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村上春樹の短編を読む 海外文学と音楽 その3 『TVピープル』

 村上春樹さんの短編小説を作中に登場する海外文学や音楽から読み解くシリーズの三回目です。今回は短編集『TVピープル』収録の作品についての前篇。

「TVピープル」

 不思議な話ですが、主人公を混乱させているTVピープルの存在を妻は気にもとめないという部分はわかる気がします。妻にとって、家庭はすでに興味の対象外になっているので、TVが出現しようが、ものがごちゃごちゃになっていようが、どうでもいいんでしょうね。同僚の家庭がそんな感じみたい。小説とは違い、一人が家に帰らなくなるようなことはなさそうだけど、砂を噛むような日々じゃないのかな。そんな空虚な日々の隙間に入り込むのがTVピープルなのか?
 
ガルシア・マルケス
 主人公は毎日、夕食の後でガルシア・マルケスの小説を読むそうです。ガルシア・マルケスはコロンビアの作家で、代表作は『百年の孤独』。個人的には、二十世紀後半の最も偉大な作家だと考えています(現代小説をロクに読まないのに、よく言うよと自分でも思うものの)。彼は普通の小説も書いていますが、大部分はマジック・リアリズム小説です。つまり、「TVピープル」では、幻想的な小説を読んでいる主人公が、TVピープルが蠢く非現実的な世界に入り込んでしまうわけです。マルケスの小説はとても面白く、没入感もすごいので、読んだ後には、現実が少し違って見えます。毎日、彼の小説を読んでいるうちに、主人公は別の世界に足を踏み入れたのかなと感じました。日本の都市の話なので、マルケスの描く世界とは全く異なる別の世界ですが。

「飛行機ーーあるいは彼はいかにして詩を読むようにひとりごとを言ったか」

 今書いていて思ったのですが、この題はキューブリックの『ストレンジラブ博士 あるいは私はいかにして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』へのオマージュでしょうか。

ヴェルディやらプッチーニやらドニゼッティやらリヒャルト・シュトラウス
『ラ・ボエーム』『トスカ』『トゥーランドット』『ノルマ』『フィデリオ』

 主人公が関係を持っている女性の夫がオペラ好きで、オペラのレコードを多数所有しています。前者はオペラの作曲者の名前、後者は作曲家別に並ぶレコードのタイトルを主人公が読み上げたもの。
 『ラ・ボエーム』『トスカ』『トゥーランドット』はプッチーニ、『ノルマ』はベッリーニ、『フィデリオ』はベートーヴェンのオペラ。あいうえお順に並んでいるみたい。

 村上さんの小説には東京の西側に住んでいるおしゃれな人たち(=私とは縁のない人たち)が登場するのに、なぜか友人知人を思い出すことが多いんですよね。田崎つくる君なんて、会社は違うけど、大学時代の友人と同じ仕事をしているし。

 「飛行機」を読んだ時も、「これって、X君の話かも?」と思ってしまいました。主人公ではなく、主人公に妻を寝取られた気の毒な男性のことなのですが。
 X君とは、東京文化会館にモーツァルトのオペラ『魔笛』を観に行った時に知り合いました。一緒に行った大学の先輩がX君と同じ会社で働いていて、その日のチケットを取ってもらったという縁でした。先輩はモーツァルトの大ファンだけど、オペラにはあまり興味がなく、X君と私がオペラ好き同士話が合うと思ったようですが、私が好きなのは、二十世紀オペラ。X君の方は、寝取られ夫と同じように、「ヴェルディやらプッチーニやらドニゼッティやらリヒャルト・シュトラウス」の優雅で美しいオペラが好きなので、ほぼ話が合いませんでした(シュトラウスは実験的・前衛的オペラも作っていますが、多分、X君同様小説の夫も、それらのオペラは聴かないと思う)。むしろ、どんなオペラか知っているだけに、「海人さんって、殺伐とした作品が好きなんですね」と半ば呆れられる始末。
 X君は、筋金入りのオペラマニアでした。日本の公演だけでなく、ウィーンやNYでもオペラを観ていますし、オペラチャンネルにも入っている。驚いたのは、X君がオペラのCDを収集していること。私には、映像抜きのオペラは退屈で。小説で妻が言っているように、長すぎると感じてしまいます。手軽に鑑賞できるDVDが発売されている時代に、CDを収集するってすごいことだと思いました。自分が実際に観た舞台を思い出しながら、または、観たことがない作品なら、脳裏に舞台を思い浮かべながら、演奏を聴くのでしょうか。それは、私のようなお手軽オペラ鑑賞法とは全く違う、別次元の楽しみ方であり、そんな風流な世界を知っているX君が少し羨ましくなりました。
 X君はオペラの観劇ブログを書いているので、それ以来、そのブログに時どきコメントを書き込んでいたのですが、数年前、そのやり取りを通じて、X君が結婚したと知りました。先輩の話では、若い娘さんと見合い結婚したとのこと。同世代で見合い結婚した男性って、初めて聞いたね…と先輩と話し合ったものです(地方では、まだあるのかもしれませんが。昔、二十代前半で跡見と和洋出身の子が見合い結婚しましたが、その時も、今どき見合い? と驚いた)。
 何だかX君らしい話だなと感じ、海外オペラ旅行や新国立劇場のオペラ全制覇などはやめるのかなぁと思っていたのですが、今も変わらず(例の自粛期間は除く)、コンスタントにブログを更新しています。子どもさんが産まれた後も。むしろ、オペラ以外の海外オーケストラのコンサートなどにも行くようになったみたいで、独身時代よりも更新回数が増えています。先輩の話では、今でもよくX君にチケットを取ってもらっているのだけど、どうも彼は常にソロでコンサートに通っているようだとのこと。
 それを聞いた時は、夫婦だからといって、同じ趣味を持たなきゃならないわけじゃないし、好きでもないことに付き合うよりは別行動した方がいいと思っていたのですが、村上さんのこの小説を読んで、まだ若く、幼い子どものいるX夫人は、夫のオペラ通いをどう思っているのか…と考えてしまいました。ただコンサートに一人で行くというだけでなく、夫が自分の立ち入れない世界を持っていて、そのことが可視化されているわけですから。余計なお世話だとは思うのですが。今の若い人は、夫婦別行動に慣れているでしょうし。村上さんの小説を読んでいると、古い時代の価値観に引きずられそうになることがありますね…。それとも、私がお節介なおばさんってだけかな。やれやれ。
 
 
 
 
 


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