国語力の低下が招くサブカルチャーの大衆化について
思うに、遠回しの言葉は人々に届かない時代が来たと考える。
かつて、美しい言葉遣いで感動や考察を与えていた歌詞や小説は
その言い回しをやめて、より直接的な言葉を使うようになった。
例えば騒がしいや、鬱陶しいを表すために、かつて(頭に響くような金切り声が部屋を埋め尽くす……)や(居場所のないここを離れ列車に乗り私は一人街を去る……)など全体的な文章からそれとなく内容を理解したり考察を得たりするのが、一種の読者・聞き手の義務であり権利であり、楽しみでもあるのである。
が、昨今の