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『ジェダイだってあの体たらく』創作日記④ 信頼できない語り手

 芥川龍之介の小説『藪の中』は、ある殺人事件をめぐり、関係者たちがそれぞれ証言するが、人によって話が食い違い、真相はわからずに終わるという作品です。黒澤明監督は、この話をもとに『羅生門』を撮っています。

 学生時代から好きな作品でしたが、ウィキでこの作品の研究史を読んで驚きました。中村光夫氏が「真相が与えられないことを事実が整理されていない点にもとめ、それを構成の不備であるとみなして『活字の向こうに人生が見えない』と否定的な評価を下した」のが始まりで、大勢の作家や研究者が、自分なりに推理した「真実」を語っているのだそうです。

 いや、真実も何も「人それぞれに見ている世界は違う。絶対的な真実などない」という話だよね? と私があっさり考えてしまうのは、私がポストモダン時代に生まれ育ったためでしょう。すべてが相対化され、誰もが納得するような大きな物語が消えた時代。『藪の中』は、時代を先取りした小説と言えそうです。


 ミステリ小説では、「人それぞれに見ている世界が違う」ことをうまく取り入れた作品が、二十世紀初頭から数多く発表されています。
 『藪の中』と同じように、ある事件について、複数の関係者が証言したり、手記を書いたりするのですが、それぞれ自分の視点で語るので、読者には、何が真実なのかわからない。中には、わざと嘘をつく証言者もいますが、本当のことを話しているつもりなのに、誤解や偏見から間違った証言をする人も多いです。

 『藪の中』と違うのは、矛盾した証言から、ずばり真実を見抜く探偵がいることです。現実の世界では、すべての謎が解き明かされることなどあまりなく、自分が得た答えが本当に正しいのかわからないことも多いです。答えのない世界に生きているので、真実を教えてくれる探偵たちに憧れてしまうのかもしれません。

 「証言者たちの話が食い違う」タイプのミステリ小説は、何が真実なのか、読者自身が推理することもできます。
 それに対して、探偵や探偵助手の一人称作品や、三人称であっても、探偵本人の思考だけが書かれる作品の場合、彼らの目が先入観や偏見、強い感情などで曇っていると、なかなか真実が見えてきません。読者には、語り手や探偵の目が曇っていることがわからないので、間違った視点から事件を見ていることに気付けないのです。

 よくあるのは、女性の犯人や女性の関係者を好きになったせいで、探偵が真実を見抜けないという話です。うまくはまると、ミステリとしての謎解きと真実を知った悲しみや喪失感がケミストリーを生み出して、何度も読み返したくなる名作ミステリが誕生します。
 逆に、途中で真相が見えてしまい、「いくら何でも、これを見抜けないなんて、探偵アホすぎやろー」と思ってしまう作品もあります。江戸川乱歩が愛した、ある海外ミステリなんて、女にだまされた間抜けな探偵が右往左往する話にしか思えず、私の中で、ミステリ作家としての乱歩の地位が大暴落してしまいました(幻想&怪奇作家としては、素晴らしい方だと思います)。

 京極夏彦さんのある作品は、「人それぞれに見ている世界が違う」という考えを体現したようなミステリです。過去のトラウマ等の理由で、"あるもの"が登場人物に見えないのです。初めて読んだ時は、「こんなトリックがあるのか!」と驚愕しましたが、今思うと、「認知の歪み」という概念を、非常にわかりやすく表現した作品だったと思います。

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 文学の世界にも、京極さんの作品のように、何かにとらわれて、認知が歪んでいる人たちが登場する作品があります。
 中でも、語り手がそうである場合は、「信頼できない語り手」と呼ばれたりもします。

 カズオ・イシグロの『日の名残り』も、信頼できない語り手による物語です。語り手&主人公の執事は、真面目で誠実な人……わざと嘘をつくような人ではないのですが、かつて仕えた主人を敬愛するあまり、主人に都合の良い形で、過去を記憶してしまっているのです。本当に起きたことと、主人公が記憶していることとのずれ、そのことにやがて気付いていく主人公の哀しみが書かれる作品です。

 物語の舞台になる大戦間の英国の状況が日本人にはわかりにくいこともあり、noteでこの小説の感想文を読むと、主人公の記憶している過去が、現実の過去とは違うことに気付いていない記事も見受けられます。
 「信頼できない語り手」という視点を持てるかどうかで、感想もまったく変わってくる……その視点がないと、ただのノスタルジー昔話になってしまいかねない作品だと思うのですが。

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 さて、芥川やカズオ・イシグロの小説について書いた後で、自分の作品について書くのはとても気が引けるのですが……。

 『ジェダイだってあの体たらく』の語り手&主人公、菊池も信頼できない語り手です。直江千佳が「盗撮犯には認知の歪みがある」と話していますが、菊池は非常に歪んだ形で世界を認識しており、それがわかりやすく表に出たのが盗撮なのでしょう。
 菊池の世界は、全方向で歪んでいるわけではありません。過去には付き合った女性もいますし、勤務先では部長にまでなっているので、常識的な部分も多い。ただ、夫に不倫されても離婚せず、スピリチュアルな世界に逃げてしまった母親を恨む気持ちが強いために、母親と同じように夫の不倫後、離婚を選ばなかった直江千佳に強い偏見を持つことになります。

 また、自分が盗撮をしてしまったという負い目があるので、過剰なほどに、他人の闇を受け入れてしまう性格でもある。寺田の過去を知っても、彼女を突き放せず、彼女が語る身勝手な理屈を受け入れてしまうのです。
 そういう菊池が語る告白録なので、偏見と歪みのある話が語られ、その後、語り手が自分の歪みに気付く、という話にする……つもりでしたが、読み直してみると、あまりうまく書けていない……。私の力量では、ハードルが高すぎるチャレンジでした。

 寺田の方は、認知の歪みというほどではなく、何でも自分の都合の良いように話す女性です。自分の話すことを全部信じきっているので、嘘つきには見えません。
 女の方なら、身近に一人はいると感じるタイプではないでしょうか。自分の感情に忠実な人なので、世間話をする程度なら、楽しい相手なのですが。

 菊池のように認知が歪んだ男性だけでなく、普通の男性でも、こういう女性の話を鵜呑みにしてしまう人はけっこういますよね。付き合い始めた後で、こんなはずではなかったと気付く羽目に。夫がかわいがっていた部下は、結婚までしてしまい、結婚期間(数ヶ月)より長い離婚調停期間を経て、彼女から解放されました。

 
信頼できない語り手という命題に一応チャレンジした作品です。今は、主人公が自分の中の歪みに気付いたあたり。もう少しで完結。

 

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