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『出発』

今の気持ちを文章に残しとこうと思って、ノートを始めることにした。

日本を出国して、僕は今シンガポールにいる。
毎日が新鮮で楽しい。
でも一人の時間が増えた分、考えることが増えた。
日本にいる時と考える矛先が違う。
日本の時は、イベントの告知だったり、集客だったり、スケジュールの調整だったり、いつも目の前のことをどうやって達成できるか、関わる人達が笑顔になるのかをずっと考えてたなと思う。今思えば、ここ何年ずっと走り続けてた。

それはそれで毎日が楽しくて充実していた。
嫌だと思う日なんてなかった。
シンガポールにきて、もう一度自分を真っ白にしてここからまた新たな門出として初心の気持ちでノートを書いてみる。

ちょっと過去を振り返ってみよう。

『インド』
それは僕にとって近いようで遠い存在だった。

インドに行きたいと思って5年が経つ。

16歳の時、僕は1つ上のキャプテンの全十字靱帯を練習中に接触して怪我をさせてしまった。その先輩は最後の試合に出ることができずに終わった。あの時の風景がずっと忘れないしずっと後悔している。やってしまったことは取り返せないから今後僕がどうのように生きるかが大切だと思うから前を向くしかない。高校生活は自分の無力さに悔しい3年間だった。

その先輩ともう一度サッカーをしたい。高いレベルでサッカーしたいと思って先輩を追いかけて同じ福岡にある大学に進学した。大学はレベルが高くて1年生の時は毎日練習や当番で心身疲労してた。

高校の時に比べて格段と強度が違うし、僕のプレースタイルは接触が多いので、18歳の時にサッカーの練習で怪我をして両肩手術をした。
1年間のリハビリ生活を過ごした。

リハビリの過程でヨガに出逢い、僕はそこからヨガというものに興味を抱いた。サッカー以外に初めて熱中したものだと思う。今は怪我にとても感謝しています。

怪我から復帰したのは大学2年生。
大学生でサッカーをするためにこの大学を選んだし、同期のメンバーが好きで仲間達と最後までやり切りたい。この組織に恩返ししたい。と思いが強かったからインドは大学卒業していこうと決めていた。今しかできないことに集中した。

同期

大学3年生になり、自分にも何かできることをしたいと考えて被災地に向けてチャリティーヨガを企画した。チームのみんなが募金活動に協力してくれたり、宣伝してくれたり、ヨガに参加してくれて30万円近くを被災地に寄付することができました。この日の事はずっと忘れないと思います。

時間は流れあっという間に大学4年生になった。
4年生になるとみんな次に向けて動き出す。
組織にいると存在意義を求められる。

なぜ自分はこの組織にいるのか?
なぜサッカーをしているのか?

その問いが自分を成長させてくれた気がする。
サッカーを通して自分ってなんだろと考えた。

プロを目指す人。就職活動をする人。
僕はどちらにも当てはまらなかった。
周りが道を切り開いていく姿を見て、焦りはあったけど、どうしてもベクトルが向かなかった。

『大学卒業後にインドにいく』
違う道は考えたくなかった。
絶対に諦めたくなかった。

そしたら留学担当の先生からトビタテ留学のお話しを聞いた。官民協働の海外留学支援制度トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム14期が募集されてるそうだ。。。僕は興奮して真っ先に応募した。
受かったら国からの支援があって留学に行けると聞いて僕は行く運命だと感じた。

結果は合格。新興国コースインドに決まった。
日本から1人。国の代表に決まって本当に嬉しかったのを覚えてる。大学から何十年ぶりの快挙とも聞いた。

1年間の留学が決まったので、条件としては在学中なので卒業したらいけなくなる。大学の後期の単位を先生にお願いをして剥奪してもらった。1年間の休学を大学に申請した。その時点でみんなと一緒の時期に卒業をできなくなった。

寂しいけど自分の夢の為だから仕方ないと思った。

卒業式

卒業式はみんなはスーツ。
僕だけ私服で行ってみんなを見送った。
この仲間がいたから4年間本当に楽しかった。

みんなそれぞれの場所で頑張ってるから
『留学に向けて自分も準備をするぞ』と意気込んでたらコロナウイルスでインドはロックダウンした。

受け入れ先が見つからず、ビザも発行できない状態なので、インドに早く行けることを信じて待ち続けたけど時間だけが過ぎていった。

留学の期間は延長できるらしいけど
未知のウイルスがいつ落ち着くかもわからないし
もう1年間休学する選択肢は僕にはお金と時間が無かった。

僕は担当の先生に『辞退』をお願いした。
申し訳なさと悔しさが溢れてきた。
留学が決まった時、どれだけ喜んでくれか。
絶対、自分の力でインドに行くと誓った。

留学もできない。
就職もしてない。
どこに向かってるのかわからなくなった。

一気に孤独感と絶望感に包まれて
このままじゃいけない。何か変わらなきゃ。
根本的から自分を変えたくなった。
身体を変えようと思って小さい時から持病に苦しんだ経験からアトピーの脱ステロイドに挑戦した。

