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出勤途中、信号待ちで前に停まっている車から、火がついたままの煙草が転がってきた。大きく会社名が書かれた車なのによくやるものだと感心した。 ちょっと気になって後から調べてみたら、「この会社の運転手は運転マナーが最悪だ」というようなコメントがいくつか散見された。大きな会社ではないようだから同一人物か、あるいは一人親方なのかもしれない。 ついでに当該企業のウェブサイトから連絡しておいたが、これはきっと余計なお世話だったろう。 ※ 喫煙をやめて久しいが、最初に煙草とライタ
好きな物について書いてみる。 ※ 元々筆記具好きの気があって、仕事中に自席でメモを取ったり、書きながら考え事をするのに万年筆を使っている。 万年筆の効能は「使うと気分が上がる」ということだ。これは単に好きなものを使うからそうなっているので、何も万年筆限定の特別な力ではないけれど、何をするにも気分の上昇は大切だ。気に入った道具を使うことで仕事のモチベーションが上がるのなら、限定の効能でなくても使う意味は十分ある。 見るからに “万年筆!!!” というようなのを使
にぎやかだと思ったら近所で祭りをやっていた。この土地に住み始めて10年になるが、こんな近くで祭りをやっているなんて知らなかった。ひょっとしたら今年から祭り会場が変わったのかもしれない。 考えてみれば、地域の祭りなんて中学時代以来行っていない。ちょっと覗いてみようかと思ったけれど、たまたま長く住んでいるだけで自治会にも入っていない “よそ者” がふらりと現れて、「君ぃ、わた菓子を売ってくれたまえ。金ならあるぜ」とやった場合、「おい、あの見慣れない顔は一体どこのどいつだい?
今週はネルソン氏もトミーも出張で、自分は黙々と調べごとをしたり資料を作ったりしていた都合上、公開日記として書けるネタがあんまりない。それでもここまで毎日更新してきたものを止めてしまうのも業腹だから、以前よそへ書いたものを直すなどしてどうにか繋いできたら、連続投稿日数が230日になった。 昔やっていた日記サイトやブログではせいぜい3日連続が限度だったから、よくやったものだと自分で感心している。変に面白ネタを探していないのがよかったのだろう。 全体、ただの会社員の日常に
オサダ君は幼稚園に入る前からの友達なので、恐らく幼馴染と云って差し支えないのだろう。 祖父母と同居することになって、引っ越す前から「近所にオサダ君ていう同い年の子がいるから友達になれる」と聞かされていた。 引っ越したその日からオサダ君は早速遊びに来た。先方でも裏の百さんのところに同い年の子が来ると聞いていたのだろう。 オサダ君は黄色いカウンタックがプリントされたTシャツを着ていた。 その日からほとんど毎日一緒に遊んだと思う。 彼の家で緑ジャケットの『ルパン三世』
この記事の続き。 ※ 生まれも育ちも広島だが、大阪で過ごした大学時代が楽しすぎて、卒業後も大阪の人として生きるつもりでいた。 ところが実際卒業すると広島勤務となって、しぶしぶ帰郷した。さらに新入社員研修で居眠りしたのが仇となり、わずか3ヵ月で今度は横浜へ飛ばされた。いよいよ大阪から遠く離れて最初は大いにどんよりしたが、横浜は行ってみると思っていたより随分良い街で大変気に入った。 半年で広島へ戻る約束だったのを、あんまり気に入ったものだからこのまま横浜に居させてほし
透き通った赤が好きで、車のテールレンズなどつい見惚れてしまうことがある。 昔、テールレンズが大きいのが気に入って日産レパードという車を買おうとしたことがあった。あの時は結局、諸々あって他の車になった。あれはいささか残念だった。 最近の車はテールレンズが透明なのが多くて、あんまり面白くない。 ※ 車で信号待ちをしていると、前の車のテールランプが何だかおかしい。赤いテールレンズの内側で何だかもぞもぞ動いているように見える。仕掛けでもあるのかと思ってよくよく見ると、どう
横浜開港記念日(6月2日)に託けて、むかし書いたものをリライトする。 ※ 1994年から99年まで横浜に住んでいた。当時は『わくわくパスタ』(仮名)というブラック職場で過酷な労働をしていたものだからこの街にはそれ相応の怨念めいた記憶もあるが、基本的には好きだ。第二の故郷だと思っている。 先日仕事の都合で、昔住んでいた辺りに行った。14年ぶりである。あんまり懐かしかったから少し散歩をしてみた。 かつて『わくわくパスタ』があった場所には巨大マンションが建ち、当時の面