初の面会交流を控えて 〜パニック症状が出た時の話〜
調停が始まった頃
初めての面会交流前は、たくさんの不安がありました。
子どもは父親に会えた方がいいのはわかっているけれど、夫が怖いという感情が残っている私はいろんな事態を想定しては胃が痛くなるのでした。
その頃に、ちょうど面会交流を終えたときくらいに残していた自分の言葉があったので、そのまま載せます。
結局しなかったのですが、自分の経験を記事にして残そうと思ったので文体がですます調になっています。
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2時間ほどの面会交流を無事、終えました。
本当は電車で子どもたちと待ち合わせ場所まで向かうつもりだったのですが、車だと時間も半分ほどと早いので、母の車で行くことに。
というのも、昨夜はなんだか寝つきが悪く、夢見が悪かったのかもしれないのですが息苦しくて目が覚め、こんなこと初めてのことだったのですが、息ができないような気分で軽くパニックになったのです。
慌てて寝室から飛び出て窓を開け、夜風を必死に吸い込んで平常心を取り戻そうとしました。
この面会交流がそれほどの緊張感だったという認識は自分ではなかったのですが、調停も思いの外どっと疲れが出たことや、今週は39度近い発熱もあり、数日体調が芳しくなかったこともあるのかもしれません。
パニックという症状は、このような感じなのかなと思いながら、母から薬をもらって、朝きてもらおうと連絡をしたという経緯がありました。
子どもたちは久しぶりにパパに会えるということで、とても喜んでいました。
以前はよく遊びに行っていた界隈だったので、2時間ほどの時間はおもちゃを買ったりアイスを食べたりして過ごしたようです。
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別居を初めて2ヶ月くらいが経った頃。
調停の時間も、夫と顔を合わさなくて良いよう調整してくれているものの、もしも会ってしまったらどうしようと考えると心臓がドキドキして、今思えば調停前後は自分が思っているよりずっと緊張感を感じていました。
普段滅多に発熱なんてしないのに、ピンポイントで39度近くまで突然熱が出たのはもしかして、体からのサインだったのかもしれません。
子どもたちには、とにかくパパと離れて暮らすことになった旨は伝わっているものの、心から納得はしていないはず。
パパがかわいそうだと子どもたちは戻ってきたくなくなるんじゃないだろうか。
調停で面会交流の細かな動きが決まってからは、実際の面会交流までいろんな想定が勝手に頭の中で繰り広げられてはとにかく不安しかなかったです。
子どもには久しぶりのパパとの時間を楽しんでもらいたい。
一方住民票には閲覧制限もかけていて、どこに住んでいるのかも知らせていなかったので、それを知られる事はなるべく避けたい。
パパは、”今どこに住んでいるの?”と聞くだろうか。
立会人は一緒にいるけど、会話のコントロールまでは出来ない。
”もし聞かれても答えちゃダメ”、なんて子どもに約束させることは難しい。
今でこそ、
「正気を失った夫が居場所を突き止めたら、何をしでかすかわからない」
という漠然とした不安はなくなりましたが、当時はリアルに恐怖を感じていました。
運を天に任せるしかない、、そんな気持ちでした。
ある程度割り切らないとな、と頭では思っていても、心の奥底では不安が渦巻いていたんでしょうね。
息ができない
面会交流をちょうど翌日に控えて、子どもたちが寝静まった真夜中。
どうしようもない不安と孤独感が襲ってきて、自分のコントロールがきかなくなりました。
苦しくて仕方がないんです。
そんなこと、初めてでした。
病気になって、自分の心とは裏腹に体の自由を奪われていく人たちはこんな怖い気持ちで死と向かい合っているのかもしれないと思いました。
横になっていましたがなかなか眠れなくて。
不安と同時に、息が出来なくなったんです。
息が吸えない。
水の中じゃないのに、息が出来なくて苦しくて、身体中から生命の危機の信号が発令されているみたいで、死ねないという気持ちと、死にたくないと言う気持ちで、目を見開いて
「どうしよう、誰か助けて!」
と心の中で叫んでいました。
とにかく息をしないと!
空気がない。
空気はどこにある?!
外だ!!
外に行けば!!!
転げるようにベランダの窓をあけて、シーンとした夜の空気を一生懸命吸う私。
でも全然不安は消えていかなくて、心細くて涙が出てきました。
どのくらいそこにいたか覚えていませんが、健康な時には想像も出来ない恐さでした。
後から聞くと、私の症状は過呼吸で、その状態で息を入れようとするのは逆効果だったようでした。
紙袋などで空気の入る量を制限すると、徐々に治るのだそうです。
私の母はパニック症状を発症したことが何度かあり、飛行機はおろか新幹線や電車、暗くなる映画館にも行けませんでした。
「もー大丈夫だから〜!」
と、その気持ちがわからない私は大袈裟だなぁと無責任なことを言っていましたが。
母は、こんな気持ちに毎回なっていたの?!
いくら説明してもなかなか人には伝わらない。
必死に辛いのよと訴えても、はいはいと軽くあしらわれてしまう。
初めて、申し訳なかったなぁ〜と思いました。
心の平穏を保てたら
翌朝母に電話した私。
「怖かったでしょう」
気持ちをわかっている母の共感は素直に入ってきました。
「うん、本当に死んじゃうかと思った」
本来ならきちんと診察を受けるべきでしょうが、お守り代わりに母がいつも病院で処方されているデパスという薬を、少しわけてもらいました。
心と体は紙一重。
適度な運動を質の高い睡眠で体を健やかに保てていれば、大抵心の平穏もそれについてきます。
でも、それは平常時。
心の負担が極端に強い時は、どうやっても±0にもならない。
上辺の私がいくら大丈夫と強がっても、奥底の私が負の気持ちにがんじがらめにされているようで。
不安に思う気持ちも怖いと思う気持ちも自分が作っているものなので、自分の思考が変わればその気持ちも鎮まるものなのでしょうが。
一朝一夕でコントロールできるものでもないので、人は瞑想や修行などを通して己の心の鍛錬をしていくのかな。
座禅を組んだり滝に打たれたりって、そのビジュアル的なところにしか目が向いていませんでしたが、自分のことなのに心のコントロールを失って初めて、そうした行いの本質的なところに関心が向きました。
といっても、瞑想を生活に取り入れられているわけではありませんが^^;
去年も一度似た様な症状が出たので、これを書きながらマインドフルネスを今年はもう少し意識してみようと思えました。
「今」の自分に集中するというものですね。
即効性はないかもしれませんが、きっとまた突然襲ってくる恐怖にもなるべく飲み込まれない心作りのために、1日2〜3分から始めてみようと思ってます。
パニック障害。
なったことのない方は共感は出来ないでしょうが、もしも周りにいらしたら以前の私のように軽んじることなく、ぜひ真摯に気持ちを受け取めてあげてほしいと思います✨
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