1年間の脱ステロイド


副作用でこれも地獄の毎日だった。
眠れない。痒い。痛い。朝起きたら血だらけ。
今でも思い出したくない日々だった。
人に会うことが怖くなり、引きこもりの生活になった。


このままじゃ駄目になると思い、旅に出た。
日本一周って凄いねとよく言われて
聞こえはいいかもだけど、現実逃避に過ぎない。

日本一周

止まってる自分が怖くて
動いてないと何かしてないと、不安だったからひたすら動いてた。悪いことを考えないように常に前向きに考えて自分を奮い立たせた。でも日本一周中は自分の弱さと向き合い、旅で出逢った人の優しさに救われてインドに行けない期間で日本のことを知る機会になって本当に良かったなと思う。

1年間の休学期間を終え、大学に戻った。
友達がいない中、1人で授業を受け一言も喋らない日も沢山あった。それはそれで集中できて心地よかった。授業は日本一周中に立ち上げたオンラインヨガスタジオのおかげで授業に学びたい分野が増え、とっても楽しかった。大学って凄い場所なのにずっと勿体無いことしてたなと反省した。結局はどこに行っても自分次第で環境を活かすかも殺すかも自分の意思でどうにもなるってことを学んだ。

就活にも積極的に取り組んだ。
兄に『ヨガで生きていきたいのは分かるけど
この世界には色々な仕事があって価値観もそれぞれだから一度就活を通して社会を見てみるといい。それでもヨガで生きていくっていうなら好きなようにしたらいいと思う』
と言われて休学期間と復学期間で2年間就活をした。立ち止まるきっかけをくれた兄には感謝だ。すぐ目の前の事に固執するのは僕の良さでもあり欠点でもある。

単位を全て取り終えて
前期(2022年9月)で卒業だったので
1人で大学に行って校門で写真を撮って
帰った。華やかさとはかけ離れた寂しい卒業式だった。でも無事に卒業できて良かった。

福岡大学法学部経営法学科卒業

大学を卒業して個人事業主としてやっていくんだとの覚悟を決め、朝から晩まで働いた。
カフェのお仕事も雇って頂いたり、ヨガ以外でも色々経験させて貰えた。地元にヨガを通して貢献したいと思い、太宰府にてヨガ教室も始めた。
太宰府ヨガフェスタは100名動員した。

土日は1万人ヨガチャレンジで全国を飛び回った。
生きていくためには勿論お金がいる。
お金がないと会いたい人にも会えないし、行きたい場所にもいけない。
だからこそ自分の中で期限を決めた。
3年間で事業が目標達成できなかったら、もう一度就活をしようと家族に約束した。これで生きていくんだとの強い覚悟も必要だけど、1番必要なのは自分自身のレベルアップだ。

ずっと目標だったインドをこのまま諦めきれないと思って2月にクラウドファンディングに挑戦した。これは自分への覚悟だ。お陰様で74万円達成した。
達成後、その重みにずっしりきた。
こんなに応援してくれる人がいるなんて最初は想像もしてなかったからびっくりした。

3000人達成してインドに行くと
宣言してたのでそれに向けて突き詰めた。
口で言うのは簡単だけど、言ったことをやり遂げることって難しい。僕の場合は沢山の人の協力が必要だったからありがたい限りです。

クラファン達成してから半年間。
あんなに遠くにいたインドが近くに見えた。
コロナも落ち着いてきて神様は味方してくれてると思って嬉しかった。
渡航チケットも買って9月27日に渡航と決めた。

それに向けて情報を集めたり
3000人達成に向けて全国回ったり
お世話になった方々へ挨拶に行った。

インドで何が起きても後悔しないように
会いたい人、行きたい場所に行ってきた。
オンラインでも簡単に繋がれる便利な世界になってしまったけど、僕は会うことが大切だと思ってる。

今まで出会った方達のお陰で今の自分がいる。
投げがけてくれた言葉だったり、その人の生き様だったり、それを聞いたり見たりして僕はいつも立ち止まるきっかけを貰った。沢山の人に影響されたからこそ頑張る原動力が生まれたのだと思ってる。

インドに行くまで色々あったし
諦めかけたことも沢山あったけど
諦めなくて良かった。

応援してくれた人達がいるから
ずっと前を向き続けることができました。

なんとかならないこともあるかもだけど
そういう時こそ、これまで支えてくれてきてくれた
人達のことを思い出そうと思う。

あとは楽しむ心を忘れずに
一歩一歩自分の足でインドの地を感じてみよう。

行ってきます。