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2023年5月読書記録 海外文学・歴史篇 ロシアのアネクドート、フランスの国民作家

 今月は青空文庫の作品を多めに読んだので、読書記録を二回に分けます。

網野善彦『海と列島の中世』(講談社学術文庫)

 歴史学者である網野善彦先生の講演をまとめた本。
 ネットで網野先生の名前を検索すると、まず出てくるのが『もののけ姫』との関係です。『もののけ姫』の世界観は、網野先生の歴史観に基づくものなんですね(宮崎駿監督と対談もなさっています)。
 先生の歴史観を一言でまとめると、「日本には、農民以外の庶民も大勢いたのだ」ということになるかと思います。中世や近世の庶民といえば、その土地に定住し、米の年貢を払って生活する人たちのイメージが強かったのですが、網野先生は、職人や芸能民といった非定住民の存在を明らかにし、また、農業に従事する者であっても、商業や水運業、手工業など農業以上に稼げる副業を持つ者が少なくなかったと主張なさったのです(今では、これが定説になっています)。

 『海と列島の中世史』は、その中でも特に海運業に携わる人たちについての講演をまとめた本です。
 鉄道網・道路網が張りめぐらされた今では想像するのが難しいですが、明治時代までは、日本では、荷物は船で運ばれていたんですよね。特に、日本海側の港町は、北前船の寄港地として、非常に繫栄しました。…といったことは何となく知っていたのですが、今回、改めてこの本を読んだのは、夫の先祖である蠣崎波響を取り巻く環境を知るためです。

  波響は北海道にあった松前藩の家老だったのですが、この本を読んで、北海道の道南地方(今の函館周辺)が交易によって日本海側の諸都市や更に京都とも密接なつながりを持っていたことがわかりました。
 波響は、絵画を丸山応挙、漢詩を菅茶山に学んでいます。これは、今の日本に例えると、絵を天野喜孝さん、詩を谷川俊太郎さんに習うような話です。小藩の家老にすぎない波響が一流の師匠に学べたのは、北海道にあった松前藩が文化的に京都の影響下にあり、京都の文化人人脈ともつながっていたためだと思われます。
 また、松前藩は一万石の石高と言いながら、実は貿易によって表向きの石高よりもはるかに多い収入を得ていたこともわかりました。そのため、一時、松前から福島県の梁川に転封された時には、藩をあげて松前への復帰運動をくり広げるのです。米の生産高だけ見れば、北海道の南部よりも福島県の中通りにある梁川の方がいい場所に思えるのですが、貿易の収入を失うわけにはいかなかったのでしょう。
 波響の後半生は、松前への復帰のための政治工作に費やされます。家老としての激務のせいで、絵を描く時間が減ったはずですが、一方では、政治工作の一環として、当時の有名政治家や文化人と交流することもできました。
 夫の先祖ということで興味を持った人ですが、文化人としてだけでなく、政治家としての蠣崎波響にも興味がわいてきたので、また別の本も読んでみたいです。

ミハイル・ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ 上』(水野忠夫訳・岩波文庫)

 ロシアの作家であるブルガーコフが1929~40年にかけて執筆した長編小説です。ロシア版のマジック・リアリズムという評を読んで興味を持ったのですが、ロシア的なアネクドート(滑稽な小話)がこれでもかというぐらいに語られる作品だなぁと感じました。
 ドストエフスキーの小説にも、奇想天外なアネクドートがよく出てきますが、他の文化圏なら「大げさなほら話」で片づけられてしまうものが、現実の風刺に転化する(この本も発禁処分を受けています)のがロシアという国なのでしょうね。部外者には理解できない部分もありましたが、人の想像力の限界を試すような壮大な物語としてだけでも面白かったです。
 Amazonのセールで上だけ購入し、その後「積読本を読み終えるまでは、新しい本は買わない」と決めたので、下を読むのはいつになることやら。


プルースト『失われた時を求めて6 ソドムとゴモラ1』(井上究一郎訳・グーテンベルク21)

 寝る前に毎日20ページずつ読んでいる小説です。タイトルにある「ソドムとゴモラ」は聖書に出てくる街の名前。同性愛が盛んだったので、神の怒りにより滅ぼされたとされる街です。
 そんな街の名前がタイトルになっているのでもわかるように、主人公は同性愛者に偏見を持っています。女性の同性愛者の方は、「自分の彼女が女友達と同性愛関係にあるかもしれない」と悩んでいるので、偏見も仕方ないと感じますが、若い青年(未成年ではないです)を偏愛する貴族の男性への揶揄するような眼差しは…。
 「プルーストって差別主義者ね」と思いたくなる描写ですが、実はプルースト自身もゲイなんですよね。主人公は、作者とは違い、異性愛者という設定なので、当時の異性愛者には、同性愛者はこんな風に見えていたという、現実を書いただけなのかもしれません。
 同性愛者を小説に登場させるだけでも、勇気のいることだったのでしょうか(英国では、同性愛が犯罪だったので、E・M・フォスターは、自分の体験に基づく同性愛者の恋愛小説を生前出版することができませんでした)。


バルザック『ラブイユーズ』(國分俊宏訳・光文社古典新訳文庫)

 「共感度ゼロ!フランス文学史上最強の悪党 クズ、参上!」というのが光文社のHPに出ている紹介文ですが、バルザックって、ただただ不快なだけの悪人を書くのがうまいんですよね。魅力的な悪人は、ドストエフスキー等の作家の小説にも出てきますが、バルザックの場合、不快なだけの悪人を書いているのに、次どうなるかが知りたくて、作品を読み続けてしまうのです。並の作家だと、ここまで不快な人物を登場させたら、読者に見限られてしまうでしょう。
 また、バルザックは、今も名前が残る文豪の中では最も多作な作家の一人でした。想像力が豊かで、発表の場にも恵まれていただけでなく、絶えず借金に追われていたので、書き続けなければならなかったのです。なので、時には推敲していないなとわかる間違いや辻褄の合わない箇所もあるのですが、それが気にならないほど面白い小説が多数あります。有名作は二十世紀のうちにほぼ翻訳されていて、今は光文社・筑摩書房・岩波書店などから有名ではない作品や本流ではない作品、短編などが翻訳されていますが、どれを読んでも面白く、バルザックの新たな側面が発見できます。
 村上春樹さんも、フランスの国民作家として、フローベールとともにバルザックの名前を挙げていらっしゃいました。特に光文社の翻訳は、時代背景などの解説も詳しいので、フランスの歴史よく知らない方にも読みやすい作品が揃っています。




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