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【小説】くすのき ー第1話ー

あらすじ:とある高校の入り口に大きく大きくそびえるくすのき。光と影を作り出すこの木の下には、実は秘密が隠されていた。いく人かの個性的な登場人物たちがふれあい、最後に小さな、だけど確実に存在する奇跡に遭遇する。

 旧市街のはずれ、駅から20分も歩かないとたどり着かない僕らの高校には、入り口に大きな大きなくすのきが自生している。樹齢は100年を超えると言われている彼は、男子校の2つの校舎の真ん中に立ち、初夏から秋にかけて、葉の生い茂る時期は、渡り廊下を覆ってしまうほどの雄大さになる。僕らの文化祭は、その葉の先がほんの少しだけ深い緑から明るい緑へと変わっていく時期にやってくる。

 ラグビー部の1年生の高田にと初めての文化祭は初日から僥倖に恵まれた。
 ラグビー部ではフランクフルトと焼きそばの出店を出し、さらに校庭では小中学生に向けてミニタッチフットのイベントを行っていた。出店はありきたりのものだけれども、タッチフットのイベントは一昨年のワールドカップでの日本代表の活躍もあり、また、僕らの高校では運動部では最も成績の良い部活ということもあり(と言っても、県でベスト4が最高ではあるけれど)多くの人が集まった。特に小学生の男子からは人気で、地域の小学校の生徒だけでなく、上の兄弟が高校生で僕らの文化祭に遊びに来ていた人の弟君たちもたくさん集まった。
 ラグビー部の上級生は基本的には出店を担当し(旧来の価値観だと、出店の方が人が集まって花形のように思われていた)1、2年生がタッチフットの運営を担当した。高田は説明を受けてボールを持って走ってくる小学生たちを追いかけて、逃げられてしまう役をやっていて、そこで沙織と4年生の弟に会った。弟君は随分と体ががっしりしていて(相撲をやっている、ということだった)、高田は彼がボールを持っているところを追いかけたら、彼は高田に体当たりをしてきて、それで大きく転んでしまった。それを見て慌てて姉である沙織が飛び出してきて、高田にごめんなさいと言い、高田は大丈夫ですと言い、迫力あるあたりの彼女の弟に「ラグビー部に入ろう!」と声をかける。えへへと照れる彼に
「シンジはとてもそんな勉強できないでしょ!」
と沙織がピシャリと言い放つ。僕らの高校は一応、地域内では学力ではトップの公立高校ではあった。
「本当に大丈夫ですか?」
沙織は高田をのぞき込む。高田は少し交わる視線にドキリとする。そして転んでいる自分を立て直さねばと気づく。
「大丈夫。ちょっと勉強すれば」
高田はゆっくりと立ち上がりながら彼のお尻をポンポンと叩く。
「本当ですよ。僕なんて、中学校の時はアホ野球部だったから」
弟に対しての丁寧さと、沙織に対してのぶっきらぼうな感じのコントラストがいい。沙織は少し笑う。
「1年生ですか?」
「え、あ、そう、1年です。あなたは?」
「私も1年です。どこの中学校?」
「隣の市の下谷田中学校。」
「私は、同じ市の南原中学校。隣じゃない。」

 ちょうどそのあたりで午前中の部が終了になり、高田は沙織と弟くんと一緒に西校舎の前に引き上げる。そこでは、ラグビー部が用意した冷たい飲み物と、ベンチが数台あって、そのうちの1つに座ってあれこれと話す。そんな高田の周りには、ラグビー部の他の1年生が集まる。そして何やらにやにやしながら3人を少し遠巻きに見る。なんだよ、と高田が言う。誰かが何かを言って取り巻きは去っていく。夏の終わりと秋の始まりの合わさった、暑くて爽やかな風が2人を揺らす。
「いつまでいるの、今日は?」
「今日は午前中だけ。また明日の午後来るの。今度は学校の友達とくるからさ。今日はこの子のお守り。」
「そっか」
高田はそっと足元を見る。木の葉が数枚舞ってくる。
「明日またくるね。えっと、高田くん、高田くんだよね?」
沙織は高田の白いTシャツに大きく書いてある名前を差していう。
「私は、狩野、狩野沙織。隣の女子校の。」
そう言って沙織と弟くんはベンチを立ち上がり、西校舎の脇から校門へと向かう。

