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三十三番土偶札所巡り -八ヶ岳の麓に開花した縄文文化の中心地 井戸尻遺跡-

冬には雪が降り積もる山梨~長野県の山々は、春の訪れも少し遅れてやってきます。
約1年前から始めた〝土偶札所巡り〟も暫く冬眠の如くお休みしていましたが、高原の花々の芽吹きと共にようやく再始動しました。


「三十三番土偶札所巡り」
は、山梨県と長野県にまたがる『中部高地』の土偶の御朱印を頂く土偶版の札所巡りです。


今回訪れたのは山梨県との県境に近い、
長野県諏訪郡富士見町の井戸尻いどじり遺跡・考古館。
縄文時代中期における『中部高地』の文化の要となる場所であり、有名な縄文土器を多数有することでも知られています。


『中部高地』とは、主に縄文時代を語る上で使われる地域名です。
1万年の長きにわたる縄文時代の中で最も繁栄した時代と言われるのが、今から約5000年前の縄文時代中期。その中でも特に華やかな文化を咲かせた地域が山梨~長野県に跨る『中部高地』です。

地図を見てもわかるように東北・北陸・中部・関東の交差点にあることから、各方面へとネットワークを築きやすく、人々との交流や多様な文化の流出入があったと考えられます。

この『中部高地』の山梨~長野県には、南北に連なる山々からなる八ヶ岳があります。そのゆったりと裾野を流す景色は、風光明媚と一言では言い難いおおらかな豊かさを抱いているよう感じられます。


井戸尻いどじり遺跡

八ヶ岳の南麓に位置するのが井戸尻いどじり遺跡、1958年(昭和33年)に発掘調査が始まり現在は史跡公園になっています。

周囲3㎞四方程の範囲にはいくつもの縄文遺跡が集中し、それらを総称して
井戸尻いどじり遺跡群」と呼びます。

なだらかな丘に復元された竪穴住居は、ゆったりと静かに佇んでいます。縄文人たちも同じ景色を見ていたのかもしれませんね。


井戸尻いどじりの泉」と言われる豊富な湧き水を受け、水車が忙しく回っています。再現された板葺きの小屋は、昭和の初期あたりのイメージでしょうか。

聞こえてくるのは、水の流れと水車のコトコトと廻る音だけ…。なんとも贅沢な時間です。


希少な昆虫や小動物、水生植物が保護されています。
蓮の花がちらほらと咲き始めています。


山々と雲が映りこんでいる史跡公園脇の田んぼ。
そろそろ田植えが始まる様子です。


いつまでも眺めていたい風景。
雲の無い時には遠くに富士山が眺めるようです。
とにかく心地良い場所、縄文人でなくともずっとここにいたくなってしまいます。


〝おらぁとう〟の井戸尻いどじり考古館

おらぁとう…俺たち、という意味。
地元の農家や学生などの熱意の下で、遺跡の発掘・調査が行われきたことを表しています。


『中部高地』の縄文土器の特徴と言えば、何と言っても独創的な装飾のついた凸凹とした造形です。

大きな「水煙渦巻文」が施されている土器は、〝滝つぼに湧き上がった水煙をイメージした〟とも言われている造形。
複雑に絡み合ってる渦巻は見る角度によっては、全く違った表情を見せてくれます。

水煙渦巻文深鉢


ヘビやカエルといった動物文様が多く見られるのもこの地域の特徴です。大きな目からは力強い生命力が伝わってきます。
これらの造形には、縄文人たちの精神世界が写し出されているようです。

動物文 深鉢


そして「三十三番土偶札所巡り」の28番目の土偶
始祖女神像しそめがみぞう

井戸尻いどじり遺跡群の1つ「坂上遺跡」の墓の中から、右脚を失い3つに割れた状態で発見されました。
高さ23㎝、天に向かってのびやかに深呼吸するかの様な立姿、清々しさを感じる女神像です。


頭には左右に貫通している大きな穴があり、胴体と首には繊細な文様が刻まれています。
面白いことに、この土偶にある文様と同じものが、井戸尻遺跡より約300年後の〝神奈川県の遺跡〟から出土した土器に刻まれています。

土偶の象徴的な文様が100㎞程離れた約300年後の土器の文様になっていた…この文様が持つ大きな意味が想像できるようです。


「三十三番土偶札所巡り」の29番目の土偶
巳を戴く神子へびをいただくみこ

井戸尻いどじり遺跡群の1つ「藤内とうない遺跡」の住居跡で発見されました。
切れ長の目、繋がった眉、ぽかんと開けた口は、縄文時代中期の中部高地~関東南部でよく見られる顔の特徴です。
タトゥと思われる文様を左頬だけに入れるとは…縄文人のセンスが光っています。


土偶の頭上には、先端に頭のようなものが付いたヘビがとぐろを巻いているようです。この様子から土偶の発見者の一人によって『巳を戴く神子へびをいただくみこ』と名付けられました。



創造力ゆたかな造形の数々は井戸尻いどじり文化とも呼ばれ、その精神性の高い表現に当時の縄文人の心を見ることができるようです。

長野県には黒曜石のある大きな鉱山が2つあり、その黒曜石は東北・北陸・中部・関東へと運ばれました。当時の黒曜石はナイフなどの道具として、また首飾りなどの装飾品の素材としてとても重宝されていたようです。

豊かな縄文文化が花開いたゆえんには…黒曜石の交易によって文化や人々の交流が生まれたこと、標高差1000mに及ぶ八ヶ岳の多様な自然環境に恵まれたこと、さらに山麓に広がる住みやすい台地があったことなど、いくつもの要素が重なったことにあるようです。



井戸尻いどじり遺跡を跡にして、今度は今から26年前の1997年に時間を巻き戻します。
遺跡から歩いて坂をのぼって15分ほどで、JR中央線「信濃境駅」に到着します。
人けのない駅舎とホーム、手前の鳥かごに見覚えのある方はいらしゃるでしょうか。

ドラマ〝青い鳥〟の舞台となった駅で、駅舎には今もドラマの記事などが展示されています。胸キュンした当時が蘇ってきます。


今日いただいた御朱印は、いつにも増して神々しい…。
心穏やかに八ヶ岳を跡にします。


「三十三番土偶札所巡り」
は、まだまだ続きます。


参考図書
井戸尻 第9集 富士見街井戸尻考古館
縄文王国やまなし 九州国立博物館 求龍堂
縄文アートを旅しよう 監修 三輪嘉六 求龍堂

最後までお読みいただき有難うございました☆彡


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