【あるべき自分より、ありのままの自分を】

私事ではありますが立命館ラクロス部3年生スタッフリーダーを務めています。決めた経緯等の話は不定期に掲載していきたいと思います。

ぼくらの代はリーダーを決める時期が2回あった。1回目は1年の冬、2回目は2年夏前から冬にかけて。

正直、2年生春から2年生秋くらいまでは自分が思い描いていた理想と現実のジレンマに陥っていた。

2年生の新歓活動を遊びと勘違いした軽率な行動が指摘され続けたり、学年内でぶつかって冷戦状態だとか想定していたよりも問題が多かったという事もあったが、何より

なんでお前は上回生リーダーのような行動をしないんだ

と批判的に見られていたと感じ、自らもリーダーはこうあるべきだと固定概念にとらわれその義務感を持っての行動や、らしさのない行動をしていた事は1番苦痛であった。具体的に言えば、

まず自分はスタッフ個人、組織の活躍を広げる為に各個人や多様性を尊重して活かすなどは大切にしているものの1つだ。

このような方針とズレが起こるリーダーの行動は例えば、非幹部が考えた案や意見をリーダーが代表してチームや学年全体に代弁し伝える事。本来であれば、リーダーが代表して発表、伝えるのがセオリー。組織の考えだと明確に分かるし、リーダーにはいわゆる威厳ができる。ただ、悪く言えば手柄横取りとも言える。

しかし非幹部やその発案者が言えば、その人が評価されるきっかけになり得る機会が出来る、そこで手応えを感じれれば次の活力になる、当事者意識が出来、リーダーだけでなく全員が士気高く活動できる事に近づくなど、個人としても組織としてもベストだ。などとこういった考え方をする事が多い。だがリーダーは前者のような行動をして、いわゆる引っ張っるリーダーになるべきだと思い、そこでジレンマに陥っていた。

自分はリーダーであるべき人を目指し一般的な「リーダー」がすべき行動やイメージを求めていた。いや、周り(特に上回)に認められる為にもそうしようとした部分もあるかもしれない。そして、これからもそうならば別の人が相応しいと思った。

しかし学年でMTGを重ね誰がリーダーに相応しいかではなく自分達の目指すチームに相応しいリーダーは誰かと考える事にした。

そして2回目に決めた時も自分が選ばれた。方向性は最初と似たようなものだが感覚で決めていた分、定義が曖昧であったから昔は「リーダー」になろうとしていたんだとおもう。2回目は約8ヶ月かけて定義付けや体制を決定した。(詳細は割愛、後日掲載)そして確信した。リーダーであるべき自分を求めるのはナンセンス。だって選ばれた要素になる考えや行動はリーダーとか関係ないありのままの自分だし、求められているものが自分らしさだから。

飾らない自分らしいSTAFFリーダーでいる。

それが答えであり、そして自分達が目指すものには俺だけでなくスタッフ各々のらしさがマストだ

立場は違えどプレッシャーに襲われている人は自分らしさを1番に忘れない方がいいかもしれない。それがあなたの1番の武器で、案外最強やったりするしね。

自分が活き、みんなが活き、STAFF組織が活きる為に、これからも

あるべき自分ではなく、ありのままの自分でいたい

だからこそ敢えて今はリーダーと多く口にして自分を信じ先で結果を出す事に努めている。

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後ろ姿シリーズ沖縄編。

ユーマ。

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