 その日の1年生たちの中では高田の話で持ちきりだった。男子校の僕らにとっては、文化祭は女の子と出会う年に1回のチャンスであって、ここを逃せば、塾にでも行かない限りラグビー部の僕らには彼女ができるチャンスがない。みんなそう思って、あれこれ準備をしてきたのだけど、成果を得たのは高田だけに見えた。だから、明日もう一度やってくるという沙織に対して、高田がどうするのか、外野ばかりが盛り上がっていた。
 当の高田としては、正直戸惑いがいっぱいだった。
 何しろ高田はまだ、女子とは付き合ったことがない。好きだな、と思った子はいる。小学校の時にもいたし、中学校の時にも同級生のある女の子のことがずっと好きだった。だけど、それを何かの形にしたことはない。あるとすれば、授業中に彼女への想いを詩にしたくらいで(どこかへ行ってしまった)もちろんその逆に、誰かから告白をされたり、噂レベルで、誰かが彼女を好きだと言うような話も伝わってこない。そんな中で男子校に入って、なおさら女子との関係は希薄というか、ほぼ0になったところに、突然降ってきたこのチャンスというか機会をどうしたらいいのか、見当がつかなかった。
 初日の片付けが終わり、18時過ぎに多くの生徒が帰路に着く。もちろん少なくない生徒は明日の準備やら仕込みでそれなりに遅くまで残る。シンクロの水泳部などはかなり夜遅くまで明日の仕込みをしていて、その威勢の良い声がプールからは聞こえてくる。
 高田と僕は部活の1年生が大体帰った後、教室で話をする。1年生は校舎の4階に教室があり、開け放った窓からはくすのきが正面に見える。上から見るくすのきは、黒い枝が緑の海の中を葉脈のように這っているのが見える。深い緑の一部は夕方の光を受けて赤みを帯び、小さな風がその上を抜ける。遠くを見ると、薄暮の空があり、近くを見ると緑の海がある。葉の音は微かにする。だけれど、文化祭後の夕方の喧騒と、夏の終わりの街の声がその音をかき消してよく聞こえない。でもじっと、じっと耳をそば立てれば聞こえてくる音がある。
「どうするんだよ、お前」
僕は高田の机の前に立つ。
「え、どうって。まあ。」
高田は窓から外を見ながら消えそうな声でいう。
「お前ならどうする、吉田」
「俺ならいくよ、そりゃ。チャンスだろ間違いなく。」
「いくって、付き合おう、っていうってこと?」
「そりゃそうだよ」
「気楽だよな。外野は」
外野呼ばわりは気に入らないけれど、彼の言わんとすることはわからないでもない。僕が逆の立場なら、今日の明日で告白とか、あまりにも軽すぎる気もするし、正直、彼女がどんな人かもわからないし、気の進む話ではない。
「でも、いいよな。羨ましい、っていうのはほんとだぜ」
「ありがとう」
2人で窓の外を見る。よく見ると雲はちぎれちぎれの鱗雲が散らばっていて、ちゃんと少しずつ動いている。その動きを僕は追いかける。小さな風が僕たちの教室にもやってくる。
「どう思った、彼女のこと。吉田は」
「俺はかわいいと思ったよ。そんなに近くでは見ていないけど、なんかちょっと気の強そうな感じで」
「いいよね、そういう感じ。僕もその辺がちょっと話しただけなんだけどピピっときて」
「何言ってんだよ。ったく」
「目があった時はさ、正直ビリッとした感じがあったんだよね。やっぱ、理屈より直感、ファーストインプレッションだよな」
僕は呆れてカバンを持つ。
「ぼちぼち行こうぜ。隣の緑屋でものぞいていこう」
高田は手を頭の上で組み、外を見ながら、揺れる葉を見ながら大きく伸びをする。
「よっしゃ。焼きそばでも食べていくか。景気付けに」
「いいね」

