だから泣きながらでも肉を焼いて食べよう
noteにも記したけれど、昨日叔母が、ミイ叔母さんが、天に召された。急なことだった。
現実味がないままぼんやりした悲しみの中で、私は突然妹を亡くした母のことを思った。
母とミイ叔母さんは仲良し姉妹で、離れた場所に住んでいて会えなくても、毎日のように連絡を取り合っていた。
しっかり者で几帳面な姉(母)と、
マイペースで甘え上手な妹(叔母)。
叔母さんは体が弱く、リウマチや心臓疾患など若い頃から病院が身近だった。話し方も性格もおっとり柔らかい人だったが、たまーに突拍子もないことをやらかし、家族をたまげさせた。
ミイ叔母さん伝説
★その1★
叔父さんに相談なしで、ある日突然犬を買ってきて飼いはじめた。
★その2★
叔父さんに相談なしで、よく知らないおじいさんの生い立ちに同情し、うちで住みなよと拾ってきた。
★その3★
叔父さんと喧嘩し家を飛び出し、勢いで船に乗り、初めて行った島で住み始めた。(1年ほど)
……などなど。
その度に母は「本当にあの子ったらもう…!」と呆れつつ心配し、本人に電話をして様子を聞いたり、家族にフォローを入れたりしていた。
ミイお叔母さんは、どこか憎めない愛らしい人だった。
こうやって書いてる今も実感が湧かず、また遊びに行けば「おぉ、来たかー」とにこにこ出迎えてくれそうで。
…………。
………………そうだ。
こうしちゃいられない。
今日は、母と、肉を食べよう。
5年前に父が亡くなった時。家族葬で、ひっそりと見送った。ひと付合いが好きで交遊関係も広かった父だけど、本人の意向もあり一切知らせなかった。
母と、夫と私、まだ赤ちゃんの息子。
そのメンバーだけで大好きな父を見送って、その足で肉を食べに行った。
うちだけかもしれないけれど、とにかく大変な時、辛い時こそ肉を食べに行く暗黙の了解みたいなものがある。
昨日、本当なら連絡をもらってすぐに母のもとへ駆けつけたかった。ひとり暮らしの母に、孤独な夜を過ごさせたくなかった。
でも母にも持病があり、コロナ渦になってからはお互いの家の行き来を避け、たまに外で短時間会うようにしていた。母に万が一のことがあったらと思うと恐ろしかった。
近所の焼肉屋さんに母を呼び出し、ふたりで早めのランチを食べた。あまり寝れなかったとは言っていたけど、思ったより話す元気があってほっとした。
今日はわりと暖かいね、なんて他愛ない話をしながら、どんどん肉を焼き、食べていく。
「LINEのやりとりを見返すと、泣いちゃうね」
「退院したけど、家で急変したそうよ」
「あの子、よくひとを驚かしてたわよね」
「そういえば○年前のあの時もさ、びっくりしたわよ」
母はよくしゃべった。しゃべりながら涙ぐみ、
ミイ叔母さんの伝説を語り、笑い、怒り、また泣いた。
私はうん、うんと母の話を聞きながらお肉を焼いた。焼けていく肉を見つめがら、叔母さんの笑顔を思った。
涙と煙と肉の匂いといろんな思いが渦巻いてカオス。でも私たちは「近しい人の死」という、訳の分からない、やるせなくてぽっかりと哀しい現実の中、生きていかなくてはならない。
だから、食べよう。
食欲なんて無くても。
泣きながらでも。
鼻の奥がツンとする。
これは、私たちなりの弔いの儀式だ。
もう会えない。
もう会えない?本当に?
この喪失感をどうやって埋めていけばいいのか、分からないまま。
帰り際、母の背中をぎゅうっと抱きしめたかった。ソーシャルディスタンスが恨めしい。
でも、自分と同じ焼肉の匂いが母からして、
少し安心した。
今度肉を食べるときも、きっと父のこと、
ミイ叔母さんのことを思い出す。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます♡ さらにコメントなどいただけると、しっぽをブンブン振ってなつきますU^ェ^U