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対談 〜パラアイスホッケー銀メダリスト 上原大祐氏〜(前編)

世の中にはさまざまな社会貢献活動があり、志を持って取り組む方が次々といらっしゃいます。その想いを伺って一人でも多くの方にお届けすることは、「まること」(丸く、穏やかで、循環的な状態の表現)の世の中の実現に向けて取り組む神道黒住教として有意義であると考えます。
7月6日、パラリンピック三大会に出場し、現在は啓蒙活動等に取り組む上原大祐氏を神道山にお迎えして、そのお考えや目標などについてお話を伺いました。その要旨を前編と後編に分けて紹介させていただきます。
【上原大祐氏 略歴】
バンクーバーパラリンピックでは銀メダル獲得。引退後はNPO法人D-SHiPS32を立ち上げ、パラスポーツの推進や商品開発、自治体等のアドバイザーなどを務める。

(文責: 在日新社)

黒住: 上原さんには、令和元年の年末に行った「紡年会」から1年半ぶりに神道山にお越しいただきました。それからも岡山には何度か来られていますよね。

上原さん:今年3月20日、岡山でパラスポーツ大会の第1回目としてボッチャ大会がありました。39チームが参加して200人くらいが集まって下さり、岡山の皆さんにはパラスポーツに随分興味を持っていただきました。この時に出た人の中には、ボッチャの審判講習会に行ってきた人もいるそうで、自分が目指している「パラスポーツの日常化」「身近にあるパラスポーツ」が岡山で見えるところがすごく楽しいです。

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黒住: 岡山市民として嬉しいことです。岡山は元々、石井十次さんや旭川荘など、医療や福祉の先進地でもあります。そういう面では、岡山自体が歴史的に強くて深い雰囲気があるのかと思います。私も、3月20日は黒住教のメンバーで大会に出ました。初めてのボッチャはビリヤードのようで、パラスポーツでくくる必要はない、健常者だけでやっても面白いと感じました。
パラスポーツに限らず、障がい者に向けて考えられたものは、その人たちのためだけのものではなかったという気付きがありました。例えばライター、ストローなどの身近な道具も元々は障がい者向けに作られたとか。

上原さん: そうですね。マッチは両手が必要で、ライターは片手でできる。寝たままでは水分を取れないのでストローを使う。結果的に誰でも使っています。その観点で言うと、健常者向けのものは健常者のみだけれども、障がい者向けのものは誰もが使えると思っています。
バリアフリー設備も障がい者しか使わないわけではないんです。本来はすべての人が使うもの。それなのに何故か障がい者のためにある、と思われがちで、その固定概念が強いと考えています。

黒住: 「ここはまだ伸びきっていない。もっと柔軟になってほしい」ということは何がありますか?

上原さん: 「障がい者向けに何かを作ると障がい者にしか使えない」と思われているから、「ターゲットが少ない。売り上げが上がらない」と勘違いしている企業がまだたくさんありますね。先程のライターやストローの話のような商品を開発したら、売れないということはないと思います。それから、日本ではデザインをするときに当事者である障がい者がいない状態で作る印象がとても強いです。例えば新幹線。JR東海の16両編成は、1000人くらい乗れるのですが、車イス向けの席はたった2席です。しかも、そこを健常者が使っていたりします。席を増やそうと新らしい車両が出来たけれども、実際には車イスのマークがついてるスペースがあるだけで、テーブルもなく、車イスを止められるだけなんです。弁当を食べられない。仕事もできない。作る時に当事者を入れていないんです。

今までで一番成功したパラリンピックといわれているロンドン大会のデザインをした人と話したことがあって、「ロンドンでは、Withデザイン・Byデザインの2つの考え方で、当事者と作る。当事者基点で作った」そうです。その点、日本はまだまだです。私の地元の長野県では令和10年に国体をしますが、スタジアムを建て替えるから意見が欲しいと言われました。ですが、その時にはもうデザインは決まっていて、ただパラリンピアンの意見を聴きたかっただけという感じでした。デザインはもう変えられないけれども、意見を聴いたという事実を作るために、です。

黒住: 地方では、上原さんのような方ばかりではありません。当事者の生の声をきちんと聴こうという姿勢が大切ということでしょうか?また、それは誰に聴いても一緒なのでしょうか?

