留年を経験した横田梓さんの話[1]

【フィリピン・マニラ編 現地採用インタビュー#005】

マニラの現地採用組として知り合った横田さん。僕は、横ちんと呼んでいる気のよい人です。彼がフィリピンに来るまでの物語をどうぞ。

【横ちんの生い立ち】

出身:千葉 高校まで千葉。
浪人一回して、大学、東京の大学に通う。
外国語学部、ドイツ語専攻。

母親が国語の先生で、梓と付けられる。学校、就活、仕事で気にしたこともあった。大学生になる頃には、「梓」という名前を気にしなくなった。初めてメールする相手の時は、女性と間違えらたりすることも。

高校の時には、いたって普通の公立、共学の高校に通う。バドミントンに情熱を燃やす。今では、ローカルに混ざって練習に参加。大会にも参加。週一くらいで運動をしている。

浪人時代。スベドメを受けない。受かって満足できるとこしか受けない。一年目は受からないと思って受けて、見事撃沈。翌年に見事合格。

東京外国語大学ドイツ語学科に入学。大学入った時は、外務省、国連とかそういところで働きたかった。志が高かったが、途中で熱が冷めてしまった。高校〜浪人〜大学と8年続けた吉野屋のバイトに明け暮れる毎日。今振り返ると別なことをしておけばよかった。一つの店の中で、ずっとやってると何でもできるという勘違いもした。何故か知らないけど、責任感が強くて、やりがいを感じていた。就活の時には、この話を加工して話していた。

【内定取り消し事件】

実は、横ちんは就活を2回経験している。1度目の就活の時は、就活をきちんとやらなかった。大学3年生の時に、有名なところを受けていた。大学生にありがちなミーハーで、大手のメーカー、商社、航空系(JAL、ANA)を受けていた。最初の方は、パイロットになりたかった。10社くらいにESを出す。5社面接を受け行く。

インターネットに載っているような浅はかな知識で、会社の面接を受けていた。しかし、そんな状態ではうまく行くはずもなかった。たまたま説明会に参加していたメガバンクのOB・OGに会う機会があった。その時に、セミナーを受けて、OB・OG訪問をしたということで、面接がトントンと進む。

最終面接では、部長クラスの人が応接間で文字通りふんぞり返っていた。今振り返ると、試されていたのだと思う。興味のない人にいかに興味のある話にするかどうか。話した内容がどうかというよりも、受け答えができるかどうかを見られていた。最終面接もクリアして、5月くらいに受かる。他の会社の選考を進めることはもうしなかった。この時、メガバンクで働くことも決める。

しかし、結果として彼はメガバンクに勤めることはなかった。「内定取り消し」大学卒業者の掲示板に自分の名前が貼り出されてなかったのだ。自分の専攻であったドイツ語で1単位を落とした。それも、出席数が足りないという理由で。その日に内定先に電話を入れると、本店に呼び出される。今まで送られてきたものを全て持ってこいと言われた。人事の人に1時間くらい拘束されて、ネチネチ言われる。


週一で半年間、大学に通い、9月に卒業することになる。
この制度のために、半年を費やして、レベルが上がるわけではない。
社会人からの視点だと、「大学の一単位も管理できないのか」と自分に言いたい。

【2回目の就活】

4年生の3月上旬に、大学の卒業発表が出る。メガバンクを内定取り消しとなった翌月くらいには就活始まる。この時には、既に次の就活をするには遅すぎた。当時の大学生の就活状況としては、3年生の10月くらいに説明会が始まり、3年生の2、3月にES(エントリシート)を出し終える。4年生の4月から一斉に大手企業の面接が行われる。そして、5月も半ばを過ぎると内定の有無が決定している。

そんな状況の中で、3月上旬に留年という死刑制度を宣告された状況では、当然就活もやる気にもならず、4月のピークを迎える。4月の後半くらいから就活を始めようとする。大企業を止めて、ベンチャーに興味を持つようになる。ITとかありなんじゃかなと。そこで、前職のIBMサービス株式会社に入る。


「外国語、語学だけだと生きていけないので、スキルをつけたい。ITの能力をつけたい」

[2]に続く

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