わたしは学生の頃から、しょうもない、どうでもいい話が大好き。 「ねえ、今空を飛んでる鳥ここからどこいくと思う?」 「最後の晩餐何食べたい?」 「あの車、めっちゃオレンジ色。赤に近い濃い色だよね。朱色?みたいな?」 自明の話や、答えのない話を、多くの人はどうでもいい、しょうもない、と言う。 友達と話していて「しょうもなー笑」「なんの話よ笑」なんてよく言われる。その度に私は「しょうもないは世界を救う!!」と笑って返す。 答えの無い話には、自分の想像がたっぷり入る。 こうであっ
「神様」ってみんな言うじゃん? 神様っているの? 神様ってさ、多分いるんだよ 神様は人間にさ、 平等に「ひとつ」だけ命を与えて 感情を与えて 感覚を与える そして、母親を1人と父親を1人与える 世界に産み落とされてから、どちらかがいなくなったりする時もある でも、初めに全員に母親と父親を1人ずつ与える いくつもの枝分かれした人生を、幾度となく選択して、私たち人間は1人ひとり、唯一無二になっていくじゃない? 母親と父親を「平等」に与えるけれど、いなくなってしまったら、新
私は確実に社会不適合者だと思う。 高校3年生、そろそろ進路を決めるタイミング。そこで私はとある国家資格を志すようになる。 奨学金を借り、高校1年生からアルバイトで貯めた貯金で、理系大学へ入学した。 文系だった私にとって理系の学習はあまりにも難しく、ついていくのがやっと。でも、なんとかしがみついて前期を終えた。難しくてとても大変な半年間だったが、自分の興味ある分野を学ぶことは、とても楽しかった。 だが、後期が始まる頃から、私の心は崩れ始めた。 学業ではなく、プライベートで抱え
なんとなく昔から、不幸になりたいわけじゃ無いのに不幸を願ってるような自分がいた。 まあそのあとほんとに不幸になったんだけど。 誰かが怪我をした。誰かが体調を崩した。誰かの大切な人が亡くなった。誰かの大切なものが無くなった。誰かの心が理不尽に傷つけられた。 そう言うのを聞くたび、私は代わりたいと思った。私も経験したいと思った。私も不幸になりたいと願った。 構って欲しいとか自分が1番可哀想だと思いたいとか、そう言うことなんだろうと思ってたし、自分でもそんなふうに思うのが気持ち
私は、自分の中で「こうでなければならない」が強すぎる。 例えば仕事 正社員でなければならない。社会人だからこうあるべき。 そんなしょうもないルールに縛られて、自分の心や気持ちは置き去り。自分じゃない人が、そのルールに当てはまっていなくても何も思わない。むしろ素敵だと思う。なのに、自分なると途端に甘えているんじゃないか、と思えてくる。 なぜなら、過去の自分はできていたから。 1年前はできてた。先月はできてた。昨日はできたのに。 そう思ってしまう。続けることがいかに凄いことか。
私が◎と考えるものを、あなたは△と考える。 私が◉と言うものを、あなたは◎と言う。 私が△がいいと言ったものを、あなたは□もいいねと言う。 あなたはいつも、私とは違うところを見てる。私とは違う世界を見てる。私とは違う世界を生きている。 でも決して、あなたの生きている世界を信じているものを押し付けたりはせず、ただ、こうも見えるね。僕はこう見えてる。そう教えてくれる。 一つしかなかった私の世界に、もう一つの世界ができて、私の世界での当たり前が、当たり前でなくなって あなたが
ようやく文字に残して、気持ちと向き合えるぐらいの月日が経ったように思う。 就活を目の前にしていた3月の初め。 ゆっくりお風呂に入っていた時、その知らせを聞いた。 頭に浮かんだ言葉は、「ついに人を殺した」。 頭が真っ白になって、すぐ、思い浮かんだ言葉だった。拒絶して、逃げて、それでも切りきれないのは、彼女の人間としての一部が私にとっては大きすぎたから。 でも、それすらもついに消えかけようとした。 あまりに受け入れられない現実だった。 立場上葬儀には出られない彼女と、出た
私がボロボロになった頃から、会えなくなった友達がいる。いた。 最近、4、5年ぶりに会えたんです。 彼女たちは年月を感じさせないほど相変わらずで、会っていなくても繋がれている子達でした。 どこかで、私の思いの一方通行を感じて大切にしたいと思ってたはずなのに自分で壊して、悲しんで、悔やんで、そうやって思ってたことがあった。大きな間違いだった。 大人になって会った彼女たちに対する感じ方が、少し変わってみえた。感覚的には、家族だけど、マンションに1人一部屋隣同士で住んでるみたい
私の見る世界も歳を重ねるごとに変わっているなと感じる。当たり前だけど。 SNSで観ていた世界は、学校という世界のみんなをみる事から、キラキラ輝いてる子達を見るようになり、今は自分の生活や生き方に刺激を与えるようなものをみたり、なんて言えばいいのかわからないけどそうやって変わっていってる。 それで言えば、会話も変わってきてる。これも結構当たり前。観る世界が変われば発する言葉も変わる。気になるものも、興味が湧くものも、嫌だなと思うものも変わる。 学生の頃って、共感や、同調で友
私は数年前まで、日本にはいくつもある「松風」という町に住んでいた。その時の生活を思い出してる。 松風での生活の始まりは、朝からドラマ。ドラマが大好きで、アルバイト先の店長の奥さんといつもドラマの話で盛り上がってたぐらいすき。ニュースを見たいという気持ちと、ドラマが見たいという気持ちが競り合い、大体ドラマを見てた。 まず朝起きる。テレビをつける。決まってめざましテレビ。他はしっくりこない。メイクスタート。この段階で、めざましテレビからドラマに変える。学校に行く前もドラマを見
再出発します。 やりたい事、私にしかできない事、私だからできる事。それを目指すことは、私の生きる意味のような、そんな気がしています。私が私になるために起こった、たくさんの出来事。ずっとずっと見つめて、大切にしていこうと思います。ひとつひとつ、しっかりと向き合って、吸収してきました。吸収したらなくなっちゃうんじゃないんですよ?無くしちゃダメです。私は誰かを助けるためにそれを使うって決めました。まだまだ知識も経験も言葉も、足りないけれど、これから少しずつ、少しずつ、頑張っていこう
と聞かれて、少し考えて、 「自分」って言った。 色々ある 色々あった 容姿だって、性格だって、思うことはある 足は細くて絹のように白くなりたいし あなたのすることはいつも美しいと言われたい いつも笑顔で、でも何かミステリアスで 上品で、物持ちが良くて、世渡り上手 ???? 思うのは自由 難しいのが現実 全部手に入ったところで きっと周りにも、心にも、誰もいない 私は 卑屈にならなかった 媚びへつらわなかった ただそれだけの理由で 生まれ変わっても私は私になりたい。
どんな私も どんなあなたも どこかの誰かの「羨ましい」 なのかもしれない 今の私は、誰かの 「夢」「ああいうふうになりたい」「目標」 かもしれない 今日の私も、どこかの誰かの「羨ましい」