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2024年4月読書記録 川端、太宰、ドストエフスキー

マリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では』(東京創元社・酒寄進一訳)

 ドイツミステリーの翻訳者として有名な酒寄進一さんが編集した短編集です。日常に忍び寄る不安や孤独、悲しみ。それらの感情が引き起こす出来事を淡々と描く物語が多いです。リアリズムのまま幕を閉じる話もあれば、薄い壁を越えて、非現実の世界に向かう話もあります。
 村上春樹さんの短編には、女性が主人公の作品もいくつかありますが、それと似た雰囲気の作品がこの短編集にはいくつかありました。女性の不穏な気分が世界に影響して、ファンタジーめいたり、ときにはホラー的なことが起きる。女性の感情が非常にリアルで胸に迫るので、その後の展開を何の違和感もなく受け入れることができます。私が生きるこの現実も、一歩足を踏み外せば見知らぬ世界となるのだろう。そう感じさせてくれる短編集でした。


ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新約文庫・亀山郁夫訳)

 この小説を読むのは三度目です。高校時代に読んだ時には、それなりに面白く読めたものの、こんな極端な人々は、現実にはそう違いないだろうと感じたものです。確かに、ドストエフスキーは人間をデフォルメして書くタイプの作家だとは思います。ある人物の特徴的な部分を繰り返し描写したり、その部分だけを強調し、誇張したりするので、人間ではなく、神か巨人の話を読んでいるようにさえ思えるほどです。
 ただ、今読むと、特徴を強調されたドストエフスキーの登場人物たちが、非常に現実的に感じられます。これは、私の読み方が変わったからではなく、ネットのある社会に変わったためだと思います。ネットの世界では、人々の感情はよくも悪くも増幅されます。現実の世界ではありえないほど極端なことが語られ、極端な反応が起きます。ネットで見えるのはその人物のごく一部でしかないのに、それがその人物の全体像だと錯覚してしまうこともあります。そんな時代にドストエフスキーの長編小説を読むと、現実の写し絵であるかのように感じるのです。21世紀に入り、ドストエフスキーの人気が高まったのは、仮想空間の成長を抜きにしては語れないと思います(ドストエフスキーの長編小説の中でも、この『カラマーゾフの兄弟』と『悪霊』が特にネットの世界とリンクする作品だと思います)。


川端康成『古都』(新潮文庫)

 昔、沢口靖子主演のドラマ『古都』を観ました。京都の風景は美しかったですが、つまらないメロドラマだなと思ったものです。今回読んでみても、ストーリーとしては淡い恋愛と近代化に抗う老舗の主人の小さな葛藤が書かれる程度で、実際たいしたことはないと思います。川端康成は、ストーリーで勝負する作家ではないので、ストーリーを追いがちだった昔の私には向かない作風でした。
 この小説の読みどころ、一つは京都の四季折々の風物の描写です。三月に、久しぶりに京都を訪ねて、人気の観光地を歩いたので、その時のことを思い出しながら読めました。川端は、近代化の波に呑まれる京都の街を惜しんで、この小説を書いたようですが、川端の心配ほどには、京都は変わっていないと思います。この本を読めば、京都に行ってみたくなるはずですし、ある程度は小説の情景をそのまま再現する旅ができそうです。
 もう一つの読みどころは、主人公の父親、西陣織の問屋の主人を通して表現される川端の美意識です。伝統を大事にしながらも、娘に教わったパウル・クレーの絵を帯の下絵に取り入れる新しさもある彼の姿に、京都の呉服店の息子だった尾形光琳の影響を感じました。この部分は、日本と西洋の絵画に造詣が深ければもっと興味深く読めたでしょう。個人的には、学生時代に西陣問屋の娘が「◯◯の家はうちの家来筋やねん」などと自慢するのを見ていたので、この小説に書かれた西陣との違いに相当違和感がありましたが(生粋の京都人って、そんな自慢をしては京都の外れや郊外に住む人を見下すのです。私は大阪府民だったので、見下しの対象外でしたが)。
 現実の京都ではなく、川端康成の頭の中にある京都を書いた、美しい幻想小説として読めばいいのかなと感じました。
 


青空文庫では、太宰治の小説『不審庵』『花吹雪』『佳日』『散華』『新釈諸国噺』を読みました。

『不審庵』は、『黄村先生言行録』シリーズの一つです。井伏鱒二がモデルなのか? 変わり者で突然奇妙なアイデアを思い付く黄村先生に、太宰っぽい語り手や学生たちが振り回される様を書いた楽しい小説です。作中、佐藤一斎の漢詩が出てきますが、三鷹にある太宰治展示室に飾ってあった掛軸の漢詩と同じものでした。太宰はこの漢詩が好きだったようです。

佐藤一斎の漢詩

『花吹雪』も、黄村先生シリーズの一篇ですが、森鴎外の随筆が登場します。太宰は森鴎外に憧れて、鴎外が翻訳した作品をさらに翻案したり、鷗外と同じ場所に墓を作って欲しいと願ったりしています(実際に、二人の墓は同じお寺にあります)。作家としては鴎外の文体をリスペクトしていたようですが、人としての鷗外にも憧れがあったようです。剛毅な侍のような人、自分とは全くタイプが違うけれど、自分のような者でも懐深く受け入れてくれる……そんなイメージを鷗外に持っていたようです。石川啄木も鷗外を慕っていますから、破壊的な作家を惹きつける魅力があったのでしょう。小説では、太宰が鷗外の真似をしようとして失敗してしまう話がコミカルに語られます。この時期の太宰は、自分をネタに面白い話を書くだけで、後期の作品に見られる自己憐憫は全くありません。私は、あの自己憐憫が苦手なので、この時期の作品が好きなのだと思います。

『佳日』『散華』は、戦時下に生きる人たちを書いた作品です。人々の慎ましい生活や自己犠牲を笑いも交えながら、格調高く書いているのに、戦争を賛美する描写は一切ありません。大きな物語ではなく、人々の気持ちや感情を写し取ろうとする姿勢。作家としての太宰の良心を感じさせる作品でした。特に『散華』の方は、その当時の太宰の心境が非常によくわかります。太宰が好きな方にも、苦手な方にも読んでいただきたい小説です。

『新釈諸国噺』は、井原西鶴の短編を太宰が翻案した作品集です。太宰は西鶴を非常に評価していました。モーパッサンよりも優れていると書いてあったので、近代の短編作家の最高峰であると考えていたようです。
西鶴といえば、最近読んだ『好色五人男』と昔、国語の授業で学んだ『日本永代蔵』しか知らないのですが、非常に幅広い作風だと、この作品集を読んでわかりました(太宰は、西鶴の好色ものが嫌いなので、この作品集にも選んでいません)。人の心が引き起こす事件を書いた作品が多いですが、人情ものやファンタジー風の作品もあり、登場人物の背景も多岐に及びます。まるで『今昔物語』のような説話集を読んでいるようでした。良い作品を書くために、太宰が古今の小説を熟読していたことがわかりました。


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