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母がコロナ→肺炎になりました。延命についての生命予後の指標。

前回のnoteの更新で書いた
おかぁさんの退院と施設への入所から
二ヶ月半が過ぎました。

穏やかに思えた日常、
あの笑顔が一変することになるなんて
想像もできていなかった。

コロナ発症で入院中に
誤嚥性肺炎による延命治療の決断を迫られ
母とのお別れを考えなくてはならなくなりました
突然の出来事に意気消沈しています。


うまく書けるか分からないけど
ありのまま伝えよう。
言葉たらずでも、それでいい。
今の想いを綴る事に意味がある。

母の認知症の発覚の時のブログが
あの頃も今でも"救われたり人生を変えた"
そんな声をもらうことが多くて
この経験も現状も私には伝えることが
使命だと思ってます
誰かのこれからの未来のために。

まず、時系列で状況を書いていこうか✍️

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8/9 母の発熱、コロナ発症日。
施設から連絡がきて同意書を書きに行く
薬で熱は下がったけど
反応がにぶい、痰の量がおおい
ご飯が食べれず薬飲めず、必要な栄養とれない
保健所に連絡、救急搬送。

8/10 コロナ病棟に入院開始
たんが多いから危険はあるが
酸素95-97を保っていて平均96なので大丈夫

8/16 発症から7日目
酸素がよくなりましたとの経過報告
今後、オフをトライしてみるとのこと
痰は変わらず多くて1.2時間おきに吸引

8/19 10日目を過ぎても変わらずの状態
隔離解除後も一般病院にうつり治療を続ける
ご飯が食べれたら施設に戻れると聞いていた

8/21 急変の連絡がくる。
呼吸状態が悪い、酸素を多めに入れて
血中酸素を保つがぎりぎりの状態。
人工呼吸器の確認の電話。

延命措置の最後にできることに関しての説明
人工呼吸の装着
(つけたら治るから死ぬまでやめれない)
狭心剤の投与、血圧、昇圧剤の投与など。
この延命措置をするかどうかを迫られる
そして危篤になったら連絡はあるけど
それでも会えないと伝えられる
主治医がいなく当直院から説明。
"最大限の延命措置を希望します"
というFAXを送らないといけない状態。
不安と医療のしくみに不信感をつのる。

8/22 今朝、主治医から病状説明をしたいと連絡
仕事を休んででも今すぐ早くきてほしいと。
正直この時は、母には会えないのに
行く理由が見つかってはいなかったです。
言った言ってないにならないように来て欲しい
電話での対応はできないと言われてきた
仕組みはもちろん分かるけど納得がいかない
それでも母の優先を考え向かう事に。

担当医との家族面談。
第七波の特徴、デルタ株とのちがいなど
ウイルス肺炎があまりない
今回はコロナ原因かはわからない
細菌性の誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)の発症によるもの。
人の唾がばい菌だらけで治らない
呼吸器学会でも課題になってる、
老衰の要素もある
家族の意思を尊重する
誤嚥性肺炎は必ず繰り返す
実際に入院時より悪くなってる
白血球、二万二千まであがってる
最初から細菌用の薬いれてるのに悪化してる
これで効かない菌はほとんどない
2.5倍を吸って普通の人とおなじ状態
抗生物質も最強のものをつかっている
酸素を高流量いれて、気管挿管しても
人工呼吸器は時間稼ぎしかない
同時に肺を痛めてる状態になる
ここさえ乗り切ればという人はやるべき
肺炎は復活することはない
尊厳をまもった延命措の期間がどうか
誰も幸せにならない、進めていない。

以上が、私の聞けた情報でした。
急すぎてなにがなにかわからない。
入院時も、悪化した時も、説明は不確かで
主治医の話はよく理解できたけど
もっと早く伝えるべきだったことを
延命治療についての説明が不十分だったと、
医療機関の逼迫による対応の遅れを感じた。
正直コロナは直接の原因ではない
ウイルス性の肺炎の悪化により
隔離病棟にいれられてひどくなったとのこと。

