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 縄文時代 その時々の神奈川の土偶たち  その3神奈川県立歴史博物館

前回の内容は…
縄文中期の末頃からの気温の寒冷化によって、木の実などの食料が乏しくなっていき、大きな集落では大勢の食料を賄うことが難しくなっていきます。食料を効率よく確保するために、大人数で構成していた集落が分散・小規模化し、それと共に盛んであった土偶作りに力が注がれなくなっていきました。

縄文後期(今から約4,500年)からの環境と生活

縄文後期になると「縄文海退じょうもんかいたい」に伴って、小規模な谷が増えていきます。谷は食料となるトチノキの生育に良好な場所であり、人々はそのトチノキの実を求めて集まり、谷近くに小さな集落が点在していきます。

トチの実を食べるには灰汁ぬきが必要です。
そのために谷に流れる川の近くに、貯蔵用の穴を掘ったり、石を敷いたり、木材を組み合わせたりした「水場遺構」と呼ばれる施設が多く作られました。

一方で、それまでには無かった「祭祀専用」と思われる建物が作られはじめます。
その一つが「柄鏡形敷石住居」です。住居と言うものの住むための建物ではなく、祭祀のためだけに使用する「竪穴住居」です。
ちょうど柄鏡のように竪穴住居の入口を長く張り出し、床には平たい石を敷いたのが特徴です。

その建物の使われた方は、どのようなものであったのでしょうか?
東京の「柄鏡形住居」の祭祀の様子が参考になるようです。

このように縄文後期には、自然の恵みを採集する暮らしから、採取した実を加工するといった作業を伴う生活が主となり、大勢で広場でおこなっていた祭祀は、専用の施設でおこなうなどの変化を遂げていきました。

新たな形の土偶たち

集落の分散・小規模化と比例するように、縄文中期の末から土偶が徐々に減り、一部の地域を除き土偶がほとんど見られなくなります。
しかしその後の後期前葉からは再び多様な土偶が見られるようになります。

神奈川県で多く見られるのは「筒形土偶」です。
中部地方と関東地方の一部だけで出土している地域色の強い土偶です。

内部が空洞になった筒状の胴部に、平たい顔が斜めに貼り付いた個性的な形をしています。その筒状の花瓶なような胴部は、安定感を保つために考えられた形のようです。

頭をを支えるように、カップの把手のようなアーチ状のものが付いているものも特徴の一つです。
大事に支えられている頭に対して手や足の表現が一切ないことから、一番大切なものを強調しているようにも感じます。

斜め上に向けた顔は、眉と鼻が繋がったシンプルな作り、上を見上げて、口を開けている…この独特な表情は何を表しているのでしょうか。

この企画展の顔となっているのは「大型中空土偶」
愛称は「縄文のエンジェル」。
2016年に高速道路の建設に伴う発掘調査で住居跡から発見されました。左足の一部と左腕が欠けていますが、それ以外はほぼ完ぺきな姿です。
高さ25㎝、幅12㎝の大型で、先の「筒形土偶」に手足が付いたものと考えられています。

頭部にはネジのような突起に凸凹の輪郭、いくつかの穴があります。高い鼻の横に小さな目、丸く開けられた口は、他の「筒形土偶」とは全く異なる顔つきです。

胸の部分には小さな乳房のような突起があり、体にはいくつもの貫通した穴があいています。

2本の足は大きく太く、しっかりと台地を踏みしめています。

「筒形土偶」と同じ時代に作られたこの土偶は、
手足のある土偶を作っていた地域との交流から生まれたのでは?とも考えられています。

縄文中期からの気温の「寒冷化」は、その後の縄文後期になって、人々の生活様式に本格的な変化をもたらしたようです。
そのことが祈りの場や祈りの形、そして土偶にまでにも影響を与えたと思われます。

「大型中空土偶」は、新たな時代に勇敢にたちむかう〝縄文後期の人々の姿〟に重なるようにも感じられます。

次回は、縄文晩期の土偶をご紹介します。

*参考資料
令和4年度かながわの遺跡 冊子
特別企画 土偶展 長野県立歴史館
縄文土偶ガイドブック 三上徹也著 新泉社
*写真は全て神奈川県立歴史博物館にて

最後までお読みくださり有難うございました☆彡


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