見出し画像

どこかの外国で食べたベーグルをもう一度食べたい

昨晩の話。

寝る前になぜかベーグルのことが頭に浮かんだ。テレビ番組でベーグル作りをしているのを見たからかな。多分、そうだ。

ベーグルのことが浮かんだと同時に、どこかの外国で食べたような記憶が想起させられた。
「どこか」と書いたのは、どこだったか、もう定かではないからだ。
もしかしたら、単に思い出が美化されただけで、日本のカフェのどこかかもしれない。ただ、何となく記憶の片隅に残っているのは海外だったような気がするというだけ。

どこだっただろう。
誰かといっしょに食べた覚えはない。一人でその店に入り、英語で注文したと思う。中学生レベルの英語でどうにか注文したような。

注文したのは美味しそうに目に映ったベーグル。
どうにかこうにか注文した後、店員さんが何やら英語で質問をしてきて、適当に「YES」と答えて、それが「トーストする?」という意味だったと知るのは、ベーグルが手渡された時だった。

ベーグルの間にバターが塗られ、それが焼いた温かさで少し溶けている。

一口食べてみると、外はカリッと香ばしく、中はもちもちとしていてバターの風味が口の中に広がる。
日本に帰国した後も、その味が忘れられなくて、しばらくベーグルばかり食べるようになったっけ。

果たして、その店のベーグルが抜群においしかったのか、ひとり心細く勇気を振り絞って注文したベーグルが思いの外、優しく感じておいしいと思うようになったのか、それも定かではない。

今や、海外に自由に行き来することもためらわれるご時世だ。
「このご時世、難しいよね」と諦めることにも慣れてしまった。それは冷静に考えると、とても悲しいことでもある。
しかし、もし、海外に自由に行けるようになったとしても、どこの国だか知らない、どこの店だかもわからないベーグルに出会えることは二度とないだろう。

だけど、「また行きたいね」と素直に願える世界であれたらなと思う。

また行こうね。

また会えたら。

そんな些細だった願いが、とても今は大切で。

あの店のベーグルはもう食べられないけれど、書いているうちに家で作ってみようかなと、俄然楽しみになってきた。
どんな味だったか思い出せるかな。そして、消えそうになっている曖昧な記憶のかけらを拾い集めてみたい。

サポートとそのお気持ちは、創作や家族の居場所づくりのために還元できたらと思ってます。