働きたくない人間の「働きたくなさ」とは何だったのか
圧倒的働きたくない人間だったけど、今は働きたくないというよりは、むしろ(仕事かそうじゃないかにかかわらず)やりたいことが爆増している29歳女です。
noteのネタが枯渇しきっているので、また「働きたくない人間の働き方研究」をテーマにしてみる。
過去の自分の「強烈な働きたくなさ」はどこからきていたのか、少し振り返ってみたい。
まず一番大きいのは、人間全般に対する信頼がなく、人と関わるのが嫌いで、人と関わることによって不快な気分を感じることも強烈に嫌だったこと。
あとは人に迷惑をかけるのも苦手すぎて、絶対に人に迷惑をかけないように気をつけて、人間を回避したり、ややこしくなりそうならリセットしようとしたり。
とにかく実際に問題があろうがなかろうが、人との関わりが強烈なストレスだった。
親に頼るのも難しい子供で、どうしようもないからお守りを握って祈ったり、仏壇のおじいちゃんと会話したり、過去に自分が書いた日記にコメントをつけて返事をしたりしながらやりすごしていた。
この人間に対する無理さをどう乗り越えたのか?といえば、在宅ワークにより不要な不快は最初から消し去ったことと、「まぁ人に迷惑かけてもいいや」と開き直ったことと、セルフコンパッションやアンガーマネジメントを取り入れていること。あとは結婚したのも大きいのかもしれない。
結局は人間全般に対するバリアや、やたら高いプライドにより、人と関わるのが強烈なストレスになっていたと思う。(あとは普通に発達障害の影響で、人との交流の難易度は高い。これは半分仕方なさがある。)
人間と関わるのが平気か、平気じゃないか、ってものすごく生きづらさ・生きやすさに直結する。本当に小さい頃からずっと人と関わるのに疲れすぎていた。感覚過敏だから、メンタルが平気でも、音が無理とか、よくあった。
開き直ってからはだいぶ楽である。やっと普通の心の状態で集まりや人との遊びにも参加できるようになった。上手く会話しなきゃ、と焦って、ご飯会のご飯の味を感じられない病気を卒業できた。おめでとう。
次に思い当たるのは、やりたいことが無くて暇だったこと。やりたいことがないと暇で、すると考える時間が無駄に多くて、細かいことまで気にしてしまう。
メールが毎日15通来ていれば1通さばくのに何のストレスも感じないけど、3日に1通しか来ない場合は、メールをさばくのがやたら面倒に感じるし、放置してイライラしてくるし、害が出てくる。ああいう感じ。
暇だと小さいことが気になって、ピリピリする。自分の人生に何も起こらないと、SNSで流れてくる他人のことが無駄に気になってくるし。
今は仕事して畑して料理して、何やかんや日々動いてるので、完全な暇な日というのもなく、小さいことが気にならず、普通に暮らせる。
働きたくなさは、仕事とは無関係のところから生まれていたと思う。ご卒業おめでとうございます。
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