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日記堂の告白 前編

 智子が心中未遂をしたのは、今から四年前の七月の夜だった。うだるように暑い、望月の夜だった。

 智子は僕の幼なじみで、僕の自宅から、向かいにあるコンビニ「ララマート」を右に曲がって、左手にある少し薄汚れたアパートの二階に住んでいた。親はいなかったけど、底抜けに明るくて、ましてや自殺などするような子には見えなかった。
 
 心中の前日、彼女は珍しく家に来て、ご飯を食べて、少しゲームをして、先生の愚痴なんか言ったりして、そうして二十時頃に家に帰った。
  
  去り際に彼女は、「さようなら」と小さな会釈をして、ニコリと笑った。僕にはその顔の意味がわからなかった。
 
 
 
   それから二時間後、智子は湖に飛び込んだ。
 
 


 **********
 
 

 カランッ。

 アイスコーヒーのグラスは、汗をかいて鳴った。久しぶりの帰省。僕は、とある店のカウンターにいた。
 
 店の名前は、「日記堂」
 
 コーヒーや軽食なんかを出してくれる薄暗い茶喫茶なのだが、ここの魅力はそこでは無い。安直ながら、名前の通り「日記」が見れるのだ。

  なんでも、お客さんが日記を置いていったことがきっかけとかで、積もりに積もった日記は、壁や机、カウンターの下に至るまで、びっしりと並べられている。

  いちばん古いもので大正の日記なんかもあった。他人の人生の軌跡を垣間見る日記は、まるで洗練された小説のようで、僕はこの場所で青春時代の大半をすごしていた。
 
 特別、何かがあってきた訳では無い。ただ、有り余る時間を消化するには、あまりにも地元はつまらなかった。ただ青春時代を思い出そうかな?くらいの気概で、ここまでフラフラと来たというわけだ。
 
 にしても、あまり面白くない。まあ、時間を潰すくらいの面白さはある。ただ、あの頃は、箱の中身を覗き見ているような、暮れの花火を見ているような、そんな高揚感を感じていた気がするのだ。

 きっと大人になったからか。
 
 あれは、無知であるがゆえの、あるいは純粋であるがゆえの高揚だったのだと、ふと思う。一ページ、一ページに刻まれた、人々の痕跡。生きた日常。それに胸をときめかせていた僕は、もういないのだろう。


 面白い日記は無いものか、三冊目の日記を手に取ったところで、ギョッとした。

 
 茜 智子

 
 日記の背表紙には、智子の名前があった。間違えない。ヒヤリと汗が流れた。四年前の七月二十日。あの日以来、智子の行方を僕は知らない。智子は心中未遂の後、姿を消した。行く先も告げず、忽然と。

 店長が言うには、これは一週間前お客さんが置いていったものらしい。やけに肌の白い、黒髪の女性だったとか。

 智子がこの町にいるのか。そんなことが頭をよぎった。僕はおかわりのアイスコーヒーを頼んで、それから智子の日記帳を手に取った。
 
 

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