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小説のなかの音楽――『蜜蜂と遠雷』

小説が映画化されるとき、先に小説を読むか映画を観るか、いつもちょっと迷う。

基本は小説、というか原作を先に読みたい。その原作は一定の支持があって映画化されたはずで、映画が面白くなくても原作は面白いことが往々にしてあるし、原作を知ってからのほうが映画がさらに楽しめるかもしれないし。

でも原作が大長編だったり難解だったりすると、2時間の映画を観て原作まで読んだ気になることもよくある。逆に原作を先に読んで、映画を観ないで満足しちゃうこともある。ちゃんと原作も映画も楽しめた作品って少ない。その少ないなかに、最近『蜜蜂と遠雷』が仲間入りした。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』幻冬舎文庫
上巻 ISBN 9784344428522
下巻 ISBN 9784344428539

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この表紙、素敵なので頭の中で並べて見てほしい。

『蜜蜂と遠雷』は国際ピアノコンクールに出場する4人の登場人物を中心に、予選から本選まで彼らがどんなことを想い、弾いていくのかをひたすらに綴った小説。

映画が気になっていて文庫を手に取ったのが映画公開2週間前のこと。ちゃんと映画が公開してるうちに読み終わるかなあなんて思いながら、そのときは上巻だけ購入したけどすぐに下巻を買い求めることになり、あっという間に読み終わってしまった。

のだめカンタービレみたいなドタバタは一切なくて、至ってスムーズにコンクールは進んでいく。遅刻しそうになったり、舞台で三分クッキングの曲を弾き始めちゃったりなんていうのは無し。物語の中で変わっていくのは、登場人物たちの心情。驚くほどに心理描写が多い。下手すれば退屈になってしまうような展開なのに全然飽きなくて、それが不思議だった。

この曲はどういう解釈で弾くか、自分は音楽とどう向き合っていくのか、音楽とは何か、ということがそれぞれの視点で語られていて、音楽家の頭の中を見させてもらっているみたいな感覚。

 音楽家とは、なんという仕事なのだろう――なんという生業なのだろう。
 なりわい、とはうまく言ったものだ。まさに業、生きている業だ。お腹を満たすわけでもない、あとに残るわけでもない。そんなものに人生をかけるとは、業としか言いようがないではないか。
 そんな人たちが、ここにこんなにもいる。(中略)
 だが、自分は選んでしまった。そして、その道は厳しくも他では得られない喜びに満ちている。

オーケストラのチューニングの音が響くとき、舞台の幕が上がるあの瞬間。そういうときに感じる気持ちがこの小説の中にあって、私は感動と期待がないまぜになりながらこの小説を読んだ。残りのページ数を確認するたび、読み終わるのが惜しくなるほど。


小説に音楽がないことだけ、唯一もどかしかった。平均律クラヴィーアってどんな曲? 曲名をなぞるだけで、頭の中で自動再生されたらどんなにいいか。

小説を片手に音楽を検索して流してみるのもやってみたけど、気が散ってしまってだめだった。そこで、映画。

映画では全部の音楽をやってくれるわけではないのだけど(そこは4人全員分のCDが発売されている)、天才二人の月の連弾シーンなど要所は抑えられている。小説を読みながら曖昧にしていた音楽の部分がはっきりと輪郭をあらわして、小説の解像度がぐっと高まった。

映画は映画で小説とは違う良さがあり、「もう一つの蜜蜂と遠雷」という仕上がり。小説を読んだうえで観ると設定の違いが分かったり、俳優を小説のイメージと比べたりして、いろんな視点で映画を楽しめた。語りたいことが多くて、鑑賞後の私はとてもおしゃべりになっていたと思う。メインキャストの演技、演奏、素晴らしかった。映画も原作も楽しめるって贅沢だ。


このnoteを書きながら、『蜜蜂と遠雷』のスピンオフ短編集が発売されているのも知った。

恩田陸『祝祭と予感』幻冬舎
ISBN 9784344034907

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後日譚と前日譚が計6篇収録されている。またあの世界を楽しめるのが嬉しい。読んで、さらなる余韻に浸ろう。

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