文フリで販売するエッセイ集を入稿した/文章の何をやっていくか
11/11(土)文学フリマ東京に出店します
さきほど、なんとか入稿した。ここから印刷会社のチェックが入り、チェックが完了してから10日後くらいに家に届くので、文フリまでにギリギリ届く感じである。
とりあえず何とかなる範囲でしょう、お疲れ様でした。
今回エッセイ集づくりに向き合ってみて、いろいろ考えさせられた。
自分は文章の何をやっていくのか。
そもそも文章をやっていくのか。
というのも、今までただひたすら日記を書いていただけで、文章を書いてきたと言えるのか謎だなと思った。
簡単に言うと、文章に対する自分の認識の甘さやこだわりの無さに向き合うことになり、なんともいえない感覚になった。振り出しに戻されたような。
今までずっと文章を書いてきたようで、全然書いてこなかったんじゃないかと思う。
文章には大きく分けて2つあると思っている。
①情報を伝えるための文章
②世界観を味わってもらうための文章
もうひとつ、おまけとして、ただのひとりごととしての文章もある。
今回わたしが書いたエッセイは、働き方をテーマにしているので、①と②の中間になるはずだ。情報として「ほーん、なるほど」と感じながら、世界観を味わえるのがベストだと思う。
でも実際に通しで本を作ってみると、②に寄せるのがとても難しい。書き直してみても、①寄りのひとりごとから抜け出せない。②に寄せようと文章をこねくりまわすと、読みにくい上に、ナルシストな雰囲気が出てきて進めない。カッコつけた中学生の卒業文集のようになる。
②に寄せるのがとても難しい理由は明確で、今までそれを意識してやってこなかったからだ。
Webライティングや仕事のメールは①で、②を意識するのはせいぜい短歌を作る時。短歌は31文字。長い文章の中で②を意識したことは、ほとんど無かった。
自分のことを「文章を書く人間だ〜」と思っていたけれど、それはひとりごととしての文章の話。本当に②に寄っていきたいのか、そもそも①だってできていないんじゃないか、ってごちゃごちゃと思ってる。
「◯◯はできます、得意な方です」と言いそうになるものほど、傲慢になってて、怪しいかもしれない。
今のところは、謙虚な心を持ちながら②に向かっていきたいと思う。まだスタートにも立っていないけど。
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