智子が心中未遂をしたのは、今から四年前の七月の夜だった。うだるように暑い、望月の夜だった。 智子は僕の幼なじみで、僕の自宅から、向かいにあるコンビニ「ララマート」を右に曲がって、左手にある少し薄汚れたアパートの二階に住んでいた。親はいなかったけど、底抜けに明るくて、ましてや自殺などするような子には見えなかった。 心中の前日、彼女は珍しく家に来て、ご飯を食べて、少しゲームをして、先生の愚痴なんか言ったりして、そうして二十時頃に家に帰った。 去り際に彼女は、
その日は、何やら月がとても綺麗な日だったようで(たしか、ストロベリームーンだとかそんな名前でした)それなら二人で見に行こうという話になりました。 私はせっかくなら静かでよく見える場所でと思いましたから、彼の手を引いて、私の学校の裏山にある小さな湖へ連れていきました。 予想通りというか、誰もいない湖には真っ赤に輝く月だけが大きく輝いて、手を伸ばせば届きそうな程近くに静かに浮かんでいました。 「キレイだね」なんて私が言って、彼が静かに頷いて、それからしばらくボーッと二
先生の家は、少し田舎だ。都心からバスなら40分、電車ならば30分程の街にある。都会の喧騒はないけれど、田舎のせせらぎもない。都会ではないけれど、田舎でもない。 なんというか、全体的に古いのだ。どこか時代が止まっているみたいで、なんだか懐かしい匂いがする街なのだ。 駄菓子屋には、未だに錆びたタバコの看板なんかがあって、家の周りは、ブロックとかではなく、木の垣根で区切ってある。 先生の住むアパートも例外ではなくて、内装は新築のようにリノベーションされているのだ
今日の私はというと、先生の完成した原稿をチェックしに来たわけで、きちっと仕事モードである。前回のようにダラダラと過ごす訳にはいかないのだが。 予想外も日常で。 天気予報が外れるなどは、日常茶飯事なわけで、予報の晴れは雨に変わり、私のやる気は、憂いに変わった。今日は、少し締まらない。 ところが、ご機嫌斜めな私と打って変わって、今日の先生はというと、少し機嫌がいい。雨は好きなんだとか。理由はよく知らない。上機嫌な先生は、窓枠に座ってタバコを吸っている。
青々と伸びた緑のカーテンから、暖かな光がもれる。窓から吹く風は、カラッとしてて、少し早い夏の香りがする。静かな部屋には、ただ、万年筆が走る音が響いている。カリカリ、っと子気味いい。 机に向かう彼は、実に楽しそうに筆を走らせる。目を隠すほどに伸びた前髪のせいで、あまり表情はわからないのだけれど、雰囲気だけは、とても伝わってくる。 彼の名前は、紙白 岫(かみしろ みさき)。本名なのかは、私にも分からないが、本人は、この名前を気に入っているらしい。小説家で、10年ほど
夕暮れの教室、私はポツンと一人座っていた。窓の外ではサッカー部が練習に励み、汗を流している。どうやら今日はスクワットがメニューらしい。 特別、私はサッカー部のメニューが気になるとか赤点の居残りだとかで教室に残っている訳では無い。 告白。そう私は今日、告白をするのだ。 お相手は一つ上の先輩で、今ちょうど窓の外でスクワットをしている青いユニホームを着た男だ。一目惚れである。ただ、惚れてからというもの特に状況も変わらず、たまに盗み見てはニヤケているといった具
「おい、生きてるか?」 「ああ、なんとかな。クソ、痛え。下半分持っていかれちまった。一思いにやれってんだよな。」 そういうと林檎は、ラップに包まれた断面をさすった。 「一体なんに使われたんだ。」 「それがな、カレーの隠し味とかでよ、俺の半身をミキサーにかけて入れやがった。」 「そうか、それはなんとも。」 それを聞いた俺は少し身震いした。そうしてまた林檎に質問した。 「人参は、、人参はどうした。」 これはあまりに聞き難いものであったし、何よ
読んでいる君。公のところに置くので、あえて名前は避けますね。君ならここに必ず来るだろうと思って、日記帳を預けました。日記帳と言っても、ただこれだけしか書いていませんが。私の最後の告白です。 きっと君は、いえ、忘れているかもしれませんが、何故私が身を投げたか、今でもわからないでしょう。ましてや、聞いたことも無い男との心中など、理解し難いと思います。 けれど私とて、自殺願望者では無かったのです。ただ、疲弊しきった私は、もう死ぬしかないと考えるまでに、どうしよう
