辛さは人それぞれ

恵まれた環境にいると、自分としては辛い気持ちがあるのに、「まわりと比べたら全然辛くないし」と思い込み、自分の辛さに蓋をしてしまう。

でもまわりと比べて恵まれているとしても、そんなのは条件の話だから、気持ちの話とは関係ない。どれだけ恵まれていたとしても、本人が辛かったら辛いのである。

たとえば旦那さんがたくさんお金を稼いでいて、不自由なく暮らせて、健康状態もよくて、家事を手伝ってくれる家政婦さんがいて、自由に使えるお金が月20〜30万円あるけど、気持ちとしては辛い専業主婦の人もいる。

まわりからしたら恵まれた環境にいるのは確かで、旧友からは「いい旦那さんと結婚したね」「うらやましい!」「うちは共働きでやっとだよ〜」などと言われたとしても、その主婦の人が恵まれているのはあくまでも条件の話であって、気持ちとして平気なのかは外の人からしたら分からない。本人にしか分からないものだ。そんな感じ。

わたしはずっと「自分は恵まれてるなぁ」と思うことが多くて、その分気持ちとしては辛くても、「とはいえ恵まれてるから文句も言ってられない」「恵まれてるのに満足しなかったらそれは、わたしが悪いとしかいえない」と思ってしまいがちだ。そして気持ちがくすぶっていく。限界になって涙が止まらなくなってから初めて「あれ、もしかしてわたし、すごく辛かった?」と気づく。自分としては「恵まれてるのに自分は不満ばかりだなぁ」と思っているのに、急に辛かったことに気づくから、それはそれはびっくりする。

「辛かったら逃げていい」とか「助けを求めるんだ!」とかよく言うけど、辛さを辛さと認識することって意外と難しいよね。

水に蛙を入れて、徐々に火を入れていくと、茹でられていることに気づかないという例え話を聞いたことがあるけど、それに近いのかもしれない。

日記をさぼると自分の気持ちに気づきにくくなるから、日記は書かないと。noteは毎日書いているけど、noteはひとりごとのつもりとはいえ人が見るものだと分かっているから、ジャーナリングにはならないからね。自分にとってはどうなのかってことを、ちゃんと点検していたいね。気持ちなんて特に、基準は自分でしかないからね。

昔はあちゅうさんが「普段からこんなにネットで文章を書いてるのに、わたし、誰にも見せない日記まで書いてるんですよ(意訳)」と言っていたけど、大事だよねそれ。と思う。

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