 翌日の12時過ぎに沙織は同じ学校の子と思われる女子2名とともに、西校舎の前のラグビー部の小さなカフェスペースにやってくる。高田はまだタッチフットのお供をしていて、沙織たちはそのグラウンドを見やる。そして、沙織は高田の方を指差し、他の子たちと何かを話す。
 高田はその彼女の姿を、おそらく誰よりも早く認めていた。それはそうで、高田の頭の中は朝から、彼女がいつくるかしかなかったわけで、10時前からタッチフットで子供たちの相手をしながら、心も視線も頻繁に西校舎の前から渡り廊下の方を向いていた。だから、彼女がきたことをいち早く認め、そして彼女たちの方をいち早く見ていたので、沙織と目が合うのもあっという間で、沙織は彼に大きく手を振った。
 西校舎は元々は大正時代にできたものと言われ、両サイドは赤い壁面、校舎の正面はくすんだ白色の、随分と年季の入った建物だった。赤い壁の前の白いベンチの前にすっと立ち、その右手の肘を左右に150度くらいに大きく振り、ポニーテールにまとめた髪の毛が少し揺れ、セーラー服の黒いスカートはひらりと揺れていた。彼女の後ろには大きなくすのきが見える。くすのきには強い真昼の光が降り注ぎ、無数の葉はその光をさまざまな色に反射させる。その多くは青と緑と赤であり、そして白であり、かつその一部は淡い紫であり、力強いオレンジのようでもあった。その光の中で彼女は手を振っている。
 仕事を終えた高田は小走りで沙織のもとへ行く。周りで誰かが彼を手招きしたり、指差したりするが、そんなことしなくとも彼には十分わかっている。
「今きたの?」
「ううん、1時間くらい前かな。早くきたの。みんなで出店を回ったり、体育館の応援団の演技を見たりしていたの」
沙織は友達のうちの1人を指差す。
「彼女の彼氏が応援団だから」
応援団なら、そのメンバーは僕らもよく知っている。応援団は大体は野球部の付属のようなところがあるが、うちの高校では野球部は1回戦を勝つこともできないので、野球部よりラグビー部や駅伝部を応援することが多い。7月の定期戦でも応援団はラグビー部の試合を応援してくれた。
「誰?1年生?」
高田が聞く。沙織はちょっと彼女を見る。
「吉岡くん。知ってる?」
同じ制服を着た沙織よりは少し背の低い彼女が小さく話す。吉岡、その響きは高田にはあまりいいものではなかった。
「ん?まあ、一応。応援団とラグビー部は仲良いから」
「お昼は何か食べた?」
切り替えして、ここで高田は渾身の一撃を放つ。昨晩の帰り道、僕と高田で練った戦略はただ一つ、いいタイミングで彼女をお昼ごはんに誘う、というものだった。そして、その行き先は、柔道部のタコライスと決めていた。人気があるけれど、柔道部の出店の1年生とは仲良くて、行ったらうまいことサービスしてくれることになっていた。昨日の帰りの緑屋でたまたまあった柔道部の1年生と話がついていた。彼ら曰く「そういうことならば、最大限の献身をしようじゃないか」ということだった。
「私はまだだけど・・・どう?」
沙織は他の2人を見やる。彼女たちは少しその言葉の意味を考える。
「私たちは大丈夫。沙織、行ってきて」
2人はそう言って沙織のカバンを彼女に押し付け、手に持っていたドリンクを彼女から奪う。
「そう。ありがとう!じゃあ、行ってくるね」
「何か食べたいものある?」
「特にないな。高田くんのおすすめでいい」
「オッケー。当校の文化祭名物、タコライスにご案内します」
高田と沙織は西校舎を背に、右手に歩き、渡り廊下の脇を歩き、中庭の真ん中奥の方にあるタコライスの出店に向かう。柔道部の面々は騒々しく彼らを迎える。
「ラグビー部のホープ高田さんご来店!」
「特大タコライス超絶大盛り入りましたー」
ちょっとそれはやりすぎ、という大声での派手な出迎えに高田は顔を赤くし、沙織は笑う。何これ、え、え、という感じで。高田は柔道部の鶴瀬を見る。なんだよこれ、最高じゃん、と目配せする。

