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今日会いに行きたい!気になる土偶#040千葉市埋蔵文化財調査センター

春が一気にやってきたようです。
近くの高校では卒業式。それを祝うかのように、晴れやかな空と暖かな空気の一日でした。
校門脇の桜はまだ硬い蕾だけれども、彼らの姿は満開の桜のように華やいでいました。

今日ご紹介するのは、千葉県東金市 鉢ヶ谷はちがや遺跡から見つかった、今から約5,000年前の土偶です。

高さ9.6cm、最大幅6.7cm、底径3.0cm、
ちょっと変わった形をしていますね。
全体が土偶というよりは、
ころんとした香炉のような台座に、
土偶が乗っているような感じでしょうか。

縄文時代中期
千葉市埋蔵文化財調査センター

小さくかわいい土偶は、
頭が平らな河童形土偶とも呼ばれるもので、ハート形の顔に吊り目、丸い口は山梨や長野の土偶と良く似ています。

土偶に使われた土がこの地域で採れるものでないことからも、山梨や長野から持ち込まれた可能性があると考えられる土偶です。

この土偶は、小型深鉢形土器、舟形土器、椀形土器と一緒に出土しました。この小さな3つの土器は「ミニュチャア土器」と呼ばれるもので、煮炊きに使うものでなく祭祀などで使われる儀礼用の土器です。

土偶と小型深鉢形土器、舟形土器、椀形土器は寄り添うように埋められていたことから、これらが埋められていた土壙どこうは墓であったと考えられています。

土偶のお腹をよく見ると、ボコボコと荒れている様に見えます。お腹以外は奇麗な肌であることから、わざとこのようにしたようです。
このような土偶の様子から、一緒に埋められていた土器の隅で「土偶のお腹を突く行為」が行われたと考えられるそうです。

さらに土器の1つには「白い液体」の跡が残っていて、その土器は「白い液体」で満たされていたと想像されています。

「土偶のお腹を突く行為」と「白い液体」…
このことから、ここで何かの儀式をおこなっていたのではないか?と推測されています。

墓で行う儀式であったとしたら…
死者を弔うためにおこなった、
5,000年前の葬儀の形の一つなのかもしれませんね。

今月21日は春分の日、この日に太陽が真東から出て真西に沈むことを知っていた縄文時代の人々は、霊山へと沈む夕日を見ることができる場所に、ムラを営んだり祭祀の場を設けました。
そこではいったい、どんな祭りがおこなわれていたのでしょうか。

この季節に華やぎを感じるのは、縄文時代の人々も同じであったようですね。

*参考図書
縄文文化が日本人の未来を拓す 小林達雄 徳間書店
千葉市「遺物から見える地域文化の発達」パンフレット 

最後までお読みくださり有難うございました☆彡

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