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歴史改変小説を読む ifの世界線

 数日前にフィリップ・ロスの『プロット・アゲンスト・アメリカ』を読み終わりました。

ありえない。まさか。合衆国大統領だなんて。

1940年、もしもヒトラーの友人で反ユダヤ主義者のリンドバーグが米大統領になっていたら……。
ありえたかもしれないファシズム擡頭をひとりの少年の目から描くフィリップ・ロスの傑作。

集英社のHPより

 出版社の解説にあるように、1940年のアメリカ大統領選挙でルーズベルトではなく、リンドバーグが大統領に選ばれていたら、というifの世界を書く小説なんですね。

 ifの世界=架空の世界線を書く小説を「歴史改変SF」と呼ぶようです。SFとはいうものの、他ジャンルの作家の小説も多いのが特徴です。フィリップ・ロスも、現代米文学界を代表する作家の一人でした。

 私は、ディストピア小説=自由がなく、抑圧された世界を舞台にした小説が好きです。ジョージ・オーウェル『1984年』やオルダス・ハクスリー『すばらしき新世界』といった古典から、最近話題になったマーガレット・アトウェル『侍女の物語』まで、ディストピアが舞台だと聞くと、読まずにはいられません(ディストピア映画も好き、というか、ディストピア好きはもともと映画やゲームから始まったのですが、今回は省略します)。

 歴史改変SFを好きなのも、その流れです。中には、「現実よりも良い世界」「あの時◯◯していれば、こんなに素晴らしい世界だったかもしれない」を書く歴史改変SFもあるのかもしれませんが、まだ読んだことがないです。普通は、歴史改変SF=ディストピア小説なので、読んでみたくなるのです。

 今回は、その中でも『プロット・アゲンスト・アメリカ』と同じ、第二次世界大戦前後の世界を舞台にした歴史改変SFを二作紹介します。

フィリップ・K・ディック『高い城の男』

 最も有名な歴史改変SFの一つで、数年前にはAmazonでドラマ化もされました。第二次世界大戦で枢軸国側(日本・ドイツ・イタリア)が勝った世界が舞台です。アメリカ合衆国は、西海岸が日本占領地、東海岸がドイツ占領地、中央部が緩衝地帯となっています。
 『プロット・アゲンスト・アメリカ』もそうですが、歴史改変SFの中には、「何かが少しずれていたら、本当にこんな世界だったかもしれない」と感じさせる作品も多いです。その点、ディックのこの小説は荒唐無稽です。ヨーロッパからもアジアからも離れ、国内資源や人的資源が豊富なアメリカが戦争に負けるなんてあり得ないでしょう。

 この小説の読みどころは、暗く抑圧された世界でも信念を曲げずに生きる人たちの姿です。また、「アメリカが勝利した世界が舞台の小説」を書く「高い城に住む男」がいたり、実はその小説の中の世界が真実の世界であると仄めかされていたりと、この世界のはかなさ、不確実性を感じさせる世界観もいいです。
 個人的には、村上春樹さんの『1Q84』は、オーウェルの『1984年』よりもディックのこの小説に影響を受けているのでは?と考えています。二つの世界(パラレルワールド)、それを結ぶ小説、世界の不確実性などなど、共通点がとても多いので。
 余談ですが、村上さんの小説とのつながりでいうと、ディックの『流れよ我が涙、と警官は言った』も『1Q84』に影響を与えていそうです。こちらも、パラレルワールドが登場する話ですし、『1Q84』にはこんな文章があります。

婦人はトレーニング用のジャージの上下に身を包み、読書用の椅子に座り、ジョン・ダウランドの器楽合奏曲『ラクリメ』を聴きながら本を読んでいた。

村上春樹『1Q84』より

 これは、主人公の青豆が老婦人の家で話し合いをするシーンです。老婦人の聴く『ラクリメ』は、ダウランドのリュート曲『流れよ、わが涙』の器楽合奏バージョンなのです。もちろん、ディックの小説の題名はこの曲にちなんでいます。


ジョー・ウォルトン『ファージング三部作』

 『英雄たちの朝』『暗殺のハムレット』『バッキンガムの光芒』と続く三部作です。第一作の『英雄たちの朝』はミステリー小説でもあり、日本でも『このミステリーがすごい』でランクインしました。
 この三部作は、イギリスがドイツと単独講和をした世界が舞台です。ナチス幹部だったルドルフ・ヘスが単独飛行でイギリスに降り立つという事件があったのですが、現実では捕らえられて監禁されたヘスが、小説では、講和を成功させたという設定になります。
 イギリスが参戦しなかったので、ヨーロッパはドイツの領土になり、平和を保ったイギリス本土でも、次第に自由や差別が横行することになります。

 この三部作の凄みは、圧倒的なリアリティです。映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(主演のゲイリー・オールドマンやメイクのカズ・ヒロがアカデミー賞を受賞)では、非戦派ばかりの政界で、ドイツと戦うことを主張するチャーチルの孤独な戦いが描かれましたが、チャーチルを理想化しているわけではなく、実際に、当時のイギリスには戦争を嫌がる雰囲気、ドイツと戦いたくない雰囲気が蔓延していたのです。
 イギリスは第一世界大戦で、多くの人的損失をこうむりました。多くの若者が亡くなり、更に多くの若者が戦争の後遺症に苦しみました。大戦間のイギリス小説では、ミステリーも含めて、戦争で精神を病んだ男たちが多数登場します。それからまだ二十数年しか経っていないので、戦争の悲惨さが庶民だけでなく、政治家の心にもしみついていたのでしょう。
 また、歴史的に隣国・フランスを嫌う人も多いですし、ソ連やユダヤ人を疎む空気もあったはずです。退位した前国王エドワード8世など、親ドイツ派の有名人も少なくありませんでした。もちろん、ドイツのユダヤ人政策が正しく伝わっていれば、非戦論は消えたはずですが、「そこまでひどいことにはなっていないだろう」と、受け止められていたのでしょう。
 結果的に、小説の世界線では、イギリスはフランスやユダヤ人を見捨てます。ドイツと距離を置くつもりだったのに、次第にナチスに取り込まれてしまう…。その経緯がとてもリアルでした。
 ディストピアは、すぐそこにある。私たちの選択次第では、この世界がディストピアになってしまうのだ。そんな風に感じさせる小説でした。


 私は大学で日本近代史を専攻したのに、現代史が苦手で知識にも乏しいので、本当に歴史学専攻だったのか疑惑を家族に持たれているほどです。
 そんな私が第二次世界大戦期の世界情勢について調べてみる気になったのは、歴史改変SFのおかげです。一度理解してみると、その時期の問題は、今の世界を知る上でも欠かせない、また、世界の現代小説を読む上でも役立つことが多いとわかります。
 読んで楽しいだけでなく、知識も身につく歴史改変SF。これからも、このジャンルの小説を読んでいきたいです。


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