そして、今の母の状況が思わしくなく
意識がないときいて先生は特別に
会わせて理解するようにと言われました。
コロナ病棟の中に完全な防備服の状態で
マスク、ヘアキャップ、服も手袋も二重に
テレビの世界を目の当たりにしました。

病室に入るなり、母の姿。
先生たち話していたころから止まらない涙
変わり果てた母の姿、大きな声をあげた
「おかぁさん!おかぁさん!」
「さやかやで!来たよ!分かる?」
「しんどいね、つらいね。」
「ここにいるよ!頑張って!」
声をかけても、返事はない。
足は動くものの苦しそうな母の姿
手を握り必死に声をかける
息はしている、命はある。
そんな母の延命治療をしないなんて
厳しい選択だ、受け入れられるはずもない。

治ることは難しいという誤嚥性肺炎
ここから更に悪化して人工呼吸器が必要になり
麻酔がかかっていると意識はない
意識のない状態で延命措置をすることが
どれだけ意味のない治療か伝えられた。
そして苦しむ母がどれだけ辛いことか。
生きてほしい、そんなの家族のエゴなのか
予後の指標をもたなければいけない。
時間がほしいのに、時間はない。

入院時から担当してくれている
看護師さんが付き添ってくれていました
わたしの話を聞いてくれて
きちんと状況を説明してくれました
10日には意識があったこと
「嫌なことは嫌という人でしたよ」
そんなことを聞けただけでもありがたい
悪化していく母を側で看護していただいて
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
今後アフターコロナという一般病棟でも
これからもどうか宜しくお願いします。

自分の中ではやっぱり
意識が少しでも戻る瞬間があるのならば
延命治療をしてほしい
そしてまたおかーさんと話したい
どうかもう一度だけ、
その声と笑った顔をみせて
その後は受け入れることはできる、きっと。
最後にもう一回でいいから回復してほしい
想いは伝えてきました、ぜんぶ。

突然の出来事に頭の中は空っぽで
行きも帰りも電車は乗り過ごしてしまって
意識が朦朧として、めまいも再発して
呼吸がうまくできない感覚
下腹部痛も今朝からひどく、うまく歩けない
20代の頃に卵巣出血とゆう病気で
入院したことがあったりもしたので心配
わたしがしっかりしないといけないのに悔しい
弱さを強さに変えていかなきゃ
落ち込んでる場合じゃない、時間がない
ただどーしても身体が思うように動いてくれず
心が擦り減ってしまっているのが現実。

二日間、現場のお仕事はお休みもらって
現在はいってる外部の打ち合わせと
在宅ワークに切り替えて過ごします。
ひとりで考える時間、母と向き合います。
また明々後日からは連日、宿泊者さんと過ごす
全力でおもてなししたい気持ちと
うまく笑えてなかった時はごめんねと
不安定な感情がしばらく続きますが
どうか温かく見守ってくれると嬉しいです。

頼れるスタッフや仲間がいて
一緒に泣いてくれる人たちがいて
一人じゃない、それだけで幸せだなぁ。
また心から笑い合える日を。
いつもありがとう、これからもよろしく。

スイッチがきれたかのように
沢山泣いて、疲れて眠りました。
深夜2時。まだまだ答えは出ない。

まだ70歳、踏ん切りがつく年齢じゃない
延命治療という重たい壁にぶち当たった今。

転んでつまづいてぶつかってもがいても
ふたりまた歩き出す僕らの選んだ道
弱さも強さだ 涙こらえて笑おう
痛みを知ってほらもう一度走り出そう

母を想い、私にできること
これから選ぶ道は正しさじゃない
優しさと思いやりと愛情をもって
覚悟を決めなきゃいけないんだなぁ

もう少しだけ時間をください
最後にありがとうが伝えたい
ただそれだけ。

どうか母が回復しますように
心から願いを込めて。祈ります。

私を産んでくれた八重子さん。

最後の瞬間まで、
あなたの娘として出来ること

精一杯向き合っていくからね
がんばって、がんばって。

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