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レグルス

今日もまた目を開けばいつもと同じ天井

変わらない日常に身を任せて過ごす

今日もまた目を瞑る

「明日よ変われ」そう願って 

変われない僕のまま地球は明日を連れてくる


やり過ごすだけの 通学路で

空は言う

今一歩歩み出せば君は流れ星


何気なく過ごした日常は

今の僕を構成する綺羅星さ

歩み出して初めて分かった

どんな僕でも素晴らしいと


苦しいこともたくさんあるけれど

それも含めて僕の軌跡さ

季節には満天の星空を描き

僕の命輝かせる


あの青色の星から見た僕と

この青色の惑星から見た僕

どちらの僕も一生懸命

もがいてるから輝くんだ

 

変わり映えしない日常も

動き始めた人生もどっちも

「送る」ものだからいつかお別れ

だけどたくさんのものをくれた 





ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
楽曲化したものは後日公開させていただきます。


以下、この詞を書く際に考えていたことや意図などをつらつらと書いてみます。


『レグルス』を書こうと思った理由

まずはここから説明しようと思います。
これを書いた当時の私はこの作品の主人公同様に、何も変わらないつまらない日常と何も変わろうとしない自分に飽き飽きしていました。
自分の現実を変えるためには自分で行動するしかないことは心のどこかでは思っていました。
でも、過去のあまり良くない成功体験から、自分を大きく変えるためには突き動かされるだけの大きな出来事が必要だと盲信しており、この5年ほどずっとその時を待ち続けていました。
でも、当たり前ですが日常はそう大きくは変わらず刺激のない日常からは何も生み出せず、「つまらない」と文句を言いながら自堕落な生活を送っていました。
皆さんもそういう節はありませんか?
叶えたい夢や目標はあるけど、その達成過程までにどうしても重すぎる腰を上げられない工程があったり、実際に何をすればいいかわからなかったり、逆にやることが多すぎて現実と向き合いたくなくてゲームなどの娯楽に現実逃避してしまったり。
そういう現実のなかでもがいている人に届けばいいなと思って『レグルス』を書きました。

キーワードは「地球」と「星」

この作品にキーワードである「地球」と「星」は、「日常」と「人生」と密接に繋がっています。
この作品のアイデアの元となったのは

日常は「過ごす」ものだけど、人生は「歩む」ものだ。
そして両者は共に「送る」ものでもある。

という言葉遊び的な発見です。
これはつまり何と言いたいかというと、1日1日という小さな単位での日常は受動的とも言える「過ごす」という述語がつくようなものであるけれど、マクロな視点で見る人生とは能動的に「歩む」ものだということです。

それを「地球」と「星」に重ねて考えて行ったのが今回の『レグルス』という作品です。

地球は自転するもの。
星は種類にもよるけど、自分は流れ星を1番最初にイメージしたので能動的に儚く走り去っていくもの、としました。

だからここでは
日常=地球
人生=星
になぞらえて描いています。


ここからは実際に歌詞を引用しながら解説します。

Aメロ

今日もまた目を開けばいつもと同じ天井

変わらない日常に身を任せて過ごす

今日もまた目を瞑る

「明日よ変われ」そう願って 

変われない僕のまま地球は明日を連れてくる

『レグルス』より

Aメロでは何も変わらない、何気ない日常を描くことにしました。
寝て起きての繰り返し…。
ここでは私たちが何もしなくとも地球が勝手に自転していることをイメージしていました。
地球が自転することで太陽と月が順番に空の上に来る=寝て起きての繰り返しという図です。
ここでは自分の人生に無責任です。

Bメロ

やり過ごすだけの 通学路で

空は言う

今一歩歩み出せば君は流れ星

『レグルス』より

ここは「ん?」となる方も多いかもしれないと少し不安になりながら、というか最後まで何と表現するか悩んだ箇所です。

「やり過ごすだけの通学路」とは、その字の通りの通学路…学校に行くことに対して前向きな気持ちではない主人公が学校という苦痛の時間に目をつぶってやり過ごすことも意図していますが、社会人にとっても億劫になる満員電車の出勤なんかもイメージしています。
これはまた機会があればフルバージョンの2番で表現してもいいかも。

「今一歩歩み出せば君は流れ星」という詞について説明します。
Aメロでは人生に対して受動的で、されるがままに日常に巻かれている主人公でしたが、Bメロでは転機が訪れます。

「空は言う」と言う言葉選びは、空耳という単語だと自分がイメージするよりも不確定的に感じ、もっと絶対的な、でも誰が言ったかはわからない…そのくらいの現実度で表現するならこの言葉の塩梅がいいだろうということで使っています。
また、ある意味怠惰な従人口を突き動かすほどの迫力や強さも欲しかったので、自分的に気に入っている言い回しです。