コーヒーを一口。満たされた琥珀色の鏡には、ゆらゆらと歪む私の顔が映っていた。机の上の白いお皿にちょこんとマカロンが一つ残っている。 「あ」っと、溜息にも似た声が出た。最近は特にいいことがない。かと言って悪いことがある訳でもないのだけど、ただただ漠然と過ごしていることに、とても憂鬱を感じていた。月曜日から始まり、金曜日に終わる。土曜日、日曜日をダラダラとつかって、また月曜日へ。ルーティンのような、はたまたマニュアルのような、肩身が狭いような、窮屈のような、それでも辛い訳
陽だまりに、一人。忙しなく会社に飼われる日々が続き、一人黄昏ることが多くなった 。 飄々と流れる時間を、静かな神社で持て余して、昼ごはんの惣菜は箸が止まっていた。 この時間が終われば、、そんなことを考えていたら不意に涙が流れてきて、「このまま死んでしまおうか」などと、浅はかな事を考えてしまう。 ふと、顔をあげると、赤いクレマチスの花が咲いていた。春の陽気をスポットライトのごとく浴びて、さながら一流女優かのように佇む真紅の花。 美しかった。 だが、美しい
突然だが、私の学校には群青先生がいる。何を言っているのか分からないと思うのだけれど、名前の破壊力は大いにあると思う。 蓋を開けてみれば、ただ青いシャツをいつも着ている、痩せ型の、無精髭を生やした30歳の先生なのだが、どうも少し変わっている。 いつも理科室にいて、生徒が居ようがお構い無しに、悠々とタバコを吸って、フラスコで沸かしたインスタントコーヒーを嗜む。道徳的には悪いのだろうけども、そんな彼を慕う生徒は少なくない。かくいう私もその生徒の内の1人なのだ。 少
首筋に垂るる一滴の汗、青ざめたその唇、生にしがみついた瞳、畏怖を含む荒い吐息。 口に噛ませたタオルからは、血がにじみでている。よほどかみ締めているのだろう。 この命は、今日終わる。 首筋に手を当てると、脈打つ鼓動がまるで生きたいと叫ぶように鳴っている。死に直面した人の体は、正直に叫ぶ。 命の終点は、真夏の夜の花火のように、一瞬の輝きで、望月に頭を垂れるすすきのように、かくも美しく儚い。この瞬間、この一瞬、人は最高の輝きを放つ。 だからこそ。 今日
忙しなく動く街並みを見下ろして、だだっ広い屋上で、1人白煙をこぼす。飄々と流れるタバコの煙。頭を垂れて手すりに寄りかかった。 上京して3年の月日が流れた。目まぐるしくすぎる日々に引きずられて、あれよあれよとハタチになった。屈託のない笑顔を煌めかせていたあの頃はもうなくて。大人になった振りをして、笑うことも忘れていた。 街に残る残雪は、残り少ない。僕の心も、あと幾ばく。残雪なのだろうなど、バカバカしい傷心じみたことを考えていた。 あぁ。あの約束は覚えていてく
青天の霹靂。雲ひとつない青空を見て、私は思うことがある。 「死ぬには今日がいい」 と。 産まれ落ちて、生きるレールを引かれて、反抗することも、あまつさえ提案さえ出来ずに漠然と生きてきた。何か功績を出したとしても、他人に自慢として使われた気がして。逆に残せなければ罵倒される時もあった。 愛されていないのか、そう考える時もあった。 いいえ。 愛されているのでしょう。 ただ、それが拳になり、罵倒になり、軽蔑に変わっただけのこと。他の家庭もそうな
最近、友達の家でご飯を作った。ペペロンチーノを作ったのだけど、そういえば、と友達が話しかけてきた。 「そういえば、なんで毎回オリーブオイルを買うの?家にあるのに」と。 確かに友達の家にはオリーブオイルがある、でもそれじゃダメなのだ。 友達の家にあるオリーブオイルは、エクストラバージンオリーブオイル。意外にも知らない人が多いが、これは非加熱用のオリーブオイルなのだ。香りが強く。サラダや、加熱料理の仕上げなどに使うといいのだが、火を通してしまうと香りが飛んでしま
天気予報は雨で、窓を叩くような雨の音が店内に響き、テンポのいいボサノバの音色は、雨音を中和するようになっている。 アンニュイな私は、今日もお決まりの席に座り、コーヒーをすする。 苦い 琥珀色で満たされた白いマグカップは、まだ二口しか口をつけていない。 遅れてやってきた店員が、すいませんと角砂糖が入った瓶を持ってきた。 私には、ルールがある。角砂糖を3つ、必ずコーヒーに入れて飲むというルールだ。これをしないとコーヒーが飲めない。 そもそも