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世界遺産になった縄文遺跡群を廻る旅 /白い貝塚が作る絶景 -北黄金貝塚-

「貝塚は美しい!」

土の下に埋まった縄文時代の貝塚
いつもは博物館で
その断面を見ることしか叶いません。

ですがここでは、復元された
〝白い貝塚〟を見ることができるのです。


札幌から特急と路線バスを乗り継いでおよそ2時間半、
世界遺産 史跡 北黄金貝塚きたこがねかいづかへやってきました。


北海道伊達市内浦湾うちうらわんの沿岸にある『北黄金貝塚』は、縄文時代前期(約6000年前)から1000年の間に作られた5カ所の貝塚を伴う集落遺跡です。

現在でも道内屈指の漁場として知られている内浦湾うちうらわんは、周囲に活火山が多いためしばしば噴火湾ふんかわんと呼ばれます。

そこには縄文時代から豊富な魚介類、海獣などが生育し、それを求めて人々が住みつき、沿岸には貝塚がおよそ300ヶ所も築かれました。その多くが縄文時代の遺跡であるといいます。

そのうちの一つ『北黄金貝塚』は、現在は約9万㎡に及ぶ広大な丘の史跡公園として整備され、再現された2つの大きな貝塚が当時の風景を思いおこさせてくれます。

初めて見る〝白い縄文〟の景色、
さあ、ご一緒に!


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「広い、広いー」

大地の丘の上に僅かに見える白い部分が貝塚。
あまりの広さに全景を捉えることができません。
ここは以前は牧草地であったことから、
その地形があらわになっています。



「さあ、丘を登ろう」

先ずは丘の頂にある最も古い貝塚を目指します。
今は広々した草原になっていますが、
縄文時代には木々で覆われていたと
考えられています。



「チョロチョロと心地よい水の響き」

穏やかな斜面に建てられた竪穴住居、
そのすぐ下を流れる湧き水。
毎日の生活に欠かせない水がこんなに近くに。



この湧水は遺跡の中央あたりから地表に出てきています。縄文時代は水が湧き出る場所は神聖な場所と考えられていました。

その神聖な場所の傍らから、木の実や肉をすり潰すための「すり石」や「石皿」などの石器類が多量に見つかりました。それらのほとんどは壊れ、「石皿」は裏返した状態で置かれていました。

ここでは役目を終えた石器に感謝し、それらを供養する儀式が行われていたと考えられています。



「見た目以上に急勾配!」
竪穴住居を横目で見ながら
ただひたすらに登っていきます。
登るほどに傾斜がきつくなって、
散策…というよりは軽い山登り気分です。



キツイ勾配の丘の上には、シカなどの獣を捕るための〝落とし穴〟がありました。貝塚からはキツネ、ウサギ、ウや白鳥などの鳥の骨も見つかり、海の生き物だけではなく陸でも狩りをおこなっていたことが分かります。

シカの角や骨は銛先や釣り針、また祭祀に使われたと思われる装身具(櫛やヘアピン)、鳥の骨は縫い針、動物の皮は衣服へと、食料以外の生活を支える道具としても使われていました。


「丘の頂の貝塚へ到着」
この黄金貝塚にあった5カ所の貝塚の中で
約6000年前に作られた最も古い〝B地点貝塚〟。
丘の一番奥まった場所に作られています。



「まんまる~い貝塚」
大きさは15×15m、貝層の厚さは約1m、
丸くなったのは偶然、それとも?



この最初の貝塚が作られた約6000年前現在より気温が2~3度高く、そのために海面が5~6mも高かったと考えられています。海水が陸地奥深く浸入する縄文海進じょうもんかいしんといわれる現象です。

今では奥まった場所にあるこの〝B地点貝塚〟ですが、当時は今よりもずっと近くまで海が迫っていた場所であったようです。





「ものすごい、風~!」

足元にはハマグリなどの小さな貝。
温暖な海に生育するハマグリは、
現在の北海道では海水が低いため殆ど採ることができないといいます。




「次は海側の貝塚へ」
海側を見渡すと、海がこんなに近い!
噴火湾の向うは函館あたりでしょうか。
丘の斜面に作られた貝塚へと向かいます。




「わ、長細い!」
80×30mの〝A'地点貝塚〟
斜面に沿って細長く
作られた貝塚は、
丘の頂にあった〝B地点貝塚〟から
約500年後に作られました。



「大きな貝!」
ハマグリは姿を消し、
マガキやホタテ、ウニなどの
冷たい海で育つ貝類
多く見られるようになります。


500年前の温暖化から一転、徐々に寒冷化約5500年前には現在とほぼ同じような気候になります。越冬するためにオットセイがやってくるようになり、縄文人の重要な食料となりました。

寒冷化によって海面は低くなり、今まで海であった場所が陸地となる縄文海退じょうもんかいたいの現象がおこります。それに伴うかのように貝塚はより海の近くへと、森から遠い丘の先端へと作られました。




「縄文人が眠る」
不要となった貝殻や動物の骨、木の実の殻、
そしても葬られました。
貝塚はあらゆるものの命を送る場所でした。



「命に感謝して」

あらゆるものの埋葬の場であると同時に、
それらを弔う儀式の場でもありました。
大型動物の骨や角で祭祀道具が作られました。



「ふと、振り返ると」
最初に見た〝B地点貝塚〟
大地の頂に作った最初の貝塚
北黄金貝塚が歩みを始めた場所です。



「丘の下の家へ帰ろう」
貝塚で命を見送った縄文人は、
どんな気持ちで
この斜面を下っていったのでしょうか。



「ほっと一息」
逃げることを知らない鳥、
何気ない光景に安らぎを感じる
…そんな日常があったのかもしれませんね。



この美しい貝塚の復元には、市民が持ち寄った〝彼らが食べた貝(ハマグリ、マガキ、アサリ、ウニ)の殻〟も散布されています。
そしてこの広大な史跡公園の森は市民の手によって管理され、30年後、50年後の森づくりを目指して活動しているとのことです。

キャラクターの「オコンシベ」くんは、アイヌ語「コンブがとれるところ」を意味するオコムプシペが語源。



縄文時代からのオコムプシペが、
いつまでもここに住む人たちの
オコムプシペでありますように…!



*参考資料
北黄金貝塚の縄文人たち 伊達市教育委員会
世界遺産になった縄文遺跡 岡田康博編 (株)同成社


最後までお読みくださりありがとうございました☆彡

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