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父ちゃんの分まで

僕は中学2年生の時に事故で父親を亡くしています。父は即死でした。とても優しい父でした。

中学2年、5月18日、土曜日、その日僕はサッカーの練習で朝5時に起き自転車で1時間かけて河川敷の練習場に行きました。
僕が起きる頃には父ちゃんは仕事でいませんでした。
朝4時30分ごろにバイクで仕事に行っていました。
父ちゃんの仕事はパン屋さん、昔はケーキ屋さんなどもやっていました。手先が器用で小さい頃は一緒に絵を書いたりしていたのを覚えています。

6時30分からサッカーの練習が始まりその日はフィジカルトレーニング、練習から30分くらいだった時でした。コーチから「りゅうのすけ!ちょっときて!」と呼ばれすぐにコーチの元に行きました。

コーチ「お父さんが事故にあったらしい」

父ちゃんがバイクの運転が上手いのは知っていました。頭の整理が付いていないまますぐに服を着替え、コーチの車で病院に行く準備をしていました。その時ケータイに電話が来ました。母でした。ほとんど聞き取れないほど泣いている母の声の中「はやくきて」とだけはっきり聞こえました。当時14歳だった僕は、母の震える言葉に圧倒され状況を聞くこともできず、初めて聞く大泣きした母の声に「わかった」と答えることしか出来ませんでした。そして一気にことの重大さに気づき、そのときは、今まで味わったことのない焦りと緊張が体全体を覆っていました。
最悪の状況が頭に浮かびました。

でも大丈夫だろう。父ちゃんは運転はうまいから。
そんな事を自分の頭に言い聞かせながらも、涙が止まりませんでした。

コーチの車にのり病院に向かう20分、父ちゃんとの思い出ばかりを振り返っていました。よく父ちゃんのバイクの後ろに乗り毎週出かけていたひとつひとつの思い出が頭に浮かんでいました。

病院の白くてとても長い通路

病院に着くと、送ってくれたコーチは僕にかける言葉も見つからなかったのか、戸惑っていたのも覚えています。誰も父ちゃんの状況を教えてくれない、でも誰にも確認したくありませんでした。答えを聞くのが怖かったからです。病院に着くと、案内してくれる看護師さんがすぐに「こちらです」と声をかけてきました。
人が誰もいなくて妙に静かな白くて長い長い通路を歩き、1番奥の部屋につきました。

大きな扉の部屋でした。

その部屋の中の状況は僕の人生の中で1番の衝撃でした。


広くて真っ白な部屋の真ん中に、救急車のストレッチャーに乗ったまま白い服を着て亡くなっている父親の姿でした。

そして周りには、じいちゃん、ばあちゃん、母、兄、全員が泣きながら父の周りを囲んでいました。

その瞬間に全てを理解し体の力も抜けその場に泣き崩れました。「なんで!起きてよ!!」と言い続ける家族、唇が紫色になった父の姿、これが現実なのかと本当に思いました。だって昨日まであんなに普通にしてたのに。昨日もいつも通り夜ご飯を食べていた、いつも通り無口で、いつも通りテレビを見ていた父ちゃんがもう起きることはありませんでした。

頭が真っ白になり、その場から動けなくなりました。泣いても泣いても涙が止まりませんでした。今起きていることは現実なのかと自分の頭で何回も考えました。その日は、一つ一つの父ちゃんとの思い出を思い出して、泣いて、思い出して、泣いてを繰り返していました。


死因は車と父ちゃんの乗るバイクの事故で、車に乗る19歳の大学生の不注意による事故でした。

この気持ちはどこにぶつければいいのか、何もできなかった、なにも言えずにいなくなってしまった。もっと親孝行したかった。悔しくて、悔しくて、寂しくて、悲しくて、いろんな感情に押しつぶされて、しばらく学校もサッカーも行かなくなりました。

母もご飯がほとんど食べれなくなり、家族全員がしばらく落ち込んでいました。
事故から2週間くらい経ち、最後の父ちゃんとの会話を思い出しました。事故の1週間前にサッカーの大会で僕が点を決めたときの話でした。

父「やったな!帰ろうとしたらシュート決めたからびっくりしたよ!」興奮気味に話してきました。僕は「まぁね。」と一言返しただけでしたが本当はすごく嬉しかったです。大好きなサッカーをして、それをいつも見てくれていました。父ちゃんは僕が好きになったことを一緒になって楽しんでくれる人でした。

いつまでも落ち込んでてもしょうがない、サッカーだって他のことだっていっぱい経験して父ちゃんにその姿を見せると決めました。
だから今も大好きなサッカーをやっている姿や、他のことでも僕が全力で頑張っている姿を父ちゃんは見てくれていると思っています。サッカーは大学に入った今でも頑張っています。サッカー以外でもたくさん学んでたくさん経験して精一杯生きていきます。

無口だったけど、なんでもできて優しくて、時には厳しく、どっしりと構えていて、かっこいい父親でした。

知っておいて欲しいこと

もう事故から6年経とうとしています。

父ちゃんの死後、葬式で亡くなった父ちゃんに向かって母ちゃんが「愛してるよ、ありがとうね。」と言った最後の言葉がずっと僕の頭の中に残っています。
母ちゃんは普段は絶対に言わない言葉ですが、その言葉はとにかく純粋でなんの濁りもありませんでした。
僕も同じ思いでした。

僕も19歳となりました。事故の怖さ、1日の家族と過ごす大切さ、当たり前が一瞬でなくなるかもしれない事を覚えておいてもらいたいです。
なんでもない日に感謝を伝えたり、幸せを感じてください。

そして当時、心配をして僕に声をかけてくれた先生や友達、とても助けになりました。

僕は父ちゃんを亡くし、父ちゃんの分も全力で生きると決めました。

色々なことに挑戦して、経験して、父のような寛大な人間になりたいと思っています。

みなさんも誰かが生きたかった、生きれなかった1日を大切に過ごしてください。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

このノートを知り合いや色々な人に、こんな家族もいるんだと話したり、見せてもらえたら嬉しいです。

                 稲葉竜之助

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