SNS のグッドボタンの使い方に対する思い込みが今日変わった

わたしは、人の投稿が特に優れたものでない限りグッドボタン(スキ)を押さないし、そんなものは月に5件もあればいい方だ。

しかし世の中には、内容を読みもせずにグッドボタンを押して回る人間もいる。わたしは彼[女]らをひどく嫌ってきた。

その使い方はこうだ。彼[女]らはグッドボタンを、投稿を読みに「きた」ことを証拠に残すための足跡代わりにする(読んだこと、ではなく)。そして、それで投稿者の歓心を買わんとする。そのとき都合のいいことにグッドボタンは、第三者に自分の存在を示す目的さえ兼ねる。

また、「お返しのグッドボタン」というのがあって、彼[女]らは人間関係上の配慮から、義理の印を押して帰る。発展すると、自分の投稿にグッドが欲しいために、「付けて、付けられる」互助システムも成り立つ。

わたしはこの仕組みを理解していなかったから、グッドを付けない非情な人間と勘違いされている。やみくもにグッドボタンを押すと人間としての評価が上がるこの世間において。グッドボタンの連鎖が社会の潤滑油になるのに。

なぜかというと、わたしは昔も今も、自分の残したグッド及びその投稿を記憶に全部留めておきたいので。したがって、数を限らざるを得ない。ここが人と違う根本に違いない。

社会におけるグッドボタンの機能がわかってからは、これの使い方を各人の自由とみなす他はない。彼[女]らを嫌うのをやめる。グッドボタンの活用法は人それぞれ。ちょうど、商品を買った人がそれを好きに使ったり捨てたりしていいように。生産者や販売者は、その手から商品が離れたら、もう購入者に口出しできない。そして購入者の、他の購入者への批判はお門違いというものだ。

同様に、グッドボタンの創案者やサイト内設定者の意図はともかく(義理や互助システムまで読んでいたかもしれないが)、使用者がいかなる使い方をしようとも、ましてやわたしは使用者の1人なのだから、他の人間がグッドボタンにどのような意味を持たせようが関係はない。

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