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ボナパルト家を取り巻く女性たち - オルタンス編《2》不本意だった母の再婚
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◆これまでのお話
のちにナポレオンの妻となるジョゼフィーヌの娘として産まれたオルタンス。
両親の離婚に伴い、母ジョゼフィーヌの故郷マルティニーク島で暮らしていました。
しかしフランス革命を受けて島で暴動が起こり、母と共にフランス本土に戻ります。
ここからの続きです。
↓第1話はこちら↓
◇
オルタンス母娘がパリに戻ってきて3年後の1793年、フランスの民衆によって国王がギロチンにかけられ、王政は崩壊します。
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ここからすぐさま王に代わるカリスマ指導者が出て一件落着…とはならず、国内は混乱していました。
当時の指導者ロベスピエールは「恐怖政治」と呼ばれた独裁を推し進め、「疑わしきは罰せよ」の精神で反逆因子を徹底的にギロチンで処刑します。
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を命じる、フランス国民公会によって発行された
政令の本文。
Ambre Troizat CC BY-SA4.0 Wikimedia Commons
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オルタンス父もこの政府に目をつけられ、逮捕されてしまいました。
情に厚い母は何とかして元夫を助けようと働きかけるのですが、その活動が裏目に出て母も逮捕されます。
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11歳になっていたオルタンスは、母の逮捕に伴い兄ウジェーヌと共に住み込みの家庭教師に育てられる事になりました。
(兄は離婚時の取り決めにより、5歳以降父の元で暮らしていました)
2人は自分達を引き離した両親に対して非常に健気であり、何とか父母を救いたい一心で「良民証」を届けようと奮起します。
良民証とは…大まかにいうと、革命を押し進める恐怖政治中のフランスにおいて「私は反革命的ではありませんよ」という事を示す証明書のことです。
一方の両親たちは、それぞれ監獄の中で恋人を作って楽しんでいたのですけどね…
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しかしオルタンスと兄ウジェーヌの尽力もむなしく、1794年夏、父アレクサンドルはギロチンで処刑されます。
もう誰もが母ジョゼフィーヌもギロチン間近と思った事でしょう。
しかし、この後クーデターが起きて政府が倒され、牢獄にいた母は解放されたのでした。
父の死からたった4日後の事でした。
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さて奇跡的に処刑を免れた母は、11歳になっていたオルタンスを 寄宿学校に入れる事を思いつきます。
目をつけたのは、パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レーにあるサン=ジェルマン学院。
この学校は、先の恐怖政治の際ギロチンの露と消えた、あのマリー・アントワネットの主席侍女であったカンパン夫人という女性が創設しました。
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その沿革から分かるように、良家のお嬢様に最高の教育を施す機関です。
本来なら 未亡人でお金に困っている母ジョゼフィーヌが学費を出せる筈ないのですが、持ち前の社交性でカンパン夫人と親しくなり、オルタンスを入学させてもらえるよう根回しします。
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自由奔放なジョゼフィーヌ。
タイプは全く違う気がしますけどね…。
ちなみに年齢はカンパン夫人の方が10歳上です。
キリスト教をあつく信仰していたカンパン夫人は、革命の波に飲まれ父を亡くしたオルタンスに同情し、学費を大幅に減額したのです。
そしてオルタンスの兄ウジェーヌは、隣の男子寄宿学校へ進学しました。
こうして母ジョゼフィーヌは2人の子をよそに預ける事に成功し、社交界で金づる庇護者探しに邁進するのでした。
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いっぽうのオルタンスは、サン=ジェルマン学院でその長所を大いに花開かせます。
ここで『カンパン夫人 フランス革命を生き抜いた首席侍女』(白水社)より、オルタンスの成績表に書かれたコメントを見てみましょう。