 2人は中庭を抜け、校門の前のくすのきの下に座ってタコライスをつつく。特大タコライスは、十分に4人分くらいはある。真ん中に置き、小皿に2人で取りながらタコライスを食べる。あまりにも大盛りで高田が混ぜるとこぼしてしまったので、沙織がスプーン2つを使って上手に混ぜてくれた。
「あれ、何か仕込んでたの、さっきの」
沙織がいう。
「ん、いや、別に・・」
「ウソウソ、絶対に何か準備してたでしょー」
「ごめん・・昨日、夜柔道部と打ち合わせした・・」
「えー、なんで謝るの。いいなー、男子校っていいよね、やっぱり」
「そう?馬鹿っぽくて嫌がられるかな、って」
「ううん。私はそういうノリが好き。男子っぽいの。女子校は全然合わない。息苦しい。男子校のこういう馬鹿っぽいノリが大好き。だから文化祭も連日来ちゃう。」
タコライスは半分くらいは高田が食べ、残りの半分を沙織が食べ、余りはLINEで呼び出された僕が引き受けた。なんともな役回りだったけれど、明らかに良い雰囲気な2人を見て、ラグビー部の部室に行き皆にその様子を報告した。
 タコライスがいなくなった木陰で2人は話をする。
 僕らの事前のプランでは、今日のゴールは「映画に誘う」だった。映画の選択肢は3つ用意していた。正直、僕らにとっては見るのはどれでもいい。彼女の好きなものでよかった。そして、それが済めば高田は結果報告に来るはずだった。
 
 14時過ぎ、思ったよりも時間がかかって高田は部室にやってきた。時間がかかるということは、それだけ話が進んでいるということで、悪くない兆候に思えたけれども、入ってきた彼は首を横に振り続けた。
「ダメダメ、全然ダメー、でした」
「断られた?」
「ん、いや・・」
「じゃあどうしたんだよ」
僕はちょっと怒り気味に話す。待たされたのもある。
「んー、時間オーバーでした。彼女が今日はもう帰らないといけない、一緒に来ている友達と行くところがあるんだって。」
「なんだよそれ。んだよー」
僕は足を投げ出す。隣にいた先輩も小さく笑う。
「ごめんよ。でもさ、でもさ、LINEは交換した。ほら」
そう言って高田はスマホの画面を持ち出す。
「高田くん、今日はありがとう。楽しかったー!高田くんの坊主姿、今度写真で見せてね。次は映画にでも行こうね! 沙織」
僕はその画面を凝視し、そして隣の先輩と、後ろの1年生にも見せる。
「おまえ!!」
そのうちの数名が高田を叩く。ポカポカ叩く。先輩は彼をヘッドロックする。男子校では、抜け駆けはタダでは済まされないのだ。
「坊主姿ってなんだよ。」
「ほら、中学の野球部の時は坊主だったから」
今度はその場の全員から手荒く叩かれる。
 
 ありきたりな男子校のもてない男たちの馬鹿騒ぎ。でも、そういう明るい馬鹿たちの集まりの青春も悪くはない。

 午後のくすのきは新しく風を受けざわめく。何かが始まりそうだ、と。僕たちには、いつだってその期待感だけはあった。

第2話:

第3話:

第4話:

第5話:

第6話:

第7話:


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