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ボナパルト家を取り巻く女性たち - オルタンス編《8》百日天下
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◆これまでのお話
その圧倒的な力でヨーロッパ中を支配下に置いたナポレオン。
オルタンスは、そんなナポレオンの妻ジョゼフィーヌの娘でした。
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ナポレオンとは義理の親子という関係です
しかしジョゼフィーヌが後継者を産めず、2人は離婚。
ナポレオンの活躍にも影が見えてきて、彼は敵国に捕えられエルバ島に流されます。
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間もなく母ジョゼフィーヌも病気で失ったオルタンス。
かつてナポレオンと戦ったロシア皇帝・アレクサンドル1世の支援によりサン・ルー公爵夫人という称号を得て、2人の息子と共に何とかパリで暮らしていました。
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2人は良い仲だったとする説も
ところが、そこへエルバ島を脱出したナポレオンが、大歓喜の声に迎えられてパリに帰ってきたのです──。
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ここからの続きです。
第1話: 我慢の子と破れた靴
第2話: 不本意だった母の再婚
第3話: 初恋と結婚
第4話: 出産、そしてホラント王妃へ
第5話: 2組の離婚
第6話: ナポレオンの没落
第7話: 母の死とナポレオンの帰還
◇
ナポレオンがテュイルリー宮殿に入城する24時間前、全てを悟った国王ルイ18世は脱出してオランダへ亡命しました。
「あの女(オルタンス)がナポレオンを呼び戻した!」…そんな捨て台詞を残して。
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◇
そのオルタンスは義父を迎えるべく、テュイルリーに戻ります。
久々の再会。
しかしナポレオンはオルタンスに冷淡な言葉を浴びせます。
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「お前が私の大義を裏切るとは思わなかった」
当然ですよね。
ナポレオンから見れば、自身を追い込んだロシア皇帝と仲良くして、敵軍が蔓延っていたフランスに留まった訳ですから。
ただ、2人はすぐに和解します。
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先述の通り ジョゼフィーヌは既に亡くなっており、後妻のマリー・ルイーズと長男は実家のオーストリアに連れ帰られてしまっていました。
その為テュイルリーの女主人として頼れるのはオルタンスだけだったのです。
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ルイ14世の間
◇
ナポレオンはこれまでの独裁政治を改め、封建的な体制に反発する自由主義者と共同で国を治める立憲君主制の政治を試みます。
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しかし、彼の復活をかつての敵国が黙って見ている筈がありません。
すぐさま第7次対仏大同盟が成立。
ナポレオンはこれに戦いを挑みますが、6月18日、ワーテルローの戦いで決定的な敗北を喫し、その4日後に再び退位します。
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このおよそ3ヶ月間の復活が、いわゆるナポレオンの百日天下です。
◇
オルタンスは、ナポレオンの敗北後も彼に寄り添い続けました。
常に自分を本当の子供のように扱ってくれた皇帝に対して、これからも献身的な娘であり続けると主張したのです。
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負けてフランスに戻ったナポレオンは、最後の時を、かつて妻ジョゼフィーヌが暮らしていたマルメゾン城で迎えたいと訴え、オルタンスはこれを受け入れます。
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ここでの滞在中、ナポレオンは、フランスから遠く離れたセントヘレナ島に流されることが決まりました。
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◇
島流しが決まっても 彼は冷静で、厳しく威圧的な眼差しを持って過ごしていました。
しかしオルタンスが10歳と7歳の息子(ナポレオンの甥っ子)を連れてくると、その目には涙が浮かびます。
ナポレオンは2人を腕に抱きながら、顔を隠すようにそっと後ろを向くのでした。
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三男ルイ・ナポレオン
(↑名付けのセンス…)
◇
オルタンスは、
「いつお金が必要になっても良いように」
と、自分のダイヤモンドのネックレスを裏に縫い付けたベルトを贈ります。
ナポレオンは初め拒否したのですが、義理の娘のあまりの熱心さに根負けし、とうとうこれを受け取ったのでした。
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ナポレオンの母レティツィアも息子の元を訪れます。
彼女は初めしくしくと泣いていたのですが、やがて毅然とした態度でこう別れを告げます。
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「アデュー、我が息子よ」
そこへ旅の支度が整ったことが告げられ、ナポレオンはセントヘレナへと出発したのでした。
1815年、6月30日の事でした。
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続きます。
かつて王妃の座まで上り詰めたオルタンスでしたが、ナポレオンを失い いよいよ国を追われる事になります。
まだ小さな息子達を抱えて向かった先は…?
参考
NAPOLEON.org
《 BEAUHARNAIS, HORTENSE DE 》
・世界の歴史まっぷ
《 自由主義 》
Queen Hortense: A Life Picture of the Napoleonic Era
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