「 女市民オルタンス・ウジェニー・ボアルネはこの上なく優れた性質を備えています。善良で感受性が強く、落ち着いた性格です。うわの空になりがちな点を改善すれば、申し分ないでしょう」。
(白水社)
オルタンスは綴りや歴史は苦手だったようですが、足が速く芸術にも秀でており、更には全ての友人に対して非常に親切でありました。
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学院の人達の投票によって決まる「優れた性格賞」にも選ばれたとか。
しかし肝心の本人はそうして持ち上げられ目立つ事を好みませんでした。
そしていつも謙虚に振る舞っていたそうです。
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いっぽう恋多き女である母ジョゼフィーヌは、オルタンスが入学して2年も経たない内に再婚。
その再婚相手というのが、のちのフランス皇帝ナポレオン・ボナパルトでした。
(当時はまだ 出世中の軍人)
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オルタンスはこの時13歳目前。
多感な時期に母の新しい恋人の存在を知り、激しく動揺したそうです。
母ジョゼフィーヌはそんな娘に再婚の事を言い出せず、何とカンパン夫人から話してもらったそう。
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しかしナポレオンは司令官としてイタリアに赴くという軍務があった為、オルタンスが納得するまで結婚を先延ばしする…という訳にはいきませんでした。
結果、母とナポレオンは婚約公示から2週間ほどで挙式。
ナポレオンはその2日後にイタリアへ向かいます。
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ある日カンパン夫人は、ナポレオンがイタリアで敵軍を蹴散らして大活躍のニュースを引き合いに出してオルタンスにこう言います。
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「お母様は途方もない方とご一緒になられたのですよ。あれほどの才能と能力にあふれた方がいるでしょうか。何しろ勝利に次ぐ勝利を収められているのですからね」
(白水社)
するとオルタンスはこう返しました。
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「先生、あの方は確かに勝利を収められたでしょう。けれどもお母さまに対しても勝利を収められたことに対しては、決して許すことはできません」
(白水社)
弱冠12〜3歳にしてこの返し。
頭の回転の速さが窺えます。
◇
そんなオルタンスも、カンパン夫人の働きあってかナポレオンに対して少しずつ態度を軟化させます。
当初お世辞は書けないからとイタリアにいる義父に手紙を書こうとしませんでした。
しかしある日ついに意を決してその筆を取るのです。
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オルタンスに嫌われていると思いがっかりしていたナポレオンは、初めての手紙に大喜び。
妻ジョゼフィーヌにこんな手紙を送ったのでした。
「オルタンスからの手紙を受け取りました。なんとも愛らしい手紙です。私も返事を書きましょう。私はオルタンスを愛している。彼女の欲しがっている香水を送ってやろうと思います」
(白水社)
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続きます。
次回、女子校育ちのオルタンスに初めて訪れた恋。そして結婚のお話です。
そのお相手とは…?
↓続きはこちら↓
《補足・サンジェルマン学院について》
当記事でオルタンスが通っていた学校を"サン=ジェルマン学院"と表記しましたが、実は本当にこの名前だったかどうかはハッキリしないのだそうです。
ただ当記事では、学校名があった方が読みやすいと思い『カンパン夫人 フランス革命を生き抜いた首席侍女』(白水社)にならって"サン=ジェルマン学院"と表記しました。
またこの本の訳者あとがきにはこうあります。
(日付は2016年6月)
読者の中には、サン=ジェルマン学院がその後どうなったのか気になる方もいらっしゃるかもしれません。幾度か変身を遂げ、もとの校舎は一九七〇年代に売却されましたが、今もサン=ジェルマン=アン=レの地でノートル=ダム学院として続いています。
(白水社)
訳者: ダコスタ吉村花子
というわけで、最後にこのノートル=ダム学院のwebサイトへのリンクを貼って結びとしたいと思います。
本日もお読み下さり、ありがとうございました。
参考
・Sandra Gulland
《 Madame Campan’s school 》
・カンパン夫人:フランス革命を生き抜いた首席侍女
・ナポレオンとジョゼフィーヌ (中公文庫)
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