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上司の弱音に救われることだってある

社会人2年目で転職した職場で出会った上司がいた。私のちょうど10歳上で、バリバリ働く強い女性。

彼女と言えば、ハンサムショートヘアに存在感のあるシンプルなピアス、きれいに塗られたネイルと指元のストーンリングを思い出す。こんなにも、都会が似合う人を私は知らない。

彼女が身につけているもの全てが強烈に印象に残り、まるで裸で槍の雨を受けるように、私は全身でその影響を受けていた。初めて自分にストーンリングを買ったのも、彼女に出会ってからだった。

真面目すぎた私に上手くサボることを教えてくれた人。ふらっと職場を抜け出して一緒にコーヒーを飲みに行ったり、気軽な外出にしれっと一緒に連れ出してもらったり、中途採用しかしていない会社で断トツで年下だった私を、業務以外でも本当に気にかけてくれていた。

今はお互い元の職場を去ったので、厳密には元上司。私はもう、彼女の部下ではないし、彼女もまた、私の上司ではない。それでもたまに連絡を取り合って、自分たちの意思で会いに行く。職場での役割を超えて、もっと自由で曖昧な、心地よい関係になれたことを、私は密かに嬉しく思っている。

先日、1年ぶりの再会の日、彼女は黒のタートルネックに身を包んで現れた。まだ正午前の早めのランチ。表参道駅から少し歩いたレストランは、私たち2人だけの贅沢な空間だった。

テーブルについて、彼女がおもむろに新しい名刺を出した。かっこいい横文字が並ぶそれは、なんだか知らない人のもののようで、ちょっぴり寂しい気持ちにもなった。

彼女もまた、上司でなくなった気楽さを抱いていると思う。たぶん。だから前よりもっと本音を聞かせてくれるし、たまに私の前で弱音を吐くことだってある。

「東京はそろそろ十分かな、地元に帰りたいってたまに考える」

「部下を持つのってけっこう大変。頼りないって思われてるかもしれないし、私には向いてないと思ってる」

「今ごろ本当は働く母親になってるつもりだった」

私より人生のちょっと先を行く彼女の言葉は、切実で、生々しくって、なんてったってリアルそのもので。

彼女は本当に強い人だと思った。

その気になれば、私が尻込みしてしまうような完璧な女性マネージャーにも、理想のロールモデルにでも、何だって私の前ではなれるのに。

元部下であり、年下の私にも、取り繕うことなくありのままの姿を見せてくれる。少しの迷いと弱音を抱える、一人の働く女性の等身大のままでいてくれる。

そして私は不思議と、救われる気持ちになるんだ。

バリバリ働く強い女性、という側面しか知らなかったら、私はきっと不安なままでいたかもしれない。自分はこうはなれないと、いつまでも自信を持てずにいたかもしれない。

立場の違う彼女の弱音に、同じ目線で共感することは出来ないけれど、彼女もまた、それを期待はしていない。

ただそうやって、弱音の一つや二つこぼしたって、食後のコーヒーを飲み終える頃には自分で折り合いをつけていく。

自信が持てなくなったって、ふと弱気になったって、何度だってこうやって自分で立ち直って進んでいく。

これもまた、彼女から教わったこと。

気がついた頃には、店にはたくさんの客がいた。私たちは一足早く食事を終えて、来た道を駅まで歩いて戻っていく。店を出て急に冷たい風に当たった瞬間、鼻がツンと唸った。



ああ、私はきっと今週末、黒のタートルネックを買うんだろうな。

彼女の後ろ姿を見ながら、そんなことを考えていた。






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職場で最初に出会ったときの話はこちらでも書いています。









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