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不幸になりたいわけじゃないのに不幸を願う理由

なんとなく昔から、不幸になりたいわけじゃ無いのに不幸を願ってるような自分がいた。
まあそのあとほんとに不幸になったんだけど。

誰かが怪我をした。誰かが体調を崩した。誰かの大切な人が亡くなった。誰かの大切なものが無くなった。誰かの心が理不尽に傷つけられた。
そう言うのを聞くたび、私は代わりたいと思った。私も経験したいと思った。私も不幸になりたいと願った。

構って欲しいとか自分が1番可哀想だと思いたいとか、そう言うことなんだろうと思ってたし、自分でもそんなふうに思うのが気持ち悪くて馬鹿だなと思ってた。幸せでなくとも辛くなかったらそれでいいのに。平和で、1本線のように変わりのない日常が、生活が、どれだけありがたくて幸せなのか。馬鹿だな。と思ってた。

私はその人たちの気持ちを想像でしかわかってあげられなかった。

私は昔から、元気で明るい方だと言われていたけれど、そう言われるたびにそうじゃないと思い続けてきたし、心を開ける人は決まって、暗くて静かな人だった。明るくて楽しそうな空間が、声が、あまり好きじゃなかった。楽しい時もあれば、本当の自分とは違う気がして、繕ってるような気がして、疲れてしまうから。

そこから10年ほど経っただろう現在大人になった私は、たくさんのことを経験し、人間として少しずつ成長している。

私は想像でしか、気持ちをわかってあげられないことが嫌だったのだと思う。でも、人の気持ちは出来事の数だけあって、人の数だけ違う。同じ気持ちをわかってあげることなんてできない。でも、似たような感情や、似たような出来事に当てはめて、辛いを少しだけでも和らげることができたらといつも思う。
小さい頃の私は、いろんな人のいろんな辛いをただ、助けたかったんだと思う。ただ不幸を望んで、願っていたのではなく。気持ちに寄り添って、少しでも、一瞬でも灯を灯すことが出来ないことが、嫌だったのだと思う。

私は昔から、誰かを助けたかった。

いつか、誰かの暗い世界に、少しでも、一瞬でも、灯を灯せるような仕事がしたい。

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