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第23回 24時間リレーマラソン神戸大会 シングルの部③ 大会(後編)

夜明け前

異変。160km地点で、急にペースが落ちた。
おかしい。同じ感覚で走っているのに、1kmあたり90秒近く遅れている。
どうする、いったん立ち止まるか、小休憩をとるか。
いや、ここで止まるとまた動けなくなる。
心が乱れているのが分かった。あと2時間弱で日が昇る。それまでに180km付近まで進めたい。焦っても仕方ない。
とあれこれ考えている時点で、焦っていた。
「また失速するのか」「また届かないのか」
「いや、もともと自分の実力なんてこんなもんだった」
「やっぱり無謀な挑戦だった」
ネガティブな感情に支配されていた。

サポーターに相談した。
「貯金もあるので休む選択もあるが、ここは粘って後半に貯金を使えるようにした方がいい」焦る私に対して、冷静に言葉をかけてくれた。
そう、しんどいから休んでいては届かない。
後半、日が昇って気温が上がってから、ペースアップできるとは到底思えなかった。
200km狙いなら休んでもいい。225kmならGOだ。
改めて目標を捉え直した。自分にとって224km以下は何キロでも一緒。
超えなきゃならない。
きつくても目標があるから走れる。
ネガティブな感情が沸いていた自分には、この冷静な助言が、𠮟咤激励に感じ、また走らせてくれた。
7分/km超えてもいい。補給して、エネルギーに変換されるまで回復を待とう。
大丈夫、きっとまだ走れる。何度も波が来るのがウルトラだ。

ゆっくり走りながら、感情も整えた。
8kmほど走るとスーッと体に力が沸き、回復した。
いける。180kmまでまたペースを戻せる。5分50/kmまで戻っていた。
一つ波を超えた。
しかしそのペースはそう長くは続かなかった。

ここからは再び太陽が昇る。200kmからが本当の闘いだった。

最後の足掻き

200km到達するあたりで、日はすっかり昇り、セミは応援なのかヤジなのか、ずーっと鳴いている。
いや、セミにとってはこのウルトラなんてどうでもよくて、7日の生命を謳歌しているだけだ。
そして自分も生命を燃やすような戦いになってきていた。

ペースは落ちてきている。貯金はまだある。
が、余裕はとうにない。気を抜けばずるずる後退し、届かない。

残りの距離とペースを1時間ごとに伝えてもらい、時計を見ながらそのペースを割らないようにだけ意識して、左右の足を交互に出した。
走っているのか、歩いているのか、進んでいるのか、足踏みしているのか、
分からないようなところでもがく。
ここでは、もはやどう気を紛らわすかしか考えられなかった。
かけ水、補給、腕を回したり…

そうしたら、またやってきた。
「ここでやめても誰も責めたりしない」
「みんなよくやったと言ってくれる」
「200km、すごい!」

頭でそんな言葉も浮かんだ。
ここからは意思の勝負。根性論でしかない。
「チャンスは何度も訪れない」
「ここで粘れないなら、来年も再来年も同じ」
必死にネガティブを振り払う。

AM11:00
残り一時間。ここまで来た。
タイム的には、止まらなければいける。
もうこの時点で、ネガティブな心の声は止んでいた。
静寂が訪れ、もはや何の考えもない。
周回もあと5周、4周、3周、・・・  とゴールが違づくにつれ、むしろ現実味がなくなっているようにさえ感じた。
本当に225km走ってきたのか、ずっと走り続けているけど、本当にそんなに走ったのか。と

その時は、必ずやってくる

歩こうが、走ろうが、止まろうが、寝ようが、その時は必ずやってくる。
終了12:00。
その20分ほど前に133周、226kmに到達した。
ゴールするその瞬間まで平気だったが、サポーターと一緒にゴールラインを超えた瞬間に、気持ちが溢れた。
やった。自分にもできた。達成感に溢れていた。
これでよかったんだ。これまでの決断や挑戦は、ここに続いていたんだと思えた。

と同時に、自分の力では到底届かなかったとも思い知った。
現状225km走る力がないが故に、万全なサポート体制を敷いて、フルサポートしてもらった。
正直226km分の100kmくらいはサポーターの二人に走らせてもらったようなもの。
信頼できる人たちがいてくれ、サポートしてくれるだけで、これほど大きな力になる。
これからも大切にする人たちだ。一緒にゴールしてくれてありがとう。

133周後20分残っていたため、もう一周回る時間はあった。
もう力は微塵も残っていなかった。テントに入り倒れこむと、熱中症の症状で起き上がれなくなった。
おそらく熱中症のまま長い時間走っていたのだろう。
最後は気持ちで運んだ。

約束

このレースを走る上で、サポーターと約束した事がある。例え途中で225kmに届かないことが確実でも、どんなに苦しそうでも、歩いていても、弱音を吐いても、「よくやった」とか「もうやめよう」とか言わないこと。

自分にとってはものすごく大きな挑戦。そこに懸けてきたものも多いし、犠牲にしたこともある。やめるか進むかは自分で決めたかった。
スタートは自分で決めたこと。ゴールも自分で決める。
サポートの二人にこのお願いをしたのは、二人が優しい人だから。きっと私が苦しんでいるところを見たら、優しい言葉をかけてくれるし、よくやったと言ってくれる。だからこそ今回はその優しさには甘えられなかった。
(もちろん、こんな暑い中でサポートをお願いしている時点でかなり甘えているのだが)

この傲慢でなんとも自分勝手な約束を守り、どんなにしんどい局面でも、成功のための必要なサポートに徹してくれた。
自分が走りきれたことにも感動したが、この二人の気遣いや優しさにも心が動いた。

これから

マラソンには宗教性がある。
走る行為は礼拝のようで、ランナーにはそれぞれ信念がある。
全員にゴールが用意されている。リタイアしたとしてもそれはまだレースの途中だ。
以前の記事でも書いたが、ゴールは自分が決められる。


そして誰一人もれなくゴールできると信じている。

いったん休んで、また走りだそう。

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