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比較する人・比較される人。同じ痛みを感じている。

一度、人と比較すると、それが癖になり、当たり前になる。
誰かと比較する事の始まりは、“誰かと比べられた経験”による、自己否定感。

比較された自分は惨めでもあり、空しく感じていたことを、覚えている。

私には、年の近い弟がいる。
姉弟あるあるだと思うけど、幼い時から、弟と比べられながら育った。

高校受験、大学受験、就職試験、いつもギリギリまで勉強や準備を徹夜をしていた自分に対して、要領良く準備を済ませ、試験の前日は睡眠をしっかり取る弟を、比較対象に出しながら、母親から色々言われながら育った。

社会人になってからも、先に結婚し、家を建て、子供が生まれた弟を比較対象に出しながら、「人生について真剣に考えなさい」と言われた。

弟を肯定、自分は否定されているかのように感じていた。

私は、ふらふら生きているように思われている。

褒められたいのではなく、存在意義が欲しかった。

比べられながら育つと、自分も直ぐに人と比べたがるようになった。他人を意識し、今度は負けないようにと勝手にライバル視。周囲から見た私の印象は、「負けず嫌い」。

勝手に誰かと勝負して、疲れていた。
弟に負けた分、誰かに勝つことで肯定できると信じていた。そのために、コツコツ努力することも苦ではなかった。

そして、自分だけでなく、
仕事の後輩に対しても、後輩の同期達と比べるようになり、自分の物の見方が日に日に歪んでいった。

数年前の弟の結婚式―

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披露宴の円卓上に、参加者一人一人にメッセージカードが置かれていた。
私は、小さなカードを開いて驚いた。

カードに書かれた内容は公開できないけど、手紙を読んで、比較対象に出されていた弟も、自分の姉が自分と比べられることで、苦しんでいたことを、嫌な気持ちを抱いていたことを、結婚式の最中に知った。

学力テスト、受験の比較の話なんて、もう何十年も前の話なのに、弟も覚えていた。申し訳ないような内容だった。

空しい気持ちを感じているのは、比較された私だけではない。
勝手に比較対象に出された人も傷ついている。

誰かと比較する事の始まりは、
“誰かと比べられた経験”だったように思う。


弟の手紙を読んで、今まで自分の事しか考えられてなかった事に、ようやく気付いた。

比較される人も、比較する人も、同じ痛みを感じている。

姉弟や同期や、身近にいる人は比べやすい。どちらが優れているとかではなく、もっと、一人一人の“個”に注目をして。
比較する時間と労力を、自分の個性である、自分の花を咲かせることだけに、限られた時間、集中しよう。

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違いを味わいながら


人との違いを発見することで、自分の強みを客観的に感じることができる。

周りが当たり前のようにできて、自分にとって苦手な事。

周りとは違った感情や価値観。違和感。
自分と異なる人がいるお陰で、自分の良さに気づく。

koko.

恩返しできるように、がんばります🤍