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叱る依存をとめたい私

この本は、誰かを叱る可能性のあるすべての人のための本です。

<叱る依存>がとまらない

<叱る依存>がとまらないの冒頭に書いてある言葉です。

著者の村中直人さんは、臨床心理士・公認心理士として、
主に発達障害の方への支援を中心に活動されています。

専門としている心理学と、脳科学や認知科学からの知見に基づき、
叱る行為の依存性や、攻撃性、危険性について、
「叱る」ことの本質を見つめ直し、
社会における認識のアップデートを促す内容です。

この本は、叱る人を叱るための本ではありません。
村中さんの温かい視点から、
叱る依存を回避し、
叱る人が自分を責めないためのヒントも伝えています。


紀伊國屋書店サイトで試し読みが可能です。https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784314011884

2022年3月開催イベント
『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)
刊行記念オンラインイベント


叱ることで苦しくなるのに、繰り返すのはなぜ?

母との関係において、しばしば「叱る依存」が発動してしまいます。
叱ることや怒ることで、後悔することはわかっているのに、
繰り返してしまう自分に、今も疲弊中です。

どうしたら怒らなくてすむのだろう
どうしたら叱ることを繰り返さなくてすむのだろう

この不毛な状態を変えたくて、本書を手に取りました。

なぜ叱ることがやめられなくなるのか、
本書の内容を参考にすると、

叱る側は「叱られる人」に問題があると思うから叱るのです。
「叱られて当然の理由がある」
「叱られるようなことをしたから叱っている」

叱られる人が即座に、
「すみません、もうしません」、
「わかりました、直します」
このような返事をすると、

叱る人は
「言っていることが伝わった。わかってくれた」
と効果があると感じてしまい、
脳内の報酬系回路ドーパミンニューロンが活性化されて、
叱ることを繰り返してしまいます。

しかし、叱ることの効果は限定的で
力を発揮することは、2つしかありません。

ひとつは、目の前の困った状況、自傷や他害に対して、
即座にやめさせる危機介入
もうひとつは、特定の行動をしないようにしてもらう抑止力

叱ることを多用しないで、
あくまで危機的な状況の対応に限定することが、
望ましい使い方です。

本書は叱ることの本質や、脳のメカニズム、
依存症との類似点、虐待やDV、ハラスメントなど、
さまざまな角度から叱る行為について考察されています。

その中でもPart4の”<叱る依存>におちいらないために”の内容を中心に、
参考になったこと、実践していることをまとめました。

叱る自分を責めないためにできること

本書における、叱るを手放した状態とは、
叱ることを我慢するのではなく、
「気がついたら、いつの間にか叱らなくなっていた」 です。

わたしも、「いつの間にか叱らなくなっていた」に近づくために、
心がけていることが4つあります。

1つめは
叱る側が権力者であることを自覚する

なぜ権力者であることを自覚する必要があるのか、
多かれ少なかれ、叱られる人に対する権力を持っているから叱るため、
まずは叱る側が権力者と自覚することが、手放すための第一歩となります。