上原さん: 良いご質問です。当事者に聴くといっても、例えば障がい者団体の代表をしている健常者に聴いたりすることもあるのです。ですが、それでは本当の当事者とは言えない。いろいろな経験を通じて課題とアイデアをしっかりと言語化きる当事者が必要なんです。単純に障がい者がいるだけのWithとByではなくて、ちゃんと議論できる人を入れて、初めて成り立つのです。

黒住: 両方の歩み寄りが必要な感じがします。

上原さん: そうですね。健常者によるデザインの考え方の成長と、そこに関われる障がい者を育てるという成長。一方的に、健常者が意見を聴こうとするだけでは不十分なんです。障がいのある人の側からも働きかけて、知識や論理的な説明力を身に付けて、初めて聴いてもらえるのです。

黒住: ダイバーシティ(多様性)や宗教格差の問題も、他の事も皆同じですね。大事なもの、譲れないものがそれぞれにある上で、他者を受け入れる。理解のための歩み寄りが必要だと思います。

それはバリアフリーや障がい者の課題だけの話ではない、普遍的な話だと考えます。例えば、地域の中での住民格差、高齢者と若者、年齢・性別・境遇の違い、日常的なところにも分断は生じるわけで。

上原さん: 日本社会はそうして何でも分けたがっていると思います。分けてしまうから、歩み寄り方やコミュニケーションの取り方がなかなか分からない。だから、むしろ離れるような、ネガティブな意味での「今時の若者は…」などの言葉が出てくる。

世の中では「共生社会」の大切さが語られていますが、それは「共有社会」から生まれると思っています。感動や楽しいという感情を、同じ場所・同じ時間で共有することで、共生社会は勝手に作られていくと思うのです。

少し前から「東京2020」に向けて、共生社会を作ろうとものすごく盛り上がっています。私もアドバイザー等として行きますと、「目隠し体験や車イス体験をします」とよく言われますが、私はそれは良いとは思っていません。それでは、「障がい者は大変な人」という認識で終わるんです。だから「パラスポーツをして場所と時間を共有して楽しく学ばせてほしい」と言います。「大変だね」ではなく、「すごいね」で引き寄せて共生社会を作ればいいのに、離れさせるような活動が日本に多いのです。何事もネガティブ体験よりポジティブキャンペーンの方が良いのです。

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黒住: ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という取り組みがありますよね。真っ暗闇の中に入る体験をする。私も何度も経験しています。付き添ってくれる盲目の方を「暗闇のスペシャリスト」と表現しますが、初めて聞いた時、すごく感動しました。これは車イスユーザーも同じだと思います。かわいそうな人ではなくて、車イスのスペシャリスト、プロ車イスドライバーっていう。
「すごい」「自分にはない力を持っている」という理解とリスペクトの想念が増えていく世の中になっていかないといけないなと感じます。
他者に興味や好奇心を持つことは、世の中を良くする第一歩ではないかと思います。

上原さん: 興味を持たないと人は声を掛けません。町中で困った人に声を掛けるランキングでワースト入りしているのが日本です。以前、ベビーカーを押す人のサポートをしていた人は、外国から来ている観光客でした。日本人は見て見ぬふり。あれは、自分事が他人事に変わっているのだと思います。自分がベビーカーを押している時に「誰か助けてくれないかな」と思っていても、その日々を卒業すると助ける側にはならない。

黒住: 助けてもらった経験があれば、助けるようになると思います。助けないその人自身が視野の狭い寂しい人なのではなく、助けられた経験がないだけ。助けてもらったことのある人が助ける側に回る、その良い循環のスイッチを入れる瞬間を増やしていきたいですね。
また、「助けようとして断られたら嫌」ではなく、「断られても声を掛けるその姿は素敵だよ」という風潮が出てきたら、必ずしも助けてもらったことがなくても助け始める人が増えれば、新しい風が吹くような気はします。

上原さん: 少しずつ声を掛けてくる人が増えています。けどもう少しほしい。海外だとバンバン声を掛けられます。

黒住: どういうときに声を掛けられるのですか?

上原さん: スーパーで高いものに手が届かない時とかですね。私は二次元(平面)でよく動けても、三次元(縦)には弱いんです(笑) また、階段の前にいる時、単にそこで道に迷っているだけかもしれないのに、「上がる?」と尋ねてくるんです。「はい」となると、その人が仕切って周りの人に声を掛けて即席のチームを作って持ち上げてくれます。
一方で国内ではそういうことはほぼありません。例えば車イスユーザーが利用する最寄り駅にエレベーターが無ければ、私たちはわざわざ向こうの駅を使ったりするのです。更にそこで「エレベーターを付けてほしい」と要望すると、「わがままだ」と思われることがあるのが今の社会です。

黒住: 「何故、健常者が困っている人のために自分のお金や時間などを割かないといけないのか?」という見解ですね。でも、エレベーターがあったら、皆使いますよね。

上原さん: バリアフリーは障がい者のためにあるという固定概念がまだまだ日本にあるのです。でも、重い荷物を持っていたりベビーカーを押していたら、誰だって使うと思います。全ての人が便利になるものなのに、障がい者のために何故お金を使うのかという話になっている。

「バリアフリーは障がい者のためではありません」と言いたいですね。世の中にはいろいろな固定概念がありますが、実は、先入観を取り外して少しシンプルに考えたら分かるようなことで溢れているんですね。

黒住: そういった課題解決のためにも、私も教育や社会啓発の観点で、黒住教の立場からも教義や哲学を発信していきたいです。

(後編へ続く)

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