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客観視

今日は少し早起きができて、時間に余裕があったのと、少し改まったところに出かけるので、丁寧にメイクしてみた。

君島十和子さんが「毎日、あらゆら方向から自撮りした写真で、メイク(メイクだけじゃなかったかも知れない)をチェックする」みたいなことを話していたのを記事で見たことがあり、気が向いた時(数ヶ月に一回くらい?)にそれをやっている。

今日がたまたまその日だった。

私がメイクをするとき、眉から始めて、だんだん下に降りて、リップで終わる。

今日は眉を描きながら、何度か自撮りした。元の形の眉にアイブロウパウダーを載せるだけだと、元々の左右差が強調されてしまう。しかし、特に意識しない時(ほとんどの時はそうだ。)や時間がない時は左右差のある顔で出かけてしまっている。

しかも自撮りだと反転するから、自分が鏡で見ている自分と逆に映ってしまい、なかなか上手く眉が描けない。(足りないと思って描き足すと、足りない方と逆の眉に描き足してしまっていることがよくある。)

そして、何度か自撮りを繰り返して(今回は5、6回)出来上がった眉は、完全に左右対称まではいかないけれど、最初に比べると随分左右差が減ったものだった。

ここで何に気づいたかというと「鏡だけ見ていても、メイクは上手くいかない。自撮りした方が上手くいく。自分は自分の姿を鏡で見て、客観視している『つもり』になっているけれど、客観視できていないんだなということ」だった。

私の中の思考はこんな感じ

お出かけするからいつもより丁寧にメイクしよう
 ↓
そうだ、自撮りしながらメイクしよう
 ↓
眉がうまく描けない(しばらく眉と格闘、自撮り5、6回)
 ↓
眉だけにフォーカスしていてもバランスが悪いから、全体を仕上げてから、改めて眉をチェックしようと、他の部分に取り掛かる
 ↓
(全体を仕上げてみたら、眉の左右差はあまり気にならなくなっていた)
 ↓
完成

メイクを習っている時に先生に褒められたことがある。「あいうえおさんは、自分では気づいていないかもだけど、鏡を見る時に離して見ているよね。それはいいことだよ。」と。もう10年以上も前のことだけど、今でも覚えている。

メイクに限らず、物事を見る時、つい近視眼的になりがちで「木を見て森を見ず」になりがちだけど、全体を見るって大事だなって。

さっきも眉にこだわって「うまく描けない」とプチもがきみたいなことがあったけど「とりあえず全体仕上げてまた戻ればいいや」って視点って大事だよなって思った。

私の中で何が起こっていたかというと、眉にこだわりすぎる自分の気持ちを切り替えて「眉を完成させないといけない」と思っている自分の眉に対するハードルを下げて、全体を見るみたいな感じかな。(果たしてこれ伝わってるかなぁ。)

自分の外見を良くする(という言葉が適切なのかは不明、他に言葉が見あたらない)には、自撮りが有効なようで、ファッションの先生にも同じようなことを言われたことがある。「もし自分のコーディネート力をアップさせたかったら、自撮りがいいですよ。毎日やっていたら、一ヶ月くらいで変わってきます。」と。

自撮りが良い、というか、客観視が良いんだと思う。自分のことを他人の目線で見る。主観が入るから100%他人の目線で見るのは難しい。視点は変えられないけど、物理的な視座は変えることはできる。

実はメイクの自撮り写真を撮っている時、背景に部屋が映って「ちょっと雑然としているなぁ。」と思った。毎日見ている風景だと気にならないのだけど、これも客観視の効果かな。笑

私は自分の心の中を客観視したくて、日々もがいているけれど「服は一番外側の内面」「顔にはその人の生き方が現れる」「部屋はその人の内面を現す」など、内面と外見の関係を現すいろいろな言葉がある。

「少しでも外見を客観視するように意識を向けてみたら、自分の内面も客観視できるかもしれない。」そう思った。

今日は朝からこんな気づきがあって、楽しかった。

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