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家庭菜園ができなくなっても別にいい/自己理解より発達検査したい

珍しく3時すぎまで眠れず、寝不足気味。PMSで腹痛だったのもある。

家庭菜園が楽しいけれど、この土地はわたしの土地ではない。つまりいずれ急に何らかのきっかけで失う可能性もあるわけだ。そしたら今のような大きめの家庭菜園はできなくなる。その時わたしは手足をもがれたような感覚になるだろうか。趣味がなくなったと思うだろうか。おそらく家庭菜園をやれてた時期があったことをすぐに忘れてケロッとしているだろう。本当に忘れっぽくて、切り替えが早くて、引きずらない脳みそをしているから。

その時はきっと家でできる何かをするだろう。手芸やお菓子作りなど。衣食住に紐づきそうな「作る系」の趣味をやるだろう。そう思うから、もしこの土地をお返しするときが早めにやってきても、そんなに落ち込まない。

自然な暮らしがしたいという希望は持ち続けるだろうが、希望を持ちながら暮らしを続けるだけであって、特別な困りごとは発生しないだろう。だってスーパーに行けば野菜は手に入るのだから。本当の意味では困らない、所詮現代人の道楽としての家庭菜園なのだ。

「いつか」と夢見ながら死んでしまっても別にいい気がする。理想を実現することよりも、理想を描くことのほうが楽しくて好きだから。これは理解してもらえないこともある。わたしはいつも妄想を楽しんで生きてるようなものだから、やりたいやりたいと言いながら、そう言ってる間を楽しんでいる。だから口だけだなと思われるのは不服である。妄想を楽しんでいる最中なことが多い。

先程夢を見た。ブラウンズフィールドのようなところに住み、各自米作りや野菜作りをしていた。わたしよりも意欲の高い人ばかりで、その意欲に圧倒されて、野菜作りをする気が下がった夢だった。「わたしの意欲なんてこんなものか」と思いながら、ブラウンズフィールドをあとにする夢だった。

妙にリアルである。しょうもないきっかけ一つで、やりたいと思ってたはずのことを簡単に手放す。これは性格というか、発達的な忘れっぽい特性なのか。そもそも発達を病気や障害のようにはとらえていないし、自分に付随するものとしか思ってないのだけども。

やりたいことなんてその程度のものである。こだわりなんてあってないようなものである。逆にそんなに興味のないことでもやってみたらハマれるのかもしれない。そう考えると何かを力づくで選ぶ必要なんてそんなになくて、流れに流されて、まぁこれも運命か、などと思いながら生きればよい気がしてくる。

たとえばお出かけの日に体調不良になりお出かけキャンセルになった場合、わたしは「今日は出かけない方がいいという合図だな」「もし出かけてたらしょうもないミスをしてたな」「もしかしたら事故を回避したかもしれない。神の采配ありがとう」などと思う。

おめでたい考え方だろうか?無理やりこう考えているわけでもなく、何かを学んだわけでもなく、受け入れて意味づけするというただの癖だ。防衛機制でいうところの合理化をやる癖があるんだろう。

記憶の偏りというものが大きい気がする。自分の言ったことを覚えていない。日々感じる量が多いからだろう?でもふとした瞬間の静止画が頭によみがえることはよくある。一度だけ行った南船橋のエスニック料理屋さんはジャスミン茶飲み放題で500円だったこととか。あれは果たしてお得だったんだろうか。とか今になって考えて終わる。人の脳みそを覗けないからなんとも言えないのだけど、もう少し重要な瞬間を記憶していたほうがよかったような気もする。

脳みその癖について改めて把握したいな。自己理解や個人事業を進めるためにコーチングでも受けようかなと思ったけど、コーチングにお金を払うくらいなら、再度発達障害の検査を受けて自分の特性を再認識した方がコスパいい気がする。自己理解よりも、発達理解の方が、わたしの役に立つ気がする。ということで千葉駅周辺に成人の発達障害の診断をしてくれるクリニックがないか調べてみようかな。

というか精神科医をしている大学のゼミの先生に会いに行こうかな、とりあえず。会いたいなぁ。本気で会いたいと思う数少ない人間のうちのひとりだ。せっかくわたしが千葉に住んでいて、先生も千葉大学にいるのだから。ちなみにその先生は、大学一年生のわたしにマインドフルネスとバッチフラワーレメディをおすすめしてきて、大学三年生のわたしに占い師が似合うと言ってきた先生だ。なんというか、わたしにハマるものをものすごい初期段階から見抜いていたなと思う。

ライトなコーチングサービスじゃなくて、普通に精神科医やら臨床心理士に話を聞いてもらった方が保険も効くだろうし自己理解が深まるとも思った。先生に手紙を書いたり、アポ取ったり、発達障害の検査をしてくれる病院を探したりしてみよう。

PMSのスーパー覚醒タイムが働いてるせいか、忙しい頭の中を言語化して、誰か見てるような見てないような、ほとんど見られていないようなnoteに、適当に走り書きを残したい気分。そういう日だ。今日はベッドにいりでしょう。

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