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何に対して誠実でありたいのか

自然に対して誠実でありたい。たまに野菜を腐らせるようなずぼらな性格だけど。洗濯物を溜め込むずぼらな性格だけど。最近、目分量で鍋ばかり作るずぼらな性格だけど。

どういう誠実さかといえば、野菜をイチミリも腐らせない誠実さではない。腐らせてしまったときに、コンポストに入れるような誠実さ。少し傷んだ野菜はにわとりにあげるような誠実さ。細やかな配慮ではなく、全体で見たときに理にかなってるような誠実さでありたい。

ていねいな暮らしっていう言葉がある。今時っぽくもあり、少し小馬鹿にされそうな言葉でもある。わたしは、都会で忙しく生きている人から見たらていねいな暮らしをしているように見えるだろう。でも自然農を実践している人や、エシカルな商品しか買わない人からしたら、雑でずぼらだろう。

大きなくくりで見るとていねいな暮らしだけど、実際は適当というか。大雑把というか。ただただ、大きなくくりで自然の循環の中で生きているというか。そんな感じ。 ていねいだし雑だし、どっちも。

自然に対して誠実でありたいとき、かしこまったり、細かいところまで頑張ったり、できない自分を責める必要はないと思う。できる範囲でやるだけでも地球は許してくれる。地球は寛容だから。大枠が間違っていなければ、小さなところは何でもいいんだ。

お天道様が見てる、という言葉があるけど、いいな。そう、すべての行動や出てきた気持ちは、天は見ている。天というのは大きいものであり、小さいものの集合体でもあり、自分でもある。自分であり、空であり、全部。

それらに対して恥ずかしくない、胸を張っていられる生き方をしたい。いいときだけいいふりをするんじゃなくて、いつもそうありたい。

土とか太陽とか月とか草とか、そういうものたちについてもっと勉強したい気分。宗教や占いよりももう少し科学的に説明できる神秘・神聖さに興味津々な今日このごろ。


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