「今一歩歩み出せば君は流れ星」
これはこの作品の中で最も難解だと思われる部分です。
「今一歩歩み出せば」までは割とスムーズに決まっていました。
とにかく自分から勇気を振り絞って、「いつか」を待つんじゃなくて行動してみようよ。そういう気持ちで空に何かを言わせたかった。
「君は流れ星」という比喩的な表現ですが、先に説明したようにこの作品では「人生=星」としています。
そのため、受動的な態度を改め、能動的に行動すれば日常に巻かれるのではなく、自分の人生を歩めるようになるというメッセージをこのフレーズには託しています。
「流れ星」というのはいい言葉で、見たときにお願い事をすると夢が叶うと言われてますよね。
星の中でもこの場面では流れ星をチョイスしたのは、流れ星が夢を叶えてくれるもの=行動する自分は夢を叶えられるということも重ねています。

サビ

何気なく過ごした日常は

今の僕を構成する綺羅星さ

歩み出して初めて分かった

どんな僕でも素晴らしいと


苦しいこともたくさんあるけれど

それも含めて僕の軌跡さ

季節には満天の星空を描き

僕の命輝かせる

『レグルス』より

サビでは、空からの言葉に突き動かされ、一歩歩み出した先の主人公の視点です。
何も変わらないつまらない、抜け出したいと思っていた日常(地球の上にある自分)は、自分の人生を能動的に行動し歩むようになった今の自分(星になった自分)から見たら、当時思っていたほど無意味なものではなかったと言っています。

少し脱線しますが、少し自分の主義主張と言いますか、俗にアーティスト性と言われる部分の話をさせてください。
私は自分が音楽活動をしようと思うよりも遥か前から「どんな人でも笑顔にできちゃうエンターテイナーになる」という夢を掲げ、大学を再受験し芸術表現を学べる学科に入学した過去があります。
どれだけ受験勉強が辛くても、光が届かないところに光を届けるんだ、という気持ちで己を奮い立たせまた勉強に励んでいました。

このような自分の思想、エゴに至るまでの話はまた機会があればさせていただきますがここでは割愛。
とにかく、誰も否定したくない。どんな人であろうとどんな状態であろうと、あなたは素晴らしいんだ。と肯定の気持ちで包み込みたいという思いがあります。
そういった思いがなければ、この作品は生まれませんでしたし、生まれていたとしてもサビでの主張がだいぶ違っていたと思います。
日常や怠惰な自分はクソだったけど、行動した自分の人生はかっこいーぜ的なね。
まあ自己啓発系は嫌いではないのでそういう路線も無しではありませんでしたが、ダメダメな自分の時の方が人生で多いくらいだからそれを否定した曲を書いちゃったら、自分が落ち込んだ時に聴いても救いにはならないし自分を貶めるだけだとも思うので、ね。
というか、人生いいことばかりじゃないし思い通りにいっている人の方が少ないrと思います。
仮にそうじゃなかったとしても、私の作品を見たり聴いてくれた人の心にナイフを突き刺すことがないような、自分で自分を許せると思えるようなものを書くよう心がけました。
これに関しては、この作品を描く中での精神論的な部分で最も自分が大切にしていた部分です。

抽象的な自分の思想の話はこれくらいにして、実際の歌詞の解説をします。

何気なく過ごした日常は今の僕を構成する綺羅星さ

まずは流れ星の次に出てくる星の種類、「綺羅星」の意味についてです。
goo辞書によると綺羅星とは、
きらきらと光り輝く無数の星。地位の高い人や明るいものが多く並ぶようすのたとえ。
を指しています。
長く続いたたくさんの何気ない日常たちは、実はきらきら光り輝くもので、真っ暗なようで実はそうではなかった。日常は今の僕に言わせれば輝いていたんだ。
そういうニュアンスです。
だから、先の見えない納得のいかない自分や日常を否定しないで。というメッセージでもあります。

苦しいこともたくさんあるけれどそれも含めて僕の軌跡さ

とはいえ、日常の中にいる実際の自分にとっては輝いているどころか、理想と現実のギャップなど苦しいことの方が多かったはずです。
でも、それも含めて星になれた僕が今の僕になるために必要な軌跡だったということです。

季節には満天の星空を描き僕の命輝かせる

これは要するに、俺のターンが来たぜ!!華やかに舞ってみせるぜ!!的なことです。
苦しい時間を乗り超えて、ようやく自分の羽を伸ばせる時が来たから、自分の歩んできた人生を空に星たちと一緒に彩って自分の生きてきた証を、辛かったり苦しかったりしたけど、今僕はここにいる。やっと回ってきた僕の出番を精一杯果たしている場面です。
苦しい時間があっての僕。
そんな僕もあったからこそ、ここぞという時に自分の最大限を発揮できるんだという主張でもあります。

