ると、髪の長いヒッピー風の指揮者だったみたいです。村上さんは、若きアバドによるロッシーニ・ルネッサンスをリアルタイムで体験なさっていると思います。そんなところから、この前奏曲をチョイスなさったのかもしれません。
 ロッシーニらしい、明るく颯爽とした…やや既聴感のある曲です(既聴感があるのは、ロッシーニが自分の曲を使い回しているため。有名な『ウィリアム・テル』序曲にそっくりな部分もあります)。

レイ・デントン
 語り手がこの作家の小説を図書館で借りて読んでいます。デントンは英国のミステリ作家。歴史改変SFの『SS-GB』が有名です。個人的に、第二次世界大戦前後の改変SFが好きなので、前から気になっているのですが、絶版になっておりAmazonでも買えません。

アレン・ギンズバーグ
 妻が語り手に詩を書く仕事を勧める時、アレン・ギンズバーグみたいにすごい詩を書けというわけじゃないんだから、それぐらいできるでしょという文脈で使っています。ギンズバーグは、アメリカのビートニク詩人。ギンズバーグの名前も、アメリカのアート系の映画やドラマによく出てきます。詩人本人や作品への言及ではなく、スカしたことを言いたがる人に向かって「ギンズバーグにでもなったつもりかよ?」とからかうといったシチュエーションが多いです。『オズの魔法使い』といい、この短編集には、アメリカ文化の影響をストレートに感じさせる表現が多い気がします。

 今回は、文学系の作品名が出てこなかったので、ちょっと雑談風の文章になってしまいました。

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