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医療の曖昧性について

 医療は科学的なものであろうか?これまで多くの場面で私はこのことを考えてきた。ここでは、まず、そのことについて考えることになった数多くあるエピソードのうちの一つを記す。

 4.5年前から、虫歯や歯の痛みがなくても、年に3回くらい歯医者に行く。定期健診のためだ。以前は、いくら磨いてもすぐに虫歯になってしまい、健診ではなく虫歯になって歯科医に行っていた。どうやら私の歯は酸に弱く、虫歯になりやすいようだ。
ある時、歯科医院の歯科衛生士が私にアドバイスをしてくれた。「しずくさんの虫歯は歯と歯の間から起きるようです。糸ようじと歯間ブラシの使用をお勧めします。」
 私はそのアドバイスに従って、糸ようじと歯間ブラシを使うようになった。そのアドバイスにより、それまでよりも歯が虫歯になるペースが減っていった。しかし、それでもやはり虫歯になってしまうことはあった。
ある日、歯科医院に行くと、歯科衛生士は言った。「しずくさん、歯間ブラシを1回歯に通すだけでなく、1本1本の歯と歯の間に歯間ブラシを通して20回以上こするようにしてください。」とのことだった。私は、それはあまりにも負担なので、日によってある部分は10回こするようにした。例えば、月曜日は左上の歯を歯間ブラシで10回こする、火曜日は右上の歯を歯間ブラシで10回こするといった具合である。それにより、私の歯が虫歯になることは、それまでよりも少なくなった。

 ある時、私は事情があって歯科医院を変えた。診察時間が合わなくなったためだ。そこの歯科医院の歯科衛生士は、これまた別のことを言った。「歯間ブラシはお勧めしません。歯茎が下に下がる原因になります。それよりも糸ようじを積極的に使ってください。」とのことだった。

 それ以前にも似たようなことが合った。それは以前に通っていた同じ歯科医院の中でのことだった。その歯科医院で初めに私を担当した歯科衛生士は、私にやわらかめの歯ブラシをすすめた。しかし、その後、担当が変更となった。変更後の歯科衛生士に、歯ブラシはやわらかめのほうがいいのかどうか聞いたところ、「いいえ、歯ブラシはふつうの硬さがいいです。」という答えが返ってきた。

 なぜこんなことが起こるのだろう?私は歯科の専門家ではない。だからはっきりしたことは分からない。歯間ブラシの件について言えば、もしかしたら、以前の歯科医院に通っていた時と、現在の歯科医院に通っていた時で、私の歯や歯茎に何らかの変化が起きたのかもしれない。それを見て現在の歯科医院の歯科衛生士が、歯間ブラシは使わないほうがいいというアドバイスをしたのかもしれない。もしそうだとしたら、私のここでの推測は全くの的外れなのかもしれない。

 しかし、ここでは的外れかもしれないことを踏まえつつも、もう少しお付き合いいただきたい。

 私は、医療という場における正しさというのは非常に曖昧なのかもしれないということである。歯間ブラシを使った方がいいのか?使うとしたらどのように使うのがいいのかというのは、実は歯科医師や歯科衛生士の間にも考えからにばらつきがあるのではないか?私はそんなふうに思った。

 そして、私は私が歯科医院で体験したようなことは多くの医療について言えるのではないかと思った。精神医療にせよ、内科医療にせよ、ある疾患に対して、医療専門職がどのような診療を行うか、患者にどのような助言や指導を行うかは、個々の医師の裁量によるところが大きい。そして、それらは医師によって微妙に違う。医療とはそういうものなのだろう。

 「医学は科学である。」とされている。そして、その医学をもとに、診療現場で行われる医療も、科学的なものであるとされている。そして科学というのは客観的なものであるとされている。客観的というのは、その事柄について誰が観ても等しく揺らぎのない判断がなされ、結論がでることである。しかし、そう考えた時に医療の現場における診断や治療というのは客観的であると言い切れるだろうか?もちろん、検査の数値や画像を見てほとんどの医師が同じような診断をし、治療をするような疾患もあるので客観的な判断が可能であることも多くあるだろう。しかし、そう言い切れないことが医療にある場合、医療は純粋に科学であると言えるだろうか?

 もちろん、医療が科学であるとする見方によって私たちが多くの恩恵を受けていることは確かであろう。医学研究の進歩により、医療は大きく前進し、そのことによりかつては治療不可能だった疾患が治療可能になったり、その症状を和らげる方法が見つかったりするようになってきている。そして、それらの多くは科学的な研究を根拠としてなされている。そのような意味で医学は科学であり、医療は科学であるのだろう。
 しかし、それでもなお、医療には曖昧な部分が多くあるように思う。人間の身体や精神、身体と精神の結びつきには分からないことが多くある。病気の診断や治療の方法が進歩しても、その方法は医師によってばらつきがあり、かつて正しいとされていた治療法が、覆されることもある。そういう意味で医療というのは科学でありながらも、科学ではない曖昧な部分が多くある営みであるといえるだろう。

 私は、医療について、医師や看護師、薬剤師さらには近接職種であるソーシャルワーカーや理学療法士、作業療法士などの人たち、さらには患者や市民が、医療の曖昧さというものにもっと自覚的であれば、現在の医療の在り方は大きく変わるのではないかと考える。する側の人間が曖昧さに自覚的であるならば、患者にとって良い医療とは何かについて悩む余地が大きくなるだろう。そして、そのことは自らの実践を振り返り、内省することにつながりうるだろう。また、患者や市民にも、医師や医療の専門家の判断には曖昧な部分があるという認識が広まるならば、自らの心身や治療を医師任せにせずに、もっと自分の心身の状態について向き合っていくことことにつながるのではないだろうか。


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