いつかあとかたもなく

自分の中から太宰治が消えていく。

noteを書き始めて少し経った頃に、文体診断なるものをした。自分の書く文体が、どのような作家さん、或いは文豪に近いのかを診断してくれるサイトだ。好奇心だけで見たその結果に太宰はいなかった。当然といえば当然だ。いま、「栃野めい」の書く文には太宰の残り香はない。

学生時代は2年間、文芸部に所属していた。心底太宰治を愛し、教科書をそっちのけで読み耽っていた頃だ。影響されやすい思春期に、文体が似るのは時間の問題だった。「匡さんの書く文は難しいですね。でも好きです」匡、は当時のペンネームだ。後輩にそう言われるのが嬉しかった。句点が多くて、漢字が多くて、抽象的で。太宰を宿した自分の文が好きだった。誇りだった。確かにそうだった。

年が経って、小説をあまり読まなくなって、もちろん太宰は敬愛したまま再び筆を取った時、あの、自分でも好きだった、どこかに太宰を感じるようなあの文が書けずに愕然とした。思い出そうとしても出来なかった。もうそれは殆ど感覚だったのだと思い知らされた。あの文は、全て過去のものだ。このまま、僅かに残っている欠片の部分もいつか、無くなってしまうのか、と慄いた。

わたしは「栃野めい」になった。




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