2つめは
自分の思う「あるべき姿」や
自分基準の「普通・常識・当たり前」を疑い、検証する

相手に求める「あるべき姿」と現実にズレが生じた際、
そのズレを軌道修正しようとして、
叱ることに繋がるケースがあります。

自分が相手に求める「あるべき姿」が適切なものなのか、
一旦立ち戻り、繰り返して自省することを心がけたいです。

わたしの場合は、母が体調を崩して入退院を繰り返す前から、
基本的には、自立していてほしいという望みがありました。

訪問看護や、体力を維持できるようにデイケアを取り入れて、
母がこれからも、身の回りのことは自立して過ごせるように、
サポート体制を整えていたつもりでした。

体が弱ったことで、気力がなくなり、
今までできていたことが、できなくなっていくのは、
しかたがないと思うこともあります。

しかたないと思う反面、
何かを決断する場面で、母が考えることを放棄して、
わたしに委ねてくることは、
ひどくストレスを感じます。

母から委ねられている、とわたしが感じてしまうと、
何かスイッチが入ったように、
叱る行為に繋がることがあると認識しています。

怒りに感情が支配された瞬間は、
すぐにはできないときもありますが、
自分が感じたことを、つぶさに見つめて、
わたしが母に求めている「あるべき姿」を確認します。

3つめは
「しない/できない」を区別し、「できない」への対応、やり方を工夫する

しない/できないについては、
以前はできていたのだから、とつい思いがちです。

できるはずなのに、なぜやらないのか、
と怒りが湧いてきたり、
叱ってしまったりすることがありました。

おそらく、わたしの中では、
こんなことで甘えないでほしい気持ちがあるのでしょう。

母が「しない」のか「できない」のか、観察しながら、
「できない」をまず頭において、対応することを心がけています。

例えば、少し前までは、
母が台所の掃除をしていました。

母が入院した際に、
台所の排水溝トラップを外したところ、
どろどろの汚れが、びっしりとついた状態でした。
わたしはこれを見た瞬間、卒倒しそうになりました。

どろどろのトラップを洗いながら、
排水溝の掃除も、
できないことになってしまったのか、
これからもできないことが増えていくのか、と
虚しさを覚えたのは、つい最近の出来事です。

4つめは
主語を明確にして、互いの望む未来、
ありたい姿を理解するために問いかける

母に対する感情は、
好きか嫌いか、はっきりしません。

不幸になってほしいとは、まったく思いません。
できれば、健やかに日々を過ごしてもらいたいと願っています。

ただ、母が自分で決めずに、わたしに何かを委ねることについては、
嫌悪感を覚えるほど、どうしようもなく怒りがこみ上げてきます。

素直に母が好きだと思えるなら、
サポートすることにも抵抗なく、
悩みも少ないのかもしれません。

今は、好きや愛情を持って接することよりも、
感情の波に飲み込まれずに、
淡々と接することができることを目標にしています。

感情に任せて、叱ってしまうのではなく、
一旦、別の部屋に移動したり、深呼吸したりなど、
できるだけ、怒りに囚われた状態から、
抜け出せる方法を探すようになりました。

叱る理由を「母のためだから」にすり替えずに、
どうすればいいのか、迷ったときには、
「わたしは、こうありたい、こうしていきたい」
と伝えるように心がけています。

同時に、母の答えがすぐに出なかったとしても、
「あなたはどうありたいのか、どうしていきたいのか」を
問いかけるようにしています。

自分を大切にすることで手放していく

母よりもご高齢の方が、
明るく健やかに過ごされている姿を見ると、
母にも、もう少し元気があれば、
以前のように好きな映画や、本に興味を持ってくれれば、と
比べても仕方ないことを、つい考えてしまいます。

こうであればいいのに、と考えたところで、
状況は変わりません。
仕事でも介護でも、突発的な出来事が発生し、
ままならないことや、不本意なことに、
対応しなければならないことがあります。
これからも起こるでしょう。

介護については、
気力がない母の状態が、いつまで続くのかわからず、
終りも見えないため、不安は増すばかりです。

母が自ら変わることは、おそらくむずかしいでしょう。
そのため、なおさら自分を変化させるほかないと自覚しています。

叱るを手放すために、実践していることの中で、
自分を見つめ直す、自省する、と書きましたが、
この点については、本書に具体的な方法が示されていません。

わたしは、
自分を見つめ直す具体的な行動として、
ほぼ毎日のように感じたことを、
ひたすらノートに書いています。
誰かに見せるものでもないので、
内容も気にせずに書き出しています。

書き出すことで、すぐに悩みが解決するわけではないすが、
立ち止まり、自分を振り返ることはできます。

頭の中のモヤモヤを、ひとまず書いて、外に出してみると、少し気持ちにゆとりが生まれます。

自分を責めたり、生きづらく感じたり、今まで作り上げてきた思い込みを、少しでも軽くできれば、自分を大切にすることに繋がる、と考えています。

自分と向き合い、整える。ライティング・ライフ・プロジェクトのモニターを募集中です。


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