ラスサビ

あの青色の星から見た僕と

この青色の惑星から見た僕

どちらの僕も一生懸命

もがいてるから輝くんだ


変わり映えしない日常も

動き始めた人生もどっちも

「送る」ものだからいつかお別れ

だけどたくさんのものをくれた 

『レグルス』より

ラスサビとしているけど、実はこの曲を描く時に1番最初に思いついた歌詞とメロディーがこのフレーズです。

あの青色の星から見た僕とこの青色の惑星から見た僕

当初一人称は「私」でしたが他の部分での「僕」の主張が強かったのでサビの一人称も「僕」に揃えてあります。

まず、「あの青色の星」というのは流れ星や綺羅星という単語で説明される僕自身のことで、「あの青色の星から見た僕」というのはいわば、自分の人生を能動的に歩めるようになった僕視点での、つまらない日常の中にいる僕のことです。
そして「この青色の惑星」というのは自転する地球=勝手に過ぎ去っていく変わらない日常の中にいる自分自身のことで、「この青色の惑星から見た僕」というのは日常に揉まれた自分視点でのある意味夢を叶えた先の自分を指しています。

どちらの僕も一生懸命もがいてるから輝くんだ

行動して自分の人生を能動的に歩めるようになったって楽ではありません。
輝いているように見える人ほど、実は一人心の中で抱えているものがあって、その人なりにもがいてキラキラな自分を保って進歩し続けていると思うんです。
だから、日常の僕だけでなく、人生の中の僕も一生懸命必死にもがいているし、だからこそ輝いているんです。
もちろん思い通りにいかない日常の中の僕だってそう。
他人からしたら何もしていないように見えるけど、心の中ではずっと戦い続けている。何をするにもしないにも罪悪感に責め立てられながら送る日々は、辛いものです。
周りに肯定してくれたり見守ってくれる人がいなければ尚更そう。
ただただ現状の自分を「悪」と見なすことは、知らず知らずのうちに自分自身の可能性や前向きな気持ち、自信を奪うことだと私は思います。
でも、自分から自分に対してやることだから止められないし責めることもできない。そうやって悪循環に陥っていって、先の見えない暗闇から光へと抜け出すことはできなくなるし、むしろますます暗闇の深い方へ向かってしまう一方だと思います。
だから、どっちにしたってもがいてるんです。
ミクロな視点での日常もマクロな視点での人生も、その中の1つ1つの自分は自分はそれぞれなりに考えて悩んでもがいている。
だからこそ反対のほしから見る僕にとって僕は輝いているということです。

変わり映えしない日常も

動き始めた人生もどっちも

「送る」ものだからいつかお別れ

だけどたくさんのものをくれた 

最後の最後でやっと種明かし、この作品の全てを説明しています。
冒頭で述べた「日常も人生も送るもの」という理由をここで明らかにしています。

「送る」という動詞を見て私は最初に「お見送り」というイメージが湧き、それから英語で言う「give」が思い浮かびました。
2つを組み合わせると切ないけど素敵だなと思い、これは日常と人生をひっくるめた僕自身への感謝とも言い表せるなと感じました。
両方の自分をどこか他人のような視点で見ているけど、結局どちらも僕な訳で、いずれは人は死ぬようにそんな僕ともお別れです。
寝て起きてを繰り返すだけの僕、苦しいけど頑張って行動を起こしてみる自分。
どちらも最終的な僕からしてみれば、流れ星で綺羅星で満天の星空です。
たくさんのきらきらした思い出をありがとう。
そういう場面です。
いつか死ぬ時に過去の全ての自分にそう思えたらいいなっていう理想も交えた結びです。

「レグルス」という星

1番最初に思い浮かんだ詞「あの青色の星から見た僕とこの青色の惑星から見た僕」に当てはめるための青い星の名前の1つがレグルス(Regulus)でした。
青い星であることに加え、「小さな王」という意味を持っていたり、他にもいろいろな要素が相まってこの星をタイトルに決めました。
地球から77光年の距離でラッキーセブンな数字でありながら、南中高度が66.6で悪魔な数字も併せ持っていたりとすごく不思議で魅力的な星です。
そういったことからこの作品で語っていることともマッチするし青いしで運命的な星でした。

終わりに

ここまで読んでくださりありがとうございました。
この詞はさまざまな既存曲の歌詞の読み込みや作詞の勉強をしてから初めて書いた処女作でした。
たくさんの想いを宇宙観的な世界観に乗せて、でも誰も傷つけることなく前に進むきっかけになれば、という願いも込めて書きました。
メロディはもうできているのですが、納得のいくコードが付けられていないので、その辺の勉強も進めて納得いく音楽をつけられるようになったら、またお知らせしますね。
まだまだ日常の中で流されるだけの自分で、星になりきれていない自分ですが、少しずつ、流星群のような自分になれるよう